春秋左氏伝 / 昭公二十九年 豢龍氏と御龍氏
魏獻子問於蔡墨曰:「吾聞之,蟲莫知於龍,以其不生得也。謂之知,信乎?」對曰:「人實不知,非龍實知。古者畜龍,故國有豢龍氏,有御龍氏。」獻子曰:「是二氏者,吾亦聞之,而不知其故,是何謂也?」對曰:「昔有飂叔安,有裔子曰董父,實甚好龍,能求其耆欲以飲食之,龍多歸之。乃擾畜龍,以服事帝舜。帝賜之姓曰董,氏曰豢龍。封諸鬷川,鬷夷氏其後也。故帝舜氏世有畜龍。及有夏孔甲,擾于有帝。帝賜之乘龍,河、漢各二,各有雌雄,孔甲不能食,而未獲豢龍氏。有陶唐氏既衰,其後有劉累,學擾龍于豢龍氏,以事孔甲,能飲食之。夏后嘉之,賜氏曰御龍,以更豕韋之後。龍一雌死,潛醢以食夏后。夏后饗之,既而使求之。懼而遷于魯縣,范氏其後也。」獻子曰:「今何故無之?」
新字:魏献子問於蔡墨曰:「吾聞之,虫莫知於竜,以其不生得也。謂之知,信乎?」対曰:「人実不知,非竜実知。古者畜竜,故国有豢竜氏,有御竜氏。」献子曰:「是二氏者,吾亦聞之,而不知其故,是何謂也?」対曰:「昔有飂叔安,有裔子曰董父,実甚好竜,能求其耆欲以飲食之,竜多帰之。乃擾畜竜,以服事帝舜。帝賜之姓曰董,氏曰豢竜。封諸鬷川,鬷夷氏其後也。故帝舜氏世有畜竜。及有夏孔甲,擾于有帝。帝賜之乗竜,河、漢各二,各有雌雄,孔甲不能食,而未獲豢竜氏。有陶唐氏既衰,其後有劉累,学擾竜于豢竜氏,以事孔甲,能飲食之。夏后嘉之,賜氏曰御竜,以更豕韋之後。竜一雌死,潜醢以食夏后。夏后饗之,既而使求之。懼而遷于魯県,范氏其後也。」献子曰:「今何故無之?」
書き下し
魏獻子、蔡墨に問ひて曰く、「吾之を聞く、蟲は龍より知なるは莫し、其の生きながら得られざるを以ってなりと。之を知と謂ふ、信なるか」と。對へて曰く、「人實に知らず、龍實に知なるに非ず。古は龍を畜ふ、故に國に豢龍氏有り、御龍氏有り」と。獻子曰く、「是の二氏は、吾も亦た之を聞けども、其の故を知らず。是れ何の謂ぞや」と。對へて曰く、「昔飂叔安有り、裔子有りて董父と曰ふ。實に甚だ龍を好み、能く其の耆欲を求めて以って之に飲食せしむ。龍多く之に歸す。乃ち龍を擾(なら)し畜ひ、以って帝舜に服事す。帝之に姓を賜ひて董と曰ひ、氏を豢龍と曰ふ。諸を鬷川に封ず、鬷夷氏は其の後なり。故に帝舜氏は世々龍を畜ふこと有り。有夏の孔甲に及び、有帝に擾(したが)ふ。帝之に乘龍を賜ふ、河・漢各々二、各々雌雄有り。孔甲食(やしな)ふこと能はず、而して未だ豢龍氏を獲ず。有陶唐氏既に衰へ、其の後に劉累有り、龍を擾すことを豢龍氏に學び、以って孔甲に事へ、能く之に飲食せしむ。夏后之を嘉し、氏を賜ひて御龍と曰ひ、以って豕韋の後に更(か)ふ。龍の一雌死す、潛かに醢(ししびしほ)にして以って夏后に食はしむ。夏后之を饗し、既にして之を求めしむ。懼れて魯縣に遷る、范氏は其の後なり」と。獻子曰く、「今何の故に之無きや」と。
現代語訳
魏献子(魏舒、晋の執政)が蔡墨(晋の史官、史墨とも)に尋ねた。「私はこう聞いている。生き物のうちで龍ほど知恵のあるものはない、生け捕りにされないからだ、と。これを知恵があると言うのは本当だろうか」。蔡墨は答えた。「人が実際に知らないのであって、龍が実際に賢いのではありません。昔は龍を飼っていました。だから国には豢龍氏があり、御龍氏があったのです」。献子は言った。「その二つの氏族のことは私も聞いているが、そのいわれを知らない。どういうことなのか」。蔡墨は答えた。「昔、飂叔安という者がいて、その子孫に董父という者がいました。まことに龍を好み、龍の好むものを探し求めて飲ませ食わせることができたので、龍が多く彼のもとに集まりました。そこで龍を馴らして飼い、それによって帝舜に仕えました。帝は彼に董という姓を与え、豢龍(龍を養う者)という氏を与えました。鬷川に封じられ、鬷夷氏はその子孫です。こうして帝舜の一族の世には代々龍を飼うことがあったのです。夏の孔甲の時代になると、孔甲は天帝に従順であったので、天帝は乗る龍を賜りました。黄河と漢水にそれぞれ二頭ずつ、それぞれ雌雄がいました。ところが孔甲は龍を養うことができず、しかも豢龍氏の者を得られませんでした。