春秋左氏伝 / 昭公二十七年 郤氏の族滅
使退其師。曰。乘亂不祥。吳乘我喪。我乘其亂。不亦可乎。令尹使視郤氏。則有甲焉。不往。召鄢將師而告之。將師退。遂令攻郤氏。且爇之。子惡聞之。遂自殺也。國人弗爇。令曰。不爇郤氏。與之同罪。或取一編菅焉。或取一秉稈焉。國人投之。遂弗爇也。令尹炮之。盡滅郤氏之族黨。殺陽令終。與其弟完。及佗。與晉。陳。及其子弟。晉陳之族。呼於國曰。鄢氏費氏。自以為王。專禍楚國。弱寡王室。蒙王與令尹。以自利也。令尹盡信之矣。國將如何。令尹病之。
新字:使退其師。曰。乗乱不祥。呉乗我喪。我乗其乱。不亦可乎。令尹使視郤氏。則有甲焉。不往。召鄢将師而告之。将師退。遂令攻郤氏。且爇之。子悪聞之。遂自殺也。国人弗爇。令曰。不爇郤氏。与之同罪。或取一編菅焉。或取一秉稈焉。国人投之。遂弗爇也。令尹炮之。尽滅郤氏之族党。殺陽令終。与其弟完。及佗。与晋。陳。及其子弟。晋陳之族。呼於国曰。鄢氏費氏。自以為王。専禍楚国。弱寡王室。蒙王与令尹。以自利也。令尹尽信之矣。国将如何。令尹病之。
書き下し
其の師を退かしめて曰く、『亂に乘ずるは不祥なり』と。吳我が喪に乘ず、我其の亂に乘ず、亦た可ならずや」と。令尹、郤氏を視しむれば、則ち甲有り。往かず。鄢將師を召して之に告ぐ。將師退きて、遂に郤氏を攻め、且つ之を爇(や)かしむ。子惡之を聞きて、遂に自殺するなり。國人爇かず。令して曰く、「郤氏を爇かずんば、之と罪を同じくせん」と。或いは一編の菅を取り、或いは一秉の稈を取る。國人之を投じて、遂に爇かざるなり。令尹之を炮(や)く。盡く郤氏の族黨を滅ぼし、陽令終と其の弟完及び佗とを殺し、晉陳及び其の子弟に與ぶ。晉陳の族、國に呼びて曰く、「鄢氏・費氏、自ら以って王と為し、專ら楚國に禍し、王室を弱寡にし、王と令尹とを蒙(くら)まして、以って自ら利するなり。令尹盡く之を信ず。國將に如何せん」と。令尹之を病む。
現代語訳
軍を退かせ、『乱に乗じるのは不吉だ』と言いました。呉はわが国の喪に乗じて攻めてきたのですから、われらが呉の乱に乗じるのは当然ではありませんか」。令尹が人をやって郤氏の家を見させると、はたして甲冑があった。令尹は宴に行かず、鄢将師を呼んでこれを告げた。鄢将師は退出すると、郤氏を攻めさせ、さらにその家を焼かせようとした。子悪(郤宛)はこれを聞いて自殺した。国人は家を焼こうとしなかった。令尹は「郤氏の家を焼かない者は、郤氏と同罪とする」と命じた。ある者は一束の菅を取り、ある者は一握りの藁を取ったが、国人はそれを投げ捨てて、結局焼かなかった。そこで令尹は自ら火を放って焼いた。郤氏の一族と仲間をことごとく滅ぼし、陽令終(中廏尹)とその弟の完と佗、さらに晋陳とその子や弟たちまで殺した。晋陳の一族は都で叫んだ。「鄢氏と費氏は自ら王のようにふるまい、楚国をほしいままに災いに陥れ、王室を弱め、王と令尹の目をくらまして私利を図っている。令尹はそれをすべて信じてしまっている。この国はどうなるのか」。令尹はこれを気に病んだ。
解説
この章句が説くこと
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