春秋左氏伝 / 昭公二十七年 費無極、郤宛を譖す
郤宛直而和。國人說之。鄢將師為右領。與費無極比而惡之。令尹子常賄而信讒。無極譖郤宛焉。謂子常曰。子惡欲飲子酒。又謂子惡。令尹欲飲酒於子氏。子惡曰。我賤人也。不足以辱令尹。令尹將必來辱。為惠已甚。吾無以酬之。若何。無極曰。令尹好甲兵。子出之。吾擇焉。取五甲五兵。曰。寘諸門。令尹至。必觀之。而從以酬之。及饗日。帷諸門左。無極謂令尹曰。吾幾禍子。子惡將為子不利。甲在門矣。子必無往。且此役也。吳可以得志。子惡取賂焉而還。又誤群帥。
新字:郤宛直而和。国人説之。鄢将師為右領。与費無極比而悪之。令尹子常賄而信讒。無極譖郤宛焉。謂子常曰。子悪欲飲子酒。又謂子悪。令尹欲飲酒於子氏。子悪曰。我賤人也。不足以辱令尹。令尹将必来辱。為恵已甚。吾無以酬之。若何。無極曰。令尹好甲兵。子出之。吾択焉。取五甲五兵。曰。寘諸門。令尹至。必観之。而従以酬之。及饗日。帷諸門左。無極謂令尹曰。吾幾禍子。子悪将為子不利。甲在門矣。子必無往。且此役也。呉可以得志。子悪取賂焉而還。又誤群帥。
書き下し
郤宛は直にして和なり。國人之を說ぶ。鄢將師(えんしょうし)右領と為り、費無極と比して之を惡む。令尹子常は賄(まいなひ)ありて讒を信ず。無極、郤宛を焉に譖す。子常に謂ひて曰く、「子惡、子に酒を飲ましめんと欲す」と。又子惡に謂ふ、「令尹、酒を子の氏に飲まんと欲す」と。子惡曰く、「我は賤人なり、以って令尹を辱むるに足らず。令尹將に必ず來辱せんとす。惠を為すこと已(すで)に甚だし。吾以って之に酬ゆる無し。若何せん」と。無極曰く、「令尹は甲兵を好む。子之を出せ。吾擇ばん」と。五甲五兵を取りて曰く、「諸を門に寘け。令尹至らば、必ず之を觀ん。而して從ひて以って之を酬いよ」と。饗日に及び、諸を門の左に帷す。無極令尹に謂ひて曰く、「吾幾ど子に禍せんとす。子惡將に子の為に不利ならんとす。甲門に在り。子必ず往くこと無かれ。且つ此の役や、吳以って志を得可かりしに、子惡賂を取りて還り、又群帥を誤りて、
現代語訳
郤宛(げきえん、楚の左尹、字は子悪)は真っすぐで穏やかな人柄で、国人に好かれていた。鄢将師(えんしょうし)は右領(楚の官職)となり、費無極と結託して郤宛を憎んだ。令尹の子常(囊瓦)は賄賂を好み、讒言を信じる人物であった。費無極は郤宛を陥れようとして、子常にこう言った。「子悪があなたに酒をふるまいたいと言っています」。一方で子悪にはこう言った。「令尹があなたの家で酒を飲みたいとおっしゃっています」。子悪は言った。「私は身分の低い者で、令尹においでいただくには足りません。令尹が必ずおいでくださるなら、これ以上ない恩恵です。私にはそれにお返しするものがありません。どうしたらよいでしょう」。費無極は言った。「令尹は甲冑や武器がお好きです。あなたの持っているものを出してください。私が選びましょう」。そして甲冑五領と武器五つを取り出して言った。「これを門のところに置いておきなさい。令尹が来れば必ずご覧になるでしょうから、そのときにこれを差し上げてお返しとしなさい」。宴の日になると、郤宛はそれを門の左側に幕で覆って置いた。費無極は令尹に言った。「私はもう少しであなたを災難に遭わせるところでした。子悪はあなたに害をなそうとしています。甲冑が門に用意してあります。決して行ってはなりません。しかも先の戦役では、呉を打ち負かすことができたのに、子悪は賄賂を受け取って引き返し、さらに将軍たちを惑わせて、
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』襄公二十一年 欒祁の讒訴齊侯慶佐をして大夫と為さしむ。復た公子牙の黨を討じ、公子買を句瀆の丘に執ふ。公子鉏來奔す。叔孫還燕に奔る。夏、楚の子庚卒す。楚子薳子馮をして令尹と為さしめんとし、申叔豫に訪ふ。叔豫曰く、「國に寵多くして王弱し。國為む可からざるなり」と。遂に疾を以って辭す。方に暑きに、地を闕(ほ)りて冰を下し、而して床す。繭を重ね裘を衣、食を鮮(すく)なくして寢ぬ。楚子醫をして之を視しむ。復して曰く、「瘠(や)すること則ち甚だし。而れども血氣未だ動かず」と。乃ち子南をして令尹と為さしむ。欒桓子范宣子に娶りて、懷子を生む。范鞅其の亡げしを以って、欒氏を怨む。故に欒盈と公族大夫と為りて、相能くせず。桓子卒す。欒祁其の老州賓と通じ、幾ど室を亡ぼさんとす。懷子之を患ふ。祁其の討を懼れ、諸を宣子に愬へて曰く、「盈將に亂を為さんとす。范氏を以って桓主を死なしめて政を專らにすと為せり。曰く、『吾が父鞅を逐ふや、怒らずして寵を以って之に報ゆ。又吾と官を同じくして之を專らにす。吾が父死して益々富む。吾が父を死なしめて國に專らなり。死有るのみ、吾之に從ふこと蔑(な)からん』と。其の謀是くの如し。主を害せんことを懼る。吾敢へて言はずんばあらず」と。范鞅之が徵を為す。懷子施しを好み、士多く之に歸す。宣子其の士の多きを畏れ、之を信ず。懷子下卿為り。宣子著に城かしめて遂に之を逐ふ。
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『春秋左氏伝』成公十六年 穆姜、二子を逐わしむ宣伯穆姜に通じ、季・孟を去りて、其の室を取らんと欲す。將に行かんとす。穆姜公を送りて、二子を逐はしめんとす。公晉の難を以って告げて曰く、「請ふ反りて命を聽かん」と。姜怒る。公子偃・公子鉏、趨り過ぐ。之を指して曰く、「女可かずんば、是れ皆君なり」と。公壞隤に待ち、宮を申ね儆備し、守を設けて而る後に行く。是を以って後る。孟獻子をして公宮を守らしむ。秋、沙隨に會す。鄭を伐たんことを謀るなり。宣伯郤犨に告げしめて曰く、「魯侯壞隤に待つ、以って勝者を待つなり」と。郤犨新軍に將たり、且つ公族大夫為り、以って東諸侯を主る。貨を宣伯に取りて、公を晉侯に訴ふ。晉侯公に見えず。曹人晉に請ひて曰く、「我が先君宣公即世してより、國人曰く、『之を若何せん』と。憂ひ猶ほ未だ弭まず。而るに又我が寡君を討ち、以って曹國の社稷の鎮たる公子を亡はしむ。是れ大いに曹を泯ぼすなり。先君乃ち罪有る無からんや。若し罪有らば、則ち君諸を會に列せり。君唯だ德刑を遺れずして、以って諸侯に伯たり。豈に獨り諸を敝邑に遺れんや。敢へて私かに之を布く」と。
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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