春秋左氏伝 / 成公十六年 穆姜、二子を逐わしむ
宣伯通於穆姜。欲去季孟。而取其室。將行。穆姜送公。而使逐二子。公以晉難告。曰。請反而聽命。姜怒。公子偃。公子鉏。趨過指之曰。女不可。是皆君也。公待於壞隤。申宮儆備。設守而後行。是以後。使孟獻子守于公宮。秋。會于沙隨。謀伐鄭也。宣伯使告郤犨曰。魯侯待于壞隤。以待勝者。郤犨將新軍。且為公族大夫。以主東諸侯。取貨于宣伯。而訴公于晉侯。晉侯不見公。曹人請于晉曰。自我先君宣公即世。國人曰。若之何。憂猶未弭。而又討我寡君。以亡曹國社稷之鎮公子。是大泯曹也。先君無乃有罪乎。若有罪。則君列諸會矣。君唯不遺德刑。以伯諸侯。豈獨遺諸敝邑。敢私布之。
新字:宣伯通於穆姜。欲去季孟。而取其室。将行。穆姜送公。而使逐二子。公以晋難告。曰。請反而聴命。姜怒。公子偃。公子鉏。趨過指之曰。女不可。是皆君也。公待於壊隤。申宮儆備。設守而後行。是以後。使孟献子守于公宮。秋。会于沙随。謀伐鄭也。宣伯使告郤犨曰。魯侯待于壊隤。以待勝者。郤犨将新軍。且為公族大夫。以主東諸侯。取貨于宣伯。而訴公于晋侯。晋侯不見公。曹人請于晋曰。自我先君宣公即世。国人曰。若之何。憂猶未弭。而又討我寡君。以亡曹国社稷之鎮公子。是大泯曹也。先君無乃有罪乎。若有罪。則君列諸会矣。君唯不遺徳刑。以伯諸侯。豈独遺諸敝邑。敢私布之。
書き下し
宣伯穆姜に通じ、季・孟を去りて、其の室を取らんと欲す。將に行かんとす。穆姜公を送りて、二子を逐はしめんとす。公晉の難を以って告げて曰く、「請ふ反りて命を聽かん」と。姜怒る。公子偃・公子鉏、趨り過ぐ。之を指して曰く、「女可かずんば、是れ皆君なり」と。公壞隤に待ち、宮を申ね儆備し、守を設けて而る後に行く。是を以って後る。孟獻子をして公宮を守らしむ。秋、沙隨に會す。鄭を伐たんことを謀るなり。宣伯郤犨に告げしめて曰く、「魯侯壞隤に待つ、以って勝者を待つなり」と。郤犨新軍に將たり、且つ公族大夫為り、以って東諸侯を主る。貨を宣伯に取りて、公を晉侯に訴ふ。晉侯公に見えず。曹人晉に請ひて曰く、「我が先君宣公即世してより、國人曰く、『之を若何せん』と。憂ひ猶ほ未だ弭まず。而るに又我が寡君を討ち、以って曹國の社稷の鎮たる公子を亡はしむ。是れ大いに曹を泯ぼすなり。先君乃ち罪有る無からんや。若し罪有らば、則ち君諸を會に列せり。君唯だ德刑を遺れずして、以って諸侯に伯たり。豈に獨り諸を敝邑に遺れんや。敢へて私かに之を布く」と。
現代語訳
宣伯(叔孫僑如、魯の卿)は成公の母の穆姜と密通しており、季氏(季文子)と孟氏(孟献子)を除いて、その家産を奪おうとしていた。成公が鄢陵の戦いに出発しようとすると、穆姜は成公を見送りながら、二人を追放させようとした。成公は晋の危急を理由に告げて言った。「どうか戻ってからご命令を承りたい」。穆姜は怒った。そこへ公子偃と公子鉏(ともに成公の異母弟)が小走りに通りかかった。穆姜は二人を指さして言った。「おまえが承知しないなら、この者たちはみな君になれるのだぞ」。成公は壊隤に留まり、宮殿の警備を重ねて厳しくし、守りを固めてから出発した。そのため決戦に遅れた。孟献子に公宮を守らせた。秋、諸侯は沙随で会合した。鄭を討つ相談のためである。宣伯は郤犨に人をやって告げさせた。「魯侯が壊隤に留まっていたのは、どちらが勝つかを見極めて、勝った側につこうとしたからです」。