春秋左氏伝 / 昭公二十七年 専諸、魚中に剣を寘く
夏。四月。光伏甲於堀室而享王。王使甲坐於道。及其門。門階戶席。皆王親也。夾之以鈹。羞者獻體改服於門外。執羞者坐行而入。執鈹者夾承之。及體以相授也。光偽足疾。入于堀室。鱄設諸寘劍於魚中以進。抽劍刺王。鈹交於胸。遂弒王。闔廬以其子為卿。季子至曰。苟先君無廢祀。民人無廢主。社稷有奉。國家無傾。乃吾君也。吾誰敢怨。哀死事生。以待天命。非我生亂。立者從之。先人之道也。復命哭墓。復位而待。吳公子掩餘奔徐。公子燭庸奔鍾吾。楚師聞吳亂而還。
新字:夏。四月。光伏甲於堀室而享王。王使甲坐於道。及其門。門階戸席。皆王親也。夾之以鈹。羞者献体改服於門外。執羞者坐行而入。執鈹者夾承之。及体以相授也。光偽足疾。入于堀室。鱄設諸寘剣於魚中以進。抽剣刺王。鈹交於胸。遂弒王。闔廬以其子為卿。季子至曰。苟先君無廃祀。民人無廃主。社稷有奉。国家無傾。乃吾君也。吾誰敢怨。哀死事生。以待天命。非我生乱。立者従之。先人之道也。復命哭墓。復位而待。呉公子掩余奔徐。公子燭庸奔鍾吾。楚師聞呉乱而還。
書き下し
夏、四月、光、甲を堀室に伏せて王を享(きやう)す。王甲をして道に坐せしめ、其の門に及ぶ。門・階・戶・席、皆王の親なり。之を夾むに鈹(ひ)を以ってす。羞(しう)する者は體を獻じ服を門外に改め、羞を執る者は坐行して入る。鈹を執る者之を夾みて承け、體に及ぶを以って相授くるなり。光、足疾を偽りて、堀室に入る。鱄設諸、劍を魚中に寘きて以って進め、劍を抽きて王を刺す。鈹胸に交はる。遂に王を弒す。闔廬其の子を以って卿と為す。季子至りて曰く、「苟くも先君祀を廢する無く、民人主を廢する無く、社稷奉ずる有りて、國家傾く無くんば、乃ち吾が君なり。吾誰をか敢へて怨まん。死を哀しみ生に事へて、以って天命を待たん。我亂を生ずるに非ず。立つ者に之れ從ふは、先人の道なり」と。命を復して墓に哭し、位に復して待つ。吳の公子掩餘は徐に奔り、公子燭庸は鍾吾に奔る。楚の師、吳の亂るるを聞きて還る。
現代語訳
夏四月、公子光は地下室に甲冑の兵を伏せて呉王(僚)を宴に招いた。王は甲冑の兵を道に沿って座らせ、光の家の門まで並べた。門にも階段にも戸口にも席にも、配置されていたのはすべて王の親族であった。両脇を長い両刃の剣で挟んで警護した。料理を運ぶ者は門の外で裸になって着替えさせられ、料理を捧げ持つ者は膝で歩いて入り、剣を持つ者が両側から挟んで見張り、剣先が体に触れるほどの距離で料理を受け渡した。光は足の病を装って地下室に入った。鱄設諸(専諸)は魚の腹の中に剣を隠して進み出ると、剣を抜いて王を刺した。王の護衛の剣が専諸の胸で交差した(専諸もその場で殺された)。こうして王は殺された。闔廬(公子光)は専諸の子を卿にした。季子(季札)が帰国して言った。「先君の祭祀が絶えることなく、民に主君がいなくなることなく、社稷を奉じる者がいて、国家が傾かないのなら、その人こそ私の君である。私が誰を恨むことがあろう。死者を悼み、生きている者に仕えて、天命を待つだけだ。乱を起こしたのは私ではない。立った者に従うのが、先人の道である」。そして使命の報告を行い、僚の墓で哭礼をし、自分の職位に戻って命を待った。呉の公子掩余は徐へ、公子燭庸は鍾吾へ逃れた。楚軍は呉が乱れたと聞いて引き揚げた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
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孔子家語・五儀解哀公孔子に問いて曰く、「夫れ国家の存亡禍福は、信に天命有りて、唯だ人のみに非ざるか。」孔子対えて曰く、「存亡禍福は、皆己のみ。天災地妖は、加うる能わざるなり。」公曰く、「善いかな。吾子の言、豈に其の事有るか。」孔子曰く、「昔者殷王帝辛の世、雀の大鳥を城隅に生む有り。之を占いて曰く、『凡そ小を以て大を生ずれば、則ち国家必ず王として名必ず昌んならん』と。是に於て帝辛雀の徳を介として、国政を修めず、亢暴極まり無く、朝臣救うこと莫く、外寇乃ち至りて、殷国以て亡ぶ。此れ即ち己を以て天時に逆らい、福を詭りて反りて禍と為す者なり。又其の先世殷王太戊の時、道缺け法圮れ、以て夭櫱・桑穀朝に致し、七日にして大いに拱す。之を占う者曰く、『桑穀は野木にして朝に合生せず、意者国亡びんか』と。太戊恐駭し、身を側めて行を修め、先王の政を思い、養民の道を明らかにす。三年の後、遠方義を慕いて重訳して至る者、十有六国。此れ即ち己を以て天時に逆らい、禍を得て福と為す者なり。故に天災地妖は、人主を儆む所以の者なり。寤夢征怪は、人臣を儆む所以の者なり。災妖は善政に勝たず、寤夢は善行に勝たず。能く此を知る者は、至治の極なり。唯だ明王のみ此に達す。」公曰く、「寡人鄙固此くの如きに、亦た君子の教を聞くを得ざりしなり。」
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