武家小学 / 退出後と夜の戒
一惣じて仕官の途は。朝出る時は人に先立て早出て役義を勤。夕に退時は人より後て歸るべし。歸宅の後は直に父母に謁すべし。謁する時は氣を靜め。顏色をとゝのへ。聲をやはらげ歡しき躰にて。父母の前へ出て機嫌を伺べし。偖常に居る座席に着て。留守の用事を聞て其事の急緩を量。急なるは先にいたし緩なるを後に行べし。一勤の中にも暫時の閑あらば。今日の勤向其外我行につきて過有や無やと我身を看て。過の有無をあらため。猶暇有時は經書軍記等を披見て古今の事跡を考へ。士の道を正し義不義の行を知て。士たるの道を練べし。一旣に暮に及ぶ時は。夜の戒をなすべし。夜の戒とは盜賊を防火災の用心也。夜中は別して驚き易きゆゑ。變に應ずるの手當を備る事。更に間斷すべからず。
新字:一惣じて仕官の途は。朝出る時は人に先立て早出て役義を勤。夕に退時は人より後て帰るべし。帰宅の後は直に父母に謁すべし。謁する時は気を静め。顔色をとゝのへ。声をやはらげ歓しき体にて。父母の前へ出て機嫌を伺べし。偖常に居る座席に着て。留守の用事を聞て其事の急緩を量。急なるは先にいたし緩なるを後に行べし。一勤の中にも暫時の閑あらば。今日の勤向其外我行につきて過有や無やと我身を看て。過の有無をあらため。猶暇有時は経書軍記等を披見て古今の事跡を考へ。士の道を正し義不義の行を知て。士たるの道を練べし。一既に暮に及ぶ時は。夜の戒をなすべし。夜の戒とは盗賊を防火災の用心也。夜中は別して驚き易きゆゑ。変に応ずるの手当を備る事。更に間断すべからず。
書き下し
一惣じて仕官の途は。朝出る時は人に先立て早出て役義を勤。夕に退時は人より後て歸るべし。歸宅の後は直に父母に謁すべし。謁する時は氣を靜め。顏色をとゝのへ。聲をやはらげ歡しき躰にて。父母の前へ出て機嫌を伺べし。偖常に居る座席に着て。留守の用事を聞て其事の急緩を量。急なるは先にいたし緩なるを後に行べし。一勤の中にも暫時の閑あらば。今日の勤向其外我行につきて過有や無やと我身を看て。過の有無をあらため。猶暇有時は經書軍記等を披見て古今の事跡を考へ。士の道を正し義不義の行を知て。士たるの道を練べし。一旣に暮に及ぶ時は。夜の戒をなすべし。夜の戒とは盜賊を防火災の用心也。夜中は別して驚き易きゆゑ。變に應ずるの手當を備る事。更に間斷すべからず。
現代語訳
総じて仕官の道では、朝出る時は人に先立って早く出て役目を勤め、夕方に退く時は人より後に帰りなさい。帰宅したら、すぐに父母にお目にかかりなさい。お目にかかる時は、気を静め、顔つきを整え、声をやわらげ、うれしそうな様子で父母の前に出て、ご機嫌をうかがいなさい。そして、いつもの座席に着き、留守中の用事を聞いて、その急ぐものと緩いものを見きわめ、急ぐものを先にして緩いものを後に行いなさい。また、勤めの合間に少しでも暇があれば、今日の勤めぶりやその他の自分の行いに過ちがなかったかと我が身を省み、過ちの有無を改めなさい。なお暇があれば、経書や軍記などを開いて古今の事跡を考え、武士の道を正し、義と不義の行いを知って、武士としての道を練りなさい。さて、日が暮れる時には、夜の戒めをしなさい。夜の戒めとは、盗賊を防ぎ、火災に用心することです。夜中は特に驚きやすいので、変事に応じる手当てを備えることを、決して怠ってはなりません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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