論語 / 八佾篇
子曰:「事君盡禮,人以爲諂也。」
新字:子曰:「事君尽礼,人以為諂也。」
書き下し
子曰く、君に事えて礼を尽くせば、人以て諂いと為すなり。
現代語訳
先生がおっしゃった。「主君に仕えて礼を尽くしきると、世間はそれをへつらいだと見なす。」
解説
筋を通しているだけなのに、周囲からは媚びていると見られる。孔子自身の嘆きがそのまま残った一句である。礼が廃れた世では、礼を守る人のほうが浮く。皆が手を抜いている場所で一人だけ丁寧にやれば、その丁寧さは動機を疑われる。ここで大事なのは、孔子が「だから合わせよう」とは言っていないことだ。誤解されること自体は否定していない。ただ、誤解の構造を見抜いている。組織でも同じ現象が起きる。上司に対して報告や敬意を欠かさない人が、周囲から取り入っていると言われる。言う側は、自分がやっていないことの説明を必要としているだけである。他人の評価を基準に振る舞いを決めると、水準は必ず低いほうへ揃う。
この章句が説くこと
礼射礼誤解評価軸中庸諂い
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