春秋左氏伝 / 昭公二十九年 物に其の官有り
對曰:「夫物,物有其官,官脩其方,朝夕思之。一日失職,則死及之。失官不食。官宿其業,其物乃至。若泯棄之,物乃坻伏,鬱湮不育。故有五行之官,是謂五官。實列受氏姓,封為上公,祀為貴神。社稷五祀,是尊是奉。木正曰句芒,火正曰祝融,金正曰蓐收,水正曰玄冥。土正曰后土。龍,水物也。水官棄矣,故龍不生得。不然,《周易》有之,在《乾》之《姤》,曰:『潛龍勿用。』其《同人》曰:『見龍在田。』其《大有》曰:『飛龍在天。』其《夬》曰:『亢龍有悔。』其《坤》曰:「見群龍無首,吉。』《坤》之《剝》曰:『龍戰于野。』若不朝夕見,誰能物之?」獻子曰:「社稷五祀,誰氏之五官也?」
新字:対曰:「夫物,物有其官,官脩其方,朝夕思之。一日失職,則死及之。失官不食。官宿其業,其物乃至。若泯棄之,物乃坻伏,鬱湮不育。故有五行之官,是謂五官。実列受氏姓,封為上公,祀為貴神。社稷五祀,是尊是奉。木正曰句芒,火正曰祝融,金正曰蓐収,水正曰玄冥。土正曰后土。竜,水物也。水官棄矣,故竜不生得。不然,《周易》有之,在《乾》之《姤》,曰:『潜竜勿用。』其《同人》曰:『見竜在田。』其《大有》曰:『飛竜在天。』其《夬》曰:『亢竜有悔。』其《坤》曰:「見群竜無首,吉。』《坤》之《剥》曰:『竜戦于野。』若不朝夕見,誰能物之?」献子曰:「社稷五祀,誰氏之五官也?」
書き下し
對へて曰く、「夫れ物は、物ごとに其の官有り、官其の方を脩め、朝夕之を思ふ。一日職を失へば、則ち死之に及ぶ。官を失へば食まず。官其の業に宿(やす)んずれば、其の物乃ち至る。若し泯(ほろ)ぼし之を棄つれば、物乃ち坻伏し、鬱湮して育たず。故に五行の官有り、是を五官と謂ふ。實に列して氏姓を受け、封じて上公と為し、祀りて貴神と為す。社稷五祀、是れ尊び是れ奉ず。木正を句芒と曰ひ、火正を祝融と曰ひ、金正を蓐收と曰ひ、水正を玄冥と曰ふ。土正を后土と曰ふ。龍は水物なり。水官棄てられたり、故に龍生きながら得られず。然らずんば、周易に之有り、乾の姤に在りて曰く、『潛龍用ゐる勿れ』と。其の同人に曰く、『見龍田に在り』と。其の大有に曰く、『飛龍天に在り』と。其の夬に曰く、『亢龍悔い有り』と。其の坤に曰く、『群龍首無きを見る、吉』と。坤の剝に曰く、『龍野に戰ふ』と。若し朝夕に見ずんば、誰か能く之を物せん」と。獻子曰く、「社稷五祀は、誰氏の五官ぞや」と。
現代語訳
蔡墨は答えた。「そもそも物には、物ごとにそれを司る官があり、官はその方術を修め、朝も夕もそれを思っています。一日でも職務を怠れば、死罪が及びます。官職を失えば禄を食むことはできません。官がその業に落ち着いて専心していれば、その物はやって来ます。もし官を滅ぼし棄ててしまえば、物は潜み伏して、ふさがれ埋もれて育たなくなります。だから五行の官があり、これを五官といいます。彼らは実に列せられて氏姓を受け、封ぜられて上公となり、死後は祀られて貴い神となりました。社稷と五祀として、これを尊び奉っているのです。木の長官を句芒といい、火の長官を祝融といい、金の長官を蓐収といい、水の長官を玄冥といいます。土の長官を后土といいます。龍は水の生き物です。水の官が棄てられてしまったので、龍は生け捕りにできないのです。そうでないというなら、『周易』にこうあります。乾の卦が姤の卦に変わるところ(乾の初九)に『潜龍用いる勿れ(淵に潜む龍、用いてはならない)』とあり、同人に変わるところ(九二)に『見龍田に在り(龍が田に現れる)』とあり、大有に変わるところ(九五)に『飛龍天に在り(龍が天を飛ぶ)』とあり、夬に変わるところ(上九)に『亢龍悔い有り(昇りつめた龍には悔いがある)』とあり、坤に変わるところ(用九)に『群龍首無きを見る、吉(群れる龍に頭がないのを見る、吉)』とあり、坤が剝に変わるところ(上六)に『龍野に戦う(龍が野で戦う)』とあります。もし昔の人が朝夕に龍を見ていなかったなら、誰がこのように龍の姿を言い表せたでしょうか」。献子は言った。「社稷と五祀は、どの氏族の五官なのか」。
解説
この章句が説くこと
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