史記 / 平原君虞卿列伝
平原君趙勝者、趙之諸公子也。諸子中勝最賢、喜賓客、賓客蓋至者數千人。平原君家樓臨民家。民家有躄者、槃散行汲。平原君美人居樓上、臨見、大笑之。明日、躄者至平原君門、請曰、臣願得笑臣者頭。平原君笑應曰、諾。躄者去、平原君笑曰、觀此豎子、乃欲以一笑之故殺吾美人、不亦甚乎。終不殺。居歲餘、賓客門下舍人稍稍引去者過半。門下一人前對曰、以君之不殺笑躄者、以君為愛色而賤士、士即去耳。於是平原君乃斬笑躄者美人頭、自造門進躄者、因謝焉。其後門下乃復稍稍來。
新字:平原君趙勝者、趙之諸公子也。諸子中勝最賢、喜賓客、賓客蓋至者数千人。平原君家楼臨民家。民家有躄者、槃散行汲。平原君美人居楼上、臨見、大笑之。明日、躄者至平原君門、請曰、臣願得笑臣者頭。平原君笑応曰、諾。躄者去、平原君笑曰、観此豎子、乃欲以一笑之故殺吾美人、不亦甚乎。終不殺。居歳余、賓客門下舎人稍稍引去者過半。門下一人前対曰、以君之不殺笑躄者、以君為愛色而賤士、士即去耳。於是平原君乃斬笑躄者美人頭、自造門進躄者、因謝焉。其後門下乃復稍稍来。
書き下し
平原君趙勝は、趙の諸公子なり。諸子の中、勝最も賢、賓客を喜び、賓客蓋し至る者数千人。平原君の家の楼、民家に臨む。民家に躄者有り、槃散して行きて汲む。平原君の美人楼上に居り、臨み見て、大いに之を笑ふ。明日、躄者平原君の門に至り、請ひて曰く、「臣、臣を笑ふ者の頭を得んことを願ふ」と。平原君笑ひて応じて曰く、「諾」と。躄者去り、平原君笑ひて曰く、「此の豎子を観るに、乃ち一笑の故を以て吾が美人を殺さんと欲す、亦た甚だしからずや」と。終に殺さず。居ること歳余、賓客門下の舍人稍々引き去る者半ばを過ぐ。門下の一人前みて対へて曰く、「君の躄者を笑ふを殺さざるを以て、君を色を愛して士を賤しむと為す、士即ち去るのみ」と。是に於いて平原君乃ち躄者を笑ふ美人の頭を斬り、自ら門に造りて躄者に進り、因りて謝す。其の後門下乃ち復た稍々来たる。
現代語訳
平原君・趙勝は趙の公子の一人である。公子たちの中で勝が最も有能で、食客を好み、集まる食客は数千人にのぼった。平原君の屋敷の高楼は、民家を見下ろす位置にあった。その民家に足の不自由な男がいて、体を揺すりながら水を汲みに歩いていた。平原君の美人が楼の上からそれを見下ろして、大声で笑った。翌日、その男が平原君の門を訪れ、こう願い出た。「私を笑った者の首をいただきたい」。平原君は笑って「よろしい」と答えた。男が去ると、平原君は笑って言った。「あの小僧を見ろ。たった一度笑ったというだけで、私の美人を殺せというのか。あまりに度が過ぎるではないか」。結局、殺さなかった。一年余りたつと、食客や家臣たちが少しずつ去っていき、半数を超えた。門下の一人が進み出て答えた。「殿が足の不自由な者を笑った女を殺さなかったので、殿は色を愛して士を軽んじる方だと思われております。だから士が去っていくのです」。そこで平原君は、足の不自由な男を笑った美人の首を斬り、自ら門まで出向いてその男に差し出し、詫びた。その後、食客はふたたび少しずつ戻ってきた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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荀子・大略篇自ら其の行ひに嗛(あきた)らざる者は、言濫(らん)に過ぐ。古の賢人は、賤しくして布衣(ほい)為(た)り、貧しくして匹夫為り。食へば則ち饘粥(せんしゅく)も足らず、衣れば則ち豎褐(じゅかつ)も完(まった)からず。然り而して礼に非ざれば進まず、義に非ざれば受けず。安(いづ)くんぞ此れを取らん。
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論語・憲問篇子曰わく、君子はその言にして行に過ぐるを恥ず。
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論語・子路篇子貢問いて曰く、「何如なれば斯れ之を士と謂う可き。」子曰く、「己を行うに恥有り、四方に使いして、君命を辱めざる、士と謂う可し。」曰く、「敢えて其の次を問う。」曰く、「宗族孝を称し、郷党弟を称す。」曰く、「敢えて其の次を問う。」曰く、「言必ず信、行必ず果、硜硜然たる小人なるかな。抑々亦た以て次と為す可し。」曰く、「今の政に従う者は何如。」子曰く、「噫、斗筲の人、何ぞ算うるに足らんや。」
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論語・里仁篇子曰わく、古者は言を出さざるは、躬の逮ばざるを恥ずればなり。
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論語・憲問篇子曰わく、その言の怍(はじ)ざるは、これを為すこと難し。
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呉子・図国篇呉起、儒服にして兵機を以て魏の文侯に見ゆ。文侯曰く、「寡人は軍旅の事を好まず」と。起曰く、「臣は見るるところを以て隠れたるを占い、往きしを以て来たるを察す。主君何ぞ言と心と違うことを言わるるや。今、君は四時に人をして皮革を斬り離たしめ、掩うに朱漆を以てし、画くに丹青を以てし、爍かすに犀象を以てす。冬日に之を衣れば則ち温かならず、夏日に之を衣れば則ち涼しからず。長戟は二丈四尺、短戟は一丈二尺を為る。革車は戸を奄い、輪を縵にし轂を籠む。之を目に観れば則ち麗しからず、之に乗りて以て田すれば則ち軽からず。識らず、主君安んぞ此を用いんや。若し以て進みて戦い退きて守るに備うるも、能く用うる者を求めざれば、譬えば猶お伏鶏の狸を搏ち、乳犬の虎を犯すがごとし。闘心有りと雖も、之に随いて死せんのみ。昔、承桑氏の君は、徳を修めて武を廃し、以て其の国を滅ぼせり。有扈氏の君は、衆を恃み勇を好み、以て其の社稷を喪えり。明主は茲に鑒み、必ず内には文徳を修め、外には武備を治む。故に敵に当たりて進まざるは、義に逮ぶこと無きなり。僵屍して之を哀しむは、仁に逮ぶこと無きなり」と。是に於いて文侯は身自ら席を布き、夫人は觴を捧げ、呉起を廟に醮し、立てて大将と為し、西河を守らしむ。諸侯と大いに戦うこと七十六、全勝六十四、余は則ち鈞しく解く。土を四面に闢き、地を拓くこと千里なるは、皆な起の功なり。