春秋左氏伝 / 昭公二十六年 王子朝の檄文
天不弔周。王昏不若。用愆厥位。攜王奸命。諸侯替之。而建王嗣。用遷郟鄏。則是兄弟之能用力於王室也。至于惠王。天不靖周。生頹禍心。施于叔帶。惠襄辟難。越去王都。則有晉鄭。咸黜不端。以綏定王家。則是兄弟之能率先王之命也。在定王六年。秦人降妖。曰。周其有髭王。亦克能脩其職。諸侯服享。二世共職。王室其有間王位。諸侯不圖。而受其亂災。至于靈王。生而有髭。王甚神聖。無惡於諸侯。靈王景王。克終其世。今王室亂。單旗。劉狄。剝亂天下。壹行不若。謂先王何常之有。唯余心所命。其誰敢請之。帥群不弔之人。以行亂于王室。侵欲無厭。規求無度。
新字:天不弔周。王昏不若。用愆厥位。攜王奸命。諸侯替之。而建王嗣。用遷郟鄏。則是兄弟之能用力於王室也。至于恵王。天不靖周。生頽禍心。施于叔帯。恵襄辟難。越去王都。則有晋鄭。咸黜不端。以綏定王家。則是兄弟之能率先王之命也。在定王六年。秦人降妖。曰。周其有髭王。亦克能脩其職。諸侯服享。二世共職。王室其有間王位。諸侯不図。而受其乱災。至于霊王。生而有髭。王甚神聖。無悪於諸侯。霊王景王。克終其世。今王室乱。単旗。劉狄。剥乱天下。壱行不若。謂先王何常之有。唯余心所命。其誰敢請之。帥群不弔之人。以行乱于王室。侵欲無厭。規求無度。
書き下し
天周を弔(あはれ)まず、王昏くして若(したが)はず、用って厥の位を愆(うしな)ふ。攜王(けいおう)命を奸(をか)す。諸侯之を替へて、王嗣を建て、用って郟鄏(こうじょく)に遷る。則ち是れ兄弟の能く力を王室に用ふるなり。惠王に至り、天周を靖んぜず、頹に禍心を生じ、叔帶に施(およ)ぶ。惠・襄難を辟け、王都を越え去る。則ち晉・鄭有りて、咸(みな)不端を黜け、以って王家を綏定す。則ち是れ兄弟の能く先王の命に率ふなり。定王の六年に在りて、秦人妖を降して曰く、『周其れ髭王有らん。亦た克く其の職を脩め、諸侯服享し、二世職を共にせん。王室其れ王位を間(うかが)ふもの有らん。諸侯圖らずして、其の亂災を受けん』と。靈王に至り、生まれながらにして髭有り。王甚だ神聖にして、諸侯に惡まるること無し。靈王・景王、克く其の世を終ふ。今王室亂る。單旗・劉狄、天下を剝亂し、壹に若はざるを行ひ、謂ふ、『先王何の常か之れ有らん。唯だ余が心の命ずる所なり。其れ誰か敢へて之を請はん』と。群不弔の人を帥ゐて、以って亂を王室に行ひ、侵欲厭くこと無く、規求度無し。
現代語訳
天は周を憐れまず、幽王は愚かで道に従わず、そのために位を失った。攜王(けいおう、幽王の死後に一派が立てた王)が天命を犯したので、諸侯はこれを退けて正統の王の跡継ぎ(平王)を立て、郟鄏(こうじょく、洛邑)に都を移した。これは兄弟である諸侯が王室のために力を尽くしたということである。恵王の代になると、天は周を安んぜず、王子頹に謀反の心を生じさせ、その禍は叔帯にまで及んだ。恵王と襄王は難を避けて王都を離れた。そのとき晋と鄭がいて、正しくない者をすべて退け、王家を安定させた。これは兄弟である諸侯が先王の命に従ったということである。定王の六年、秦の人々のあいだに不思議なお告げが降った。『周にはひげの生えた王が現れるだろう。その王はよく職務を修め、諸侯は服して貢ぎ物を捧げ、二代にわたって職務を全うするだろう。その後、王室には王位をうかがう者が出るだろう。諸侯がこれを図らなければ、その乱の災いを受けるだろう』。霊王の代になると、王は生まれながらにひげがあった。王は非常に神々しく聖明で、諸侯に憎まれることはなかった。霊王と景王はそれぞれ天寿を全うした。いま王室は乱れている。単旗(単穆公)と劉狄(劉文公)は天下をかき乱し、ひたすら道に外れたことを行い、こう言っている。『先王にどんな決まりがあるものか。ただ私の心が命じるままだ。誰がそれに異を唱えられようか』。彼らは周を顧みない者どもを率いて王室に乱を起こし、侵して欲しがることに飽きることなく、求めることに限度がない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第四十八扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても證拠なきさへ以て御分国をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
-
尚書・君牙嗚呼(ああ)!丕いに顕らかなるかな、文王の謨。丕いに承くるかな、武王の烈。我が後人を啓き佑け、咸く正を以てして欠くる罔し。爾惟れ敬みて乃の訓を明らかにし、用て先王に奉じ若へ。文・武の光命に対揚し、前人に追配せよ。』王若のごとく曰く、『君牙よ、乃惟れ先正に由り、旧典時れ式れ、民の治乱は茲に在り。乃の祖考の行ふ攸に率ひ、乃の辟の乂むる有るを昭らかにせよ。』
-
尚書・周官古に學びて官に入り、事を議するに制を以てすれば、政乃ち迷わず。
-
『甲陽軍鑑』品第四十七其後仰出しには、彼落合彥助事曲淵に年こそおとりたりとも、武辺の事さのみおとる者にてなし、さるについて逍遥軒にとらせ候所に、曲淵が蔵前にて奉行どもに雑言の事赦免せしめてありとて、いつもさやう有べきと存、事下より上をはからふたる様子言語同断、口惜く思召し候、其上第一に彼彥助をあれほどの臆病者にて有べしとは御存知なし、
-
『墨子』耕柱公孟子曰く、「先人に則有り、三のみ」と。子墨子曰く、「孰れか先人にして則有ること三のみと曰わん。子は未だ人の先に有りて後に生ずるを知らざるなり」と。
-
『春秋左氏伝』昭公十三年 奥主有り、外援無し善に下りて齊肅、賄を藏せず、欲に從はず、施舍して倦まず、善を求めて厭かず。是を以って國を有つ、亦た宜ならずや。我が先君文公は、狐季姬の子なり。獻に寵有り。學を好みて貳はず。生まれて十七年、士五人有り。先大夫子餘・子犯有りて、以って腹心と為す。魏犨・賈佗有りて、以って股肱と為す。齊・宋・秦・楚有りて、以って外主と為す。欒・郤・狐・先有りて、以って内主と為す。亡ぐること十九年、志を守ること彌々篤し。惠・懷民を棄て、民從ひて之に與す。獻に異親無く、民に異望無し。天方に晉を相く。將た何を以ってか文に代へん。此の二君は、子干に異なり。共には寵子有り、國には奧主有り。民に施す無く、外に援無し。晉を去れども送らず、楚に歸れども逆へず。何を以ってか國を冀はん」と。晉虒祁を成す。諸侯の朝して歸る者、皆貳心有り。郠を取るが為の故に、晉將に諸侯を以って來り討たんとす。叔向曰く、「諸侯以って威を示さざる可からず」と。乃ち並びに會を徵して吳に告ぐ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る