春秋左氏伝 / 昭公二十九年 晋、刑鼎を鋳る
對曰:「少皞氏有四叔:曰重、曰該、曰脩、曰熙,實能金、木及水。使重為句芒,該為蓐收,脩及熙為玄冥,世不失職,遂濟窮桑,此其三祀也。顓頊氏有子曰犁,為祝融;共工氏有子曰句龍,為后土,此其二祀也。后土為社;稷,田正也。有烈山氏之子曰柱為稷,自夏以上祀之。周棄亦為稷,自商以來祀之。」冬,晉趙鞅、荀寅帥師城汝濱,遂賦晉國一鼓鐵,以鑄刑鼎,著范宣子所謂刑書焉。仲尼曰:「晉其亡乎!失其度矣。夫晉國將守唐叔之所受法度,以經緯其民,卿大夫以序守之。民是以能尊其貴,貴是以能守其業。貴賤不愆,所謂度也。文公是以作執秩之官,為被廬之法,以為盟主。今棄是度也,而為刑鼎,民在鼎矣,何以尊貴?貴何業之守?貴賤無序,何以為國?且夫宣子之刑,夷之蒐也,晉國之亂制也,若之何以為法?」蔡史墨曰:「范氏、中行氏其亡乎?中行寅為下卿,而干上令,擅作刑器,以為國法,是法姦也。又加范氏焉,易之,亡也。其及趙氏,趙孟與焉。然不得已,若德,可以免。」
新字:対曰:「少皞氏有四叔:曰重、曰該、曰脩、曰熙,実能金、木及水。使重為句芒,該為蓐収,脩及熙為玄冥,世不失職,遂済窮桑,此其三祀也。顓頊氏有子曰犁,為祝融;共工氏有子曰句竜,為后土,此其二祀也。后土為社;稷,田正也。有烈山氏之子曰柱為稷,自夏以上祀之。周棄亦為稷,自商以来祀之。」冬,晋趙鞅、荀寅帥師城汝浜,遂賦晋国一鼓鉄,以鋳刑鼎,著范宣子所謂刑書焉。仲尼曰:「晋其亡乎!失其度矣。夫晋国将守唐叔之所受法度,以経緯其民,卿大夫以序守之。民是以能尊其貴,貴是以能守其業。貴賤不愆,所謂度也。文公是以作執秩之官,為被廬之法,以為盟主。今棄是度也,而為刑鼎,民在鼎矣,何以尊貴?貴何業之守?貴賤無序,何以為国?且夫宣子之刑,夷之蒐也,晋国之乱制也,若之何以為法?」蔡史墨曰:「范氏、中行氏其亡乎?中行寅為下卿,而干上令,擅作刑器,以為国法,是法姦也。又加范氏焉,易之,亡也。其及趙氏,趙孟与焉。然不得已,若徳,可以免。」
書き下し
對へて曰く、「少皞氏に四叔有り、重と曰ひ、該と曰ひ、脩と曰ひ、熙と曰ふ。實に能く金・木及び水をす。重をして句芒と為し、該を蓐收と為し、脩及び熙を玄冥と為す。世々職を失はず、遂に窮桑を濟す。此れ其の三祀なり。顓頊氏に子有り、犁と曰ふ、祝融と為る。共工氏に子有り、句龍と曰ふ、后土と為る。此れ其の二祀なり。后土を社と為す。稷は田正なり。烈山氏の子有り、柱と曰ふ、稷と為る。夏より以上之を祀る。周の棄も亦た稷と為る、商より以來之を祀る」と。冬、晉の趙鞅・荀寅、師を帥ゐて汝濱に城き、遂に晉國に一鼓の鐵を賦し、以って刑鼎を鑄、范宣子の所謂刑書を著す。仲尼曰く、「晉其れ亡びんか。其の度を失へり。夫れ晉國は將に唐叔の受けし所の法度を守り、以って其の民を經緯し、卿大夫序を以って之を守らんとす。民是を以って能く其の貴を尊び、貴是を以って能く其の業を守る。貴賤愆(たが)はざる、所謂度なり。文公是を以って執秩の官を作り、被廬の法を為り、以って盟主と為る。今是の度を棄てて、刑鼎を為る。民鼎に在り、何を以ってか貴を尊ばん。貴何の業をか之れ守らん。貴賤序無くんば、何を以ってか國を為めん。且つ夫れ宣子の刑は、夷の蒐なり、晉國の亂制なり。之を若何ぞ以って法と為さん」と。蔡史墨曰く、「范氏・中行氏其れ亡びんか。中行寅は下卿為りて、上令を干し、擅に刑器を作りて、以って國法と為す。是れ法の姦なり。又范氏を加ふ、之を易ふるは、亡なり。其れ趙氏に及ばん、趙孟與ればなり。然れども已むを得ずんば、若し德あらば、以って免るべし」と。
現代語訳
蔡墨は答えた。「少皞氏には四人の叔(一族の子弟)がいて、重・該・脩・熙といいます。彼らは実に金・木・水をよく治めました。重を句芒(木の官)とし、該を蓐収(金の官)とし、脩と熙を玄冥(水の官)としました。彼らは代々職を失わず、ついに窮桑氏(少皞)の事業を成し遂げました。これが三つの祀りです。顓頊氏には犁という子がいて、祝融(火の官)となりました。共工氏には句龍という子がいて、后土(土の官)となりました。これが二つの祀りです。后土は社(土地の神)として祀られます。稷は田を司る長官です。烈山氏の子に柱という者がいて稷となり、夏より前はこれを祀っていました。周の祖である棄もまた稷となり、商(殷)以来はこれを祀っています」。この冬、晋の趙鞅(趙簡子)と荀寅(中行寅)が軍を率いて汝水のほとりに城を築き、そのついでに晋国の民に一鼓(重さの単位)の鉄を割り当てて徴収し、それで刑鼎(刑法を刻んだ鼎)を鋳造して、范宣子(士匄)が作ったいわゆる刑書をそこに刻みつけた。仲尼(孔子)は言った。「晋は滅びるのではないか。その規範を失った。そもそも晋国は、唐叔(晋の始祖)が受けた法度を守って民を治め整え、卿大夫が序列に従ってそれを守るべきものである。民はそれによって貴い者を尊ぶことができ、貴い者はそれによって自分の職分を守ることができる。貴賤の秩序が乱れないこと、これがいわゆる度である。文公はそれゆえ執秩の官(爵秩を司る官)を設け、被廬の法を定めて、盟主となったのである。いまこの度を棄てて刑鼎を作った。民は鼎(に刻まれた条文)だけを見るようになる。どうして貴い者を尊ぶだろうか。貴い者は何の職分を守るというのか。貴賤に序列がなくなれば、どうやって国を治めるのか。そのうえ宣子の刑は、夷の蒐(晋が夷の地で行った閲兵)のときに定められたもので、晋国の乱れた制度である。どうしてそれを法とできようか」。蔡史墨(蔡墨)は言った。「范氏と中行氏は滅びるのではないか。中行寅は下卿の身でありながら、上の命令を犯し、勝手に刑器を作って国法とした。これは法を乱すものである。そのうえ范氏の刑書を加えて、旧法を改めた。これは滅亡の道である。その禍は趙氏にも及ぶだろう、趙孟(趙鞅)も関わっているからだ。しかし(趙鞅は)やむを得ずしたことであり、徳があれば免れることができよう」。
解説
この章句が説くこと
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