導師導古典を学びたいすべての人に

春秋左氏伝 / 昭公三十年 伍員、楚を疲れさす

冬。十二月。吳子執鍾吾子。遂伐徐。防山以水之。己卯。滅徐。徐子章禹斷其髮。攜其夫人。以逆吳子。吳子唁而送之。使其邇臣從之。遂奔楚。楚沈尹戌帥師救徐。弗及。遂城夷。使徐子處之。吳子問於伍員曰。初而言伐楚。余知其可也。而恐其使余往也。又惡人之有余之功也。今余將自有之矣。伐楚何如。對曰。楚執政眾而乖。莫適任患。若為三師以肄焉。一師至。彼必皆出。彼出則歸。彼歸則出。楚必道敝。亟肄以罷之。多方以誤之。既罷而後以三軍繼之。必大克之。闔廬從之。楚於是乎始病。

新字:冬。十二月。呉子執鍾吾子。遂伐徐。防山以水之。己卯。滅徐。徐子章禹断其髪。攜其夫人。以逆呉子。呉子唁而送之。使其邇臣従之。遂奔楚。楚沈尹戌帥師救徐。弗及。遂城夷。使徐子処之。呉子問於伍員曰。初而言伐楚。余知其可也。而恐其使余往也。又悪人之有余之功也。今余将自有之矣。伐楚何如。対曰。楚執政衆而乖。莫適任患。若為三師以肄焉。一師至。彼必皆出。彼出則帰。彼帰則出。楚必道敝。亟肄以罷之。多方以誤之。既罷而後以三軍継之。必大克之。闔廬従之。楚於是乎始病。

書き下し

冬、十二月、吳子鍾吾子を執へ、遂に徐を伐ち、山を防ぎて以って之に水(みづひた)す。己卯、徐を滅ぼす。徐子章禹其の髮を斷ち、其の夫人を攜へて、以って吳子を逆ふ。吳子唁して之を送り、其の邇臣をして之に從はしむ。遂に楚に奔る。楚の沈尹戌師を帥ゐて徐を救ふも、及ばず。遂に夷に城き、徐子をして之に處らしむ。吳子伍員に問ひて曰く、「初め而(なんぢ)楚を伐たんことを言ふ、余其の可なるを知れり。而るに其の余をして往かしめんことを恐れ、又人の余の功を有つを惡めり。今余將に自ら之を有たんとす。楚を伐つは何如」と。對へて曰く、「楚は執政衆くして乖(そむ)き、患ひに適任する莫し。若し三師を為(つく)りて以って肄(し)せば、一師至らば、彼必ず皆出でん。彼出づれば則ち歸り、彼歸れば則ち出でば、楚必ず道に敝れん。亟(しばしば)肄して以って之を罷らし、多方以って之を誤らしめ、既に罷れて後に三軍を以って之に繼がば、必ず大いに之に克たん」と。闔廬之に從ふ。楚是に於いてか始めて病む。

現代語訳

冬十二月、呉子(闔廬)は鍾吾子を捕らえ、そのまま徐を攻め、山の水をせき止めて徐の都に水を注いだ。己卯の日、徐を滅ぼした。徐子の章禹は髪を切り、夫人を連れて呉子を出迎えた(降伏の礼である)。呉子は慰問して彼を送り出し、側近の臣を付き従わせた。徐子はそのまま楚に亡命した。楚の沈尹戌は軍を率いて徐を救おうとしたが、間に合わなかった。そこで夷に城を築き、徐子をそこに住まわせた。呉子は伍員(伍子胥)に尋ねた。「以前そなたが楚を伐つべきだと言ったとき、私はそれが可能だと分かっていた。しかし(王僚が)私を攻撃に行かせるのではないかと恐れ、また他人が私の功績を自分のものにするのを嫌ったのだ。今や私自身がその功を手にすることができる。楚を伐つのはどうか」。伍員は答えた。「楚は政務を執る者が多く、しかも互いに背き合っていて、禍に責任を持って当たる者がいません。もし軍を三つに分けて交互に出撃させれば、一軍が到着すると、楚は必ず全軍で出てくるでしょう。彼らが出てくればこちらは引き返し、彼らが引き返せばこちらは出る。そうすれば楚は必ず道中で疲れ果てます。しばしば出撃して彼らを疲れさせ、さまざまな手で彼らの判断を誤らせ、疲れ切ったところで三軍全体で攻めかかれば、必ず大勝できます」。闔廬はこれに従った。楚はこのときから苦しみ始めた。

解説

呉王闔廬は子西の懸念どおり動き、鍾吾の君を捕らえ、徐を水攻めにして滅ぼした。そのうえで伍員(伍子胥)に楚攻めの策を問う。闔廬の言葉が生々しい。以前伍員が楚攻めを説いたとき、策の良さは分かっていたが、王僚に自分が出陣させられることや、他人に手柄を取られることを恐れて賛成しなかった、今は自分のものになる、と。伍員の答えは、楚の弱点を「執政衆くして乖き、患ひに適任する莫し」と見抜いたうえでの疲弊戦略である。軍を三つに分けて交代で出撃し、楚が全軍で出てくれば退き、退けばまた出る。繰り返し揺さぶって疲れさせ、多方面から判断を誤らせる。責任者が多く互いにかみ合わない組織は、小さな揺さぶりに毎回総出で応じてしまう。楚の弱点は兵の数ではなく、意思決定の構造にあった。

この章句が説くこと

戦略意思決定責任の所在消耗組織の弱点

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る