春秋左氏伝 / 昭公二十六年 文辞は以て礼を行う
貫瀆鬼神。慢棄刑法。倍奸齊盟。傲很威儀。矯誣先王。晉為不道。是攝是贊。思肆其罔極。茲不穀震盪播越。竄在荊蠻。未有攸厎。若我一二兄弟甥舅。獎順天法。無助狡猾。以從先王之命。毋速天罰。赦圖不穀。則所願也。敢盡布其腹心。及先王之經。而諸侯實深圖之。昔先王之命曰。王后無適。則擇立長。年鈞以德。德鈞以卜。王不立愛。公卿無私。古之制也。穆后及大子壽。早夭即世。單劉贊私立少。以間先王。亦唯伯仲叔季圖之。閔馬父聞子朝之辭曰。文辭以行禮也。子朝干景之命。遠晉之大。以專其志。無禮甚矣。文辭何為。齊有彗星。齊侯使禳之。晏子曰。無益也。祇取誣焉。
新字:貫瀆鬼神。慢棄刑法。倍奸斉盟。傲很威儀。矯誣先王。晋為不道。是摂是賛。思肆其罔極。茲不穀震盪播越。竄在荊蠻。未有攸厎。若我一二兄弟甥舅。獎順天法。無助狡猾。以従先王之命。毋速天罰。赦図不穀。則所願也。敢尽布其腹心。及先王之経。而諸侯実深図之。昔先王之命曰。王后無適。則択立長。年鈞以徳。徳鈞以卜。王不立愛。公卿無私。古之制也。穆后及大子寿。早夭即世。単劉賛私立少。以間先王。亦唯伯仲叔季図之。閔馬父聞子朝之辞曰。文辞以行礼也。子朝干景之命。遠晋之大。以専其志。無礼甚矣。文辞何為。斉有彗星。斉侯使禳之。晏子曰。無益也。祇取誣焉。
書き下し
鬼神を貫瀆し、刑法を慢棄し、齊盟に倍奸し、威儀に傲很(ごうこん)にして、先王を矯誣す。晉道ならずして、是れ攝(たす)け是れ贊け、其の罔極を肆(ほしいまま)にせんと思ふ。茲に不穀震盪播越して、荊蠻に竄(のが)れ、未だ厎(いた)る攸(ところ)有らず。若し我が一二の兄弟甥舅、天法に獎順し、狡猾を助くること無く、以って先王の命に從ひ、天罰を速くこと毋く、赦して不穀を圖らば、則ち願ふ所なり。敢へて盡く其の腹心、及び先王の經を布く。而して諸侯實に深く之を圖れ。昔先王の命に曰く、『王后に適無くんば、則ち擇びて長を立つ。年鈞しければ德を以ってし、德鈞しければ卜を以ってす。王は愛を立てず、公卿は私無し』と。古の制なり。穆后及び大子壽、早く夭して世に即(つ)く。單・劉、私を贊けて少を立て、以って先王を間す。亦た唯だ伯仲叔季之を圖れ」と。閔馬父、子朝の辭を聞きて曰く、「文辭は以って禮を行ふなり。子朝、景の命を干し、晉の大を遠ざけ、以って其の志を專らにす。無禮甚だし。文辭何をか為さん」と。齊に彗星有り。齊侯之を禳(はら)はしむ。晏子曰く、「益無きなり。祇(ただ)誣を取るのみ。
現代語訳
鬼神をたびたび冒涜し、刑法をないがしろにして捨て、諸侯とともに結んだ盟約に背き、礼儀の場では傲慢でかたくなであり、先王の名を偽って欺いている。晋は道にもとり、彼らを助け支えて、その際限のない野心をほしいままにさせようとしている。こうして私、不穀は揺り動かされて流浪し、荊蛮の地(楚)に逃れて、まだ落ち着く先もない。もし我が兄弟・甥・舅にあたる諸侯の方々が、天の法に従い、狡猾な者を助けず、先王の命に従い、天罰を招くことなく、私を許して私のために計ってくださるなら、それこそ願うところである。あえて私の心の内と、先王の定めた常の道とをすべて申し述べる。諸侯の方々には、どうか深くお考えいただきたい。昔、先王の命にこうある。『王后に嫡子がなければ、年長の者を選んで立てる。年が同じなら徳によって選び、徳が同じなら占いによって選ぶ。王は寵愛によって後継を立てず、公卿は私情をはさまない』。これが古の制度である。穆后と太子寿は早くに世を去った。単氏と劉氏は私情を助けて年少の者(敬王)を立て、先王の制度を乱した。これについても、ただ年長・年少の諸侯の方々に計っていただきたい」。閔馬父(魯の大夫)は子朝の言葉を聞いて言った。「文辞というものは礼を行うためのものだ。子朝は景王の命を犯し、大国の晋を遠ざけて、自分の思いを通そうとしている。無礼も甚だしい。文辞に何の意味があろうか」。斉に彗星が現れた。斉侯(景公)は祈祷によってこれを払わせようとした。晏子は言った。「益はありません。ただ神を欺くことになるだけです。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公十五年 典を数えて祖を忘る之を明らかにするに文章を以ってす。子孫忘れず、所謂福なり。福祚の登らざる、叔父焉くに在る。且つ昔而の高祖孫伯黶、晉の典籍を司り、以って大政と為す。故に籍氏と曰ふ。辛有の二子之を董すに及び、晉是に於いてか董史有り。女は司典の後なり。何の故に之を忘るる」と。籍談對ふる能はず。賓出づ。王曰く、「籍父其れ後無からんか。典を數へて其の祖を忘る」と。籍談歸りて以って叔向に告ぐ。叔向曰く、「王其れ終へざらんか。吾之を聞く、『樂しむ所必ず焉に卒ふ』と。今王憂ひを樂しむ。若し憂ひを以って卒へば、終ふと謂ふ可からず。王一歲にして三年の喪二有り。是に於いてか喪賓を以って宴し、又彝器を求む。憂ひを樂しむこと甚だし。且つ禮に非ざるなり。彝器の來るは、功を嘉するに由る、喪に由るに非ざるなり。三年の喪は、貴しと雖も服を遂ぐるは、禮なり。王遂げずと雖も、宴樂以って早し、亦た禮に非ざるなり。禮は、王の大經なり。一動して二禮を失ふ、大經無し。言は以って典を考へ、典は以って經を志す。經を忘れて言多し、典を舉ぐるも將た焉んぞ之を用ひん」と。
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