省諐録 / 第3条
人所不及知。而我獨知之。人所不及能。而我獨能之。是亦荷天之寵也。荷天之寵如此。而惟爲一身計。不爲天下計。則其負天也。豈不亦大乎。
新字:人所不及知。而我独知之。人所不及能。而我独能之。是亦荷天之寵也。荷天之寵如此。而惟為一身計。不為天下計。則其負天也。豈不亦大乎。
書き下し
人の及び知らざる所にして、我獨り之を知る。人の及び能くせざる所にして、我獨り之を能くす。是れ亦天の寵を荷ふなり。天の寵を荷ふこと此くの如くにして、惟だ一身の爲に計りて、天下の爲に計らざれば、則ち其の天に負くこと、豈亦大ならずや。
現代語訳
人々が思い及ばず知らないことを、自分だけが知っている。人々にはできないことを、自分だけができる。これもまた、天の寵愛を受けているということです。このように天の寵愛を受けながら、ただ自分一身のためだけを考えて、天下のためには考えないなら、天に背くことは、なんと大きいことではないでしょうか。
解説
自分だけが知り、自分だけができることは、天の寵愛を受けている証だと捉える条です。そして、その寵を受けながら一身の計ばかりで天下の計をしないなら、天に背く罪は大きいと結びます。ここでの「天下」は、当時の言い方で社会全体や公の事を指します。特別な知識や技能を持つことを、誇る材料ではなく、責任の根拠として語っているのが特徴です。現代の職場でも、専門性が高い人ほど、その力を自分の評価や保身のためだけに使っていないかが問われます。自分にしかできない仕事を、周囲や組織、顧客のためにどう使うかという視点で、見直す手がかりになります。
この章句が説くこと
天の寵天下使命専門性責任省諐録
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