説苑 / 奉使
晉楚之君相與為好會於宛丘之上。宋使人往之。晉、楚大夫曰:「趣以見天子禮見於吾君,我為見子焉。」使者曰:「冠雖弊,宜加其上;履雖新,宜居其下;周室雖微,諸侯未之能易也。師升宋城,猶不更臣之服也。」揖而去之,諸大夫瞿然,遂以諸侯之禮見之。
新字:晋楚之君相与為好会於宛丘之上。宋使人往之。晋、楚大夫曰:「趣以見天子礼見於吾君,我為見子焉。」使者曰:「冠雖弊,宜加其上;履雖新,宜居其下;周室雖微,諸侯未之能易也。師升宋城,猶不更臣之服也。」揖而去之,諸大夫瞿然,遂以諸侯之礼見之。
書き下し
晉楚の君相與に好會を宛丘の上に爲す。宋人をして往かしむ。晉楚の大夫曰く、「趣かに天子の禮を以て吾が君に見えよ、我子の爲に見えん。」使者曰く、「冠弊ると雖も、宜しく其の上に加うべし。履新たなりと雖も、宜しく其の下に居るべし。周室微なりと雖も、諸侯未だ之を易うる能わざるなり。師宋城に升るとも、猶お臣の服を更めざるなり。」揖して之を去る。諸大夫瞿然とし、遂に諸侯の禮を以て之に見ゆ。
現代語訳
晋と楚の君主が宛丘のほとりで友好の会合を行った。宋も使者を派遣した。晋と楚の大夫は言った。『急いで天子に対する礼で我々の主君に謁見せよ。そうすればあなたのために取り次ぎましょう。』使者は言った。『冠はどれほど古びていても、頭の上に載せるべきものです。履物はどれほど新しくても、足の下に置くべきものです。周王室はどれほど衰微していても、諸侯たちはまだそれに取って代わることはできません。たとえ軍が宋の城に攻め上ったとしても、私は臣下としての礼服を変えることはありません。』そう言って一礼して立ち去ろうとした。諸大夫たちは驚き、そこで諸侯としての正式な礼をもって彼に会った。
解説

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戦国策・謂公叔曰乘舟公叔に謂いて曰く、「舟に乘るに、舟漏れて塞がざれば、則ち舟沈まん。漏舟を塞ぎて、陽侯の波を輕んずれば、則ち舟覆らん。今公自ら薛公に辯ずるを以て秦を輕んずるは、是れ漏舟を塞ぎて陽侯の波を輕んずるなり、願わくは公之を察せよ。」
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説苑・善說客梁王に謂いて曰く、「惠子の事を言うや譬を善くす。王をして譬うる無からしめば、則ち言うこと能わじ。」王曰く、「諾。」明日見えて惠子に謂いて曰く、「願わくは先生の事を言うは則ち直言せよ、譬うる無かれ。」惠子曰く、「今此こに人有りて彈を知らざるに、『彈の狀は何の若きか』と曰わば、應えて『彈の狀は彈の如し』と曰わば、諭らんか。」王曰く、「未だ諭らざるなり。」「是に於て更に應えて『彈の狀は弓の如くにして竹を以て弦と爲す』と曰わば、則ち知らんか。」王曰く、「知るべし。」惠子曰く、「夫れ說く者は固より其の知る所を以て、其の知らざる所を諭し、人をして之を知らしむ。今王『譬うる無かれ』と曰わば、則ち不可なり。」王曰く、「善し。」