郤犨は新軍の将であり、また公族大夫として東方の諸侯のことを取り仕切っていた。彼は宣伯から賄賂を受け取り、成公のことを晋侯に訴えた。晋侯は成公に会わなかった。曹の人々が晋に願い出て言った。「わが先君宣公が世を去って以来、国人は『どうしたらよいのか』と言い続け、その憂いがまだ収まっていません。それなのにまたわが君(成公)を討ち、曹国の社稷の要である公子(子臧)を国外に去らせました。これは曹を大いに滅ぼすことです。わが先君に罪があったというのでしょうか。もし罪があったのなら、君はどうして先君を会盟に列せられたのでしょう。君は徳と刑罰の両方を忘れずに行うことで諸侯の覇者となっておられます。どうして私どもの国にだけそれをお忘れになるのでしょう。あえて内々に申し上げます」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』成公十七年 晋の厲公、三郤を疑う十二月、盧降る。國勝をして難を晉に告げしめ、命を清に待たしむ。晉の厲公侈(おご)りて、外嬖多し。鄢陵より反(かへ)り、盡く群大夫を去りて其の左右を立てんと欲す。胥童、胥克の廢せらるるを以て、郤氏を怨み、而して厲公に嬖せらる。郤錡、夷陽五の田を奪ふ。五も亦た厲公に嬖せらる。郤犨、長魚矯と田を爭ひ、執へて之を梏(こく)し、其の父母妻子と轅(ながえ)を同一にす。既にして矯も亦た厲公に嬖せらる。欒書、郤至を怨む、其の己に從はずして楚師を敗りしを以てなり。之を廢せんと欲す。楚の公子茷をして公に告げしめて曰く、「此の戰ひや、郤至實に寡君を召けり。東師の未だ至らざると、軍帥の具はらざるとを以て、曰く、『此れ必ず敗れん。吾因りて孫周を奉じて以て君に事へん』と」と。公、欒書に告ぐ。書曰く、「其れ有らん。然らずんば、豈に其の死を之れ恤(うれ)へずして、敵の使を受けんや。君盍(なん)ぞ嘗みに諸を周に使はして之を察せざる」と。郤至、周に聘す。欒書、孫周をして之に見えしむ。公、之を覘(うかが)はしむるに信なり。遂に郤至を怨む。厲公田(かり)す。婦人と先づ殺して酒を飲み、後に大夫をして殺さしむ。郤至、豕を奉ず。寺人孟張、之を奪ふ。郤至、射て之を殺す。公曰く、
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史記 孟嘗君列伝居ること数年、人或ひと孟嘗君を斉の湣王に毀りて曰く、「孟嘗君将に乱を為さんとす」と。田甲の湣王を劫かすに及び、湣王意に孟嘗君を疑ふ、孟嘗君乃ち奔る。魏子の粟を与へし所の賢者これを聞き、乃ち上書して孟嘗君の乱を作さざるを言ひ、身を以て盟と為さんことを請ひ、遂に宮門に自剄して以て孟嘗君を明らかにす。湣王乃ち驚き、而して蹤跡験問す、孟嘗君果たして反謀無し、乃ちまた孟嘗君を召す。孟嘗君因りて病を謝し、帰りて薛に老せんとす。湣王これを許す。その後、秦の亡将呂礼斉に相たり、蘇代を困しめんと欲す。代乃ち孟嘗君に謂ひて曰く、「周最の斉に於けるや、至って厚し、而るに斉王これを逐ひ、而して親弗の呂礼を相とするを聴くは、秦を取らんと欲すればなり。斉・秦合せば、則ち親弗と呂礼と重からん。用ひらるる有らば、斉・秦必ず君を軽んぜん。君は急ぎ兵を北し、趙に趨きて以て秦・魏と和し、周最を収めて以て行ひを厚くし、且つ斉王の信を反し、また天下の変を禁ずるに如かず。