陶唐氏(堯の一族)はすでに衰えていましたが、その子孫に劉累という者がいて、龍を馴らす術を豢龍氏から学び、それで孔甲に仕え、龍に飲ませ食わせることができました。夏后(孔甲)はこれを嘉して、御龍(龍を御する者)という氏を与え、豕韋氏の後継に替えました。ところが雌の龍が一頭死んだので、劉累はひそかにそれを塩辛にして夏后に食べさせました。夏后はそれを賞味したうえで、やがて龍を出すよう求めました。劉累は恐れて魯県に移り住みました。范氏はその子孫です」。献子は言った。「今はどうして龍がいないのか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『玉勝間』五の巻 しのぶもぢずりされどまことに然かなりけんも知りがたきを、ひたぶるに偽言なりとは云うべくもあらず。その石の事は、とまれかくまれ、信夫郡より出だせりし事は、論無きをや。
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『玉勝間』三の巻 五十師原山辺御井四つには、斎内親王の宮仕えし給うことならば、いつきのみことも、ひめみことも何とも、其御事と聞こゆる詞あるべきに、さること一言も無くて、ゆくりなく大宮づかえと云うべき物かは。唯だ天皇に仕え奉る女官たちなる事、論無き物をや。五つには、ももしきの大宮人とは、天皇に仕え奉る人とこそ聞こえたれ。たとい本は大内より来し人なればとても、今斎王に仕え奉り居る人を、うちまかせて然か云わん事はいかが。六つには、もし斎王の大御神に仕え給う事を詠める歌ならむには、反歌に御井の事のみを詠めるは、何のよしぞや。七つには、かの鈴鹿郡なる山の辺の事を、俗説なりとて、やぶられたるもあたらず。俗説とは、赤人の跡と云う事なり。赤人の事は、山辺という地の名によりて、附会したる物なれば、其説こそ俗説なれ、それをとり捨てたらむに、何の俗なる事か有らん。そもそもしか赤人の事を云いよせたるも、もと山辺という所、又古き清水のある故なれば、それもかえりて、古き跡なる証とこそすべけれ。又かの山辺村に、古え倭姫の命の宮有りしと云うも、偽なりとて、そのよしを論ぜられたるもあたらず。
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『驢鞍橋』卷下去る夜半に曰く、兎角移らぬ物哉。あゝ苦労して何の用にも立たず、頓て打腐りて、只在りて果す迄よと也。
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『夜船閑話』序住菴の諸子各々悲泣作礼して云く、吾が師大慈大悲、願くは内観の大略を書せよ。書して留めて後来禅病疲倦吾が輩の如き者を救へ。師即ち頷す。立処に草稿成る。
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『夜船閑話』序此において諸子旧書櫃を開けば、草稿、蠹魚の腹中に葬らるゝ者中葉に過たり。諸子即ち訂正伝写して、既に五十来紙を見る。即ち封裹して以て京師に寄せんとす。予が馬歯一日も諸子に長たるを以て其端由を書せんことを責む。予も亦辞せずして書す。
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『驢鞍橋』卷下良有て曰く、内々聞きしこと、其地の修行者衆、我物語を聞き得たる人一人も□なし、皆違つて居ると云ふ。何れも我前にては聞かるゝやうなれども、或は法語々録等を見て、人人仏法を修し、我法を修する人なし。しかも我物語をも、是等と一つに思へり。我云ふはずつきと別也。只牙咬をして死ぬこと一つを窮むること也。誠に若き時より八十迄如是用ゐ来る計也。更に仏法に非ず。我もそつと若くんば、其地へ上り、我物語を聞きし人人に往き逢ひ、正三か物語を聞きたと云ひめさるゝな、皆ちかへり必す沙汰めさるゝな。正三が沙汰ふつゝといやなりと云ひ渡し度思ふと也。
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