斉に秦無くんば、則ち天下斉に集まり、親弗必ず走らん、則ち斉王孰と与にその国を為めん」と。是に於いて孟嘗君その計に従ふ、而して呂礼孟嘗君を嫉み害せんとす。孟嘗君懼れ、乃ち秦の相穣侯魏冉に書を遺りて曰く、「吾聞く、秦は呂礼を以て斉を収めんと欲すと。斉は天下の彊国なり、子必ず軽んぜられん。斉・秦相取りて以て三晋に臨まば、呂礼必ず并せて相たらん、是れ子は斉に通じて以て呂礼を重くするなり。若し斉天下の兵を免れば、その子を讎とすること必ず深からん。子は秦王に勧めて斉を伐たしむるに如かず。斉破れなば、吾請ふ得る所を以て子を封ぜん。斉破れなば、秦は晋の彊きを畏れ、秦必ず子を重んじて以て晋を取らん。晋国は斉に敝れて秦を畏れ、晋必ず子を重んじて以て秦を取らん。是れ子は斉を破りて以て功と為し、晋を挟みて以て重きを為すなり。是れ子は斉を破りて封を定め、秦・晋交々子を重んずるなり。若し斉破れずして、呂礼また用ひらるれば、子必ず大いに窮せん」と。
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『春秋左氏伝』成公十六年 晋の政、門多し七月、公尹武公及び諸侯に會して鄭を伐つ。將に行かんとす。姜又公に命ずること初めの如し。公又守を申ねて行く。諸侯の師、鄭の西に次る。我が師督揚に次り、敢へて鄭を過ぎず。子叔聲伯叔孫豹をして逆を晉の師に請はしめ、食を鄭の郊に為る。師逆へて以って至る。聲伯四日食はずして以って之を待ち、使者に食はしめて、而る後に食ふ。諸侯制田に遷る。知武子下軍に佐たり、諸侯の師を以って陳を侵し、鳴鹿に至る。遂に蔡を侵して未だ反らず。諸侯潁上に遷る。戊午、鄭の子罕宵に之に軍し、宋・齊・衞皆軍を失ふ。曹人復た晉に請ふ。晉侯子臧に謂ふ、「反れ。吾而の君を歸さん」と。子臧反り、曹伯歸る。子臧盡く其の邑と卿とを致して、出でず。宣伯郤犨に告げしめて曰く、「魯の季・孟有るは、猶ほ晉の欒・范有るがごときなり。政令是に於いてか成る。今其の謀りて曰く、『晉の政は門多し、從ふ可からざるなり。寧ろ齊・楚に事へん。亡ぶる有るのみ。晉に從ふこと蔑からん』と。若し志を魯に得んと欲せば、請ふ行父を止めて之を殺せ。我蔑を斃して晉に事へん。貳有ること蔑からん。魯貳せずんば、小國必ず睦まじ。然らずんば、歸りて必ず叛かん」と。
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『春秋左氏伝』昭公二十七年 費無極、郤宛を譖す郤宛は直にして和なり。國人之を說ぶ。鄢將師(えんしょうし)右領と為り、費無極と比して之を惡む。令尹子常は賄(まいなひ)ありて讒を信ず。無極、郤宛を焉に譖す。子常に謂ひて曰く、「子惡、子に酒を飲ましめんと欲す」と。又子惡に謂ふ、「令尹、酒を子の氏に飲まんと欲す」と。子惡曰く、「我は賤人なり、以って令尹を辱むるに足らず。令尹將に必ず來辱せんとす。惠を為すこと已(すで)に甚だし。吾以って之に酬ゆる無し。若何せん」と。無極曰く、「令尹は甲兵を好む。子之を出せ。吾擇ばん」と。五甲五兵を取りて曰く、「諸を門に寘け。令尹至らば、必ず之を觀ん。而して從ひて以って之を酬いよ」と。饗日に及び、諸を門の左に帷す。無極令尹に謂ひて曰く、「吾幾ど子に禍せんとす。子惡將に子の為に不利ならんとす。甲門に在り。子必ず往くこと無かれ。且つ此の役や、吳以って志を得可かりしに、子惡賂を取りて還り、又群帥を誤りて、
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史記 老子韓非列伝人或いは其の書を伝へて秦に至る。秦王、孤憤・五蠹の書を見て曰く、「嗟乎、寡人此の人を見、之と游ぶを得ば、死すとも恨みじ」と。李斯曰く、「此れ韓非の著す所の書なり」と。秦因りて急に韓を攻む。韓王、始め非を用ゐず、急なるに及び、乃ち非を遣り秦に使ひせしむ。秦王之を悦ぶも、未だ信用せず。李斯・姚賈之を害み、之を毀りて曰く、「韓非は韓の諸公子なり。今王、諸侯を并せんと欲するに、非は終に韓の為にして秦の為にせず、此れ人の情なり。今王用ゐずして久しく留めて之を帰すは、此れ自ら患ひを遺すなり。過法を以て之を誅するに如かず」と。秦王、以て然りと為し、吏に下して非を治む。李斯、人をして非に薬を遺らしめ、自殺せしむ。韓非、自ら陳べんと欲するも、見ゆるを得ず。秦王後に之を悔い、人をして之を赦さしむるに、非已に死せり。申子・韓子皆書を著し、後世に伝はり、学ぶ者多く有り。余独り韓子の説難を為りて自ら脱する能はざりしを悲しむのみ。
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史記 魯仲連鄒陽列伝蘇秦燕に相たり、燕人之を王に悪す。王剣を按じて怒り、食はすに駃騠を以てす。白圭中山に顕はる。中山の人之を魏の文侯に悪す。文侯之に投ずるに夜光の璧を以てす。何となれば、両主二臣、心を剖き肝を坼きて相信ず。豈に浮辞に移らんや。故に女に美悪無く、宮に入れば妒まる。士に賢不肖無く、朝に入れば嫉まる。昔者、司馬喜は宋に髕脚せられ、卒に中山に相たり。范睢は魏に脅を摺かれ歯を折られ、卒に応侯と為る。此の二人は、皆必然の画を信じ、朋党の私を捐て、孤独の位を挟む。故に自ら嫉妒の人より免るる能はざるなり。是を以て申徒狄は自ら河に沈み、徐衍は石を負ひて海に入る。世に容れられず、義茍取せず、朝に比周して以て主上の心を移さず。故に百里奚は路に食を乞ふも、繆公之に委ぬるに政を以てす。甯戚は車下に牛を飯ふも、而して桓公之に任ずるに国を以てす。此の二人は、豈に宦を朝に借り、誉を左右に仮りて、然る後に二主之を用ひんや。心に感じ、行に合ひ、膠漆より親しく、昆弟も離す能はず。豈に衆口に惑はんや。故に偏聴は姦を生じ、独任は乱を成す。昔者、魯は季孫の説を聴きて孔子を逐ひ、宋は子罕の計を信じて墨翟を囚ふ。夫れ孔・墨の弁を以てするも、自ら讒諛より免るる能はずして、二国以て危し。何となれば、衆口は金を鑠かし、積毀は骨を銷せばなり。是を以て秦は戎人由余を用ひて中国に霸たり、斉は越人蒙を用ひて威・宣を彊くす。此の二国は、豈に俗に拘はり、世に牽かれ、阿偏の辞に系らんや。公聴并観して、名を当世に垂る。故に意合へば則ち胡越も昆弟と為る、由余・越人蒙是なり。合はざれば則ち骨肉も出逐して収めず、朱・象・管・蔡是なり。今、人主誠に能く斉・秦の義を用ひ、宋・魯の聴を後にせば、則ち五伯も称するに足らず、三王も為し易きなり。
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