論語 / 八佾篇
孔子謂季氏:「八佾舞於庭。是可忍也,孰不可忍也!」
書き下し
孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
現代語訳
孔子が季氏を評しておっしゃった。「天子だけに許された八列六十四人の舞を、自分の屋敷の庭で舞わせている。これを見逃せるのなら、いったい何なら見逃せないというのか。」
解説
季氏は魯の家老にすぎない。八佾は天子の格式であり、諸侯は六佾、大夫は四佾と決まっていた。つまりこれは趣味の逸脱ではなく、序列そのものの否定である。孔子が激しく怒ったのは、舞の人数ではなく、線を越えたのに誰も止めなかったという事実に対してだった。組織が壊れるとき、最初に起きるのはたいてい大事件ではない。決めごとの一つが、実力者に対してだけ適用されなくなる。それを黙認した瞬間、他のすべての決めごとの根拠が消える。「これくらいは」と見逃した一件が、次に何を見逃さない理由になるのかを説明できなくなるからだ。守らせる線は、強い者に対して引けるかどうかで試される。
この章句が説くこと
礼序列僭上越権秩序黙認
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公二十六年 礼の以て国を為むべきや久し式(もっ)て謌(うた)ひ且つ舞へ』と。陳氏の施し、民之を謌舞す。後世若し少しく惰りて陳氏にして亡びずんば、則ち國は其の國ならんのみ」と。公曰く、「善いかな。是れ若何す可き」と。對へて曰く、「唯だ禮以って之を已む可し。禮に在りては、家の施しは國に及ばず、民は遷らず、農は移らず、工・賈は變ぜず、士は濫せず、官は滔(おご)らず、大夫は公利を收めず」と。公曰く、「善いかな。我能はざるなり。吾今にして後に禮の以って國を為む可きを知る」と。對へて曰く、「禮の以って國を為む可きや久し。天地と並ぶ。君令し臣共し、父慈に子孝に、兄愛し弟敬し、夫和し妻柔に、姑慈に婦聽く、禮なり。君令して違はず、臣共して貳(ふたごころ)あらず、父慈にして教へ、子孝にして箴(いさ)め、兄愛して友に、弟敬して順ひ、夫和して義あり、妻柔にして正しく、姑慈にして從ひ、婦聽きて婉(ゑん)なるは、禮の善物なり」と。公曰く、「善いかな。寡人今にして後に此の禮の上を聞く」と。對へて曰く、「先王の天地に稟くる所にして、以って其の民を為むるなり。是を以って先王之を上ぶ」と。
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史記 劉敬叔孫通列伝遂に徵す所の三十人と西し、及び上の左右の學を為す者と其の弟子百餘人と、綿蕞(めんぜつ)を野外に為す。之を習ふこと月餘、叔孫通曰く、「上試みに觀るべし」と。上既に觀て、禮を行はしめて曰く、「吾能く此を為さん」と。乃ち群臣をして習肄せしめ、十月に會す。漢の七年、長樂宮成り、諸侯群臣皆十月に朝す。儀は、平明に先だち、謁者禮を治め、引きて次を以て殿門に入らしむ。廷中には車騎步卒を陳ねて宮を衛らしめ、兵を設け旗志を張る。傳へて「趨れ」と言ふ。殿下には郎中陛を俠み、陛ごとに數百人。功臣・列侯・諸將軍・軍吏は次を以て西方に陳なりて東鄉し、文官は丞相以下東方に陳なりて西鄉す。大行九賓を設け、臚傳す。是に於いて皇帝輦にて房を出づ。百官職を執りて警を傳へ、諸侯王以下吏六百石に至るまでを引きて次を以て賀を奉ぜしむ。諸侯王より以下、振恐して肅敬せざる莫し。禮畢はるに至りて、復た法酒を置く。諸々の殿上に侍坐する者、皆伏して首を抑へ、尊卑の次を以て起ちて壽を上る。觴九たび行き、謁者「酒を罷めよ」と言ふ。御史法を執り、儀の如くならざる者を舉げて輒ち引き去る。朝を竟へて酒を置くに、敢へて讙譁して禮を失ふ者無し。是に於いて高帝曰く、「吾乃ち今日皇帝為るの貴きを知れり」と。乃ち叔孫通を拜して太常と為し、金五百斤を賜ふ。叔孫通因りて進みて曰く、「諸弟子儒生、臣に隨ふこと久し。臣と共に儀を為す。願はくは陛下之を官とせよ」と。高帝悉く以て郎と為す。叔孫通出でて、皆五百斤の金を以て諸生に賜ふ。諸生乃ち皆喜びて曰く、「叔孫生は誠に聖人なり。當世の要務を知る」と。漢の九年、高帝叔孫通を徙して太子太傅と為す。漢の十二年、高祖趙王如意を以て太子に易へんと欲す。叔孫通上を諫めて曰く、「昔者晉の獻公、驪姬の故を以て太子を廢し、奚齊を立つ。晉國亂るること數十年、天下の笑ひと為る。
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論語・八佾篇林放礼の本を問う。子曰く、「大なるかな問いや。礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは、寧ろ戚めよ。」
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『春秋左氏伝』文公十五年 君弱きも怠るべからず六月、辛丑朔、日之を食する有り。鼓して牲を社に用ゐる、禮に非ざるなり。日之を食する有れば、天子舉げず、鼓を社に伐つ。諸侯は幣を社に用ゐ、鼓を朝に伐つ。以って神に事ふるを昭らかにし、民に君に事ふるを訓へ、等威有るを示す、古の道なり。齊人單伯の請ひを許して之を赦し、來りて命を致さしむ。書に曰く、「單伯齊より至る」と、之を貴ぶなり。新城の盟に、蔡人與らず。晉の郤缺上軍・下軍を以って蔡を伐ちて、曰く、「君弱し、以って怠る可からず」と。戊申、蔡に入り、城下の盟を以って還る。凡そ國に勝つを、之を滅ぼすと曰ひ、大城を獲るを、之に入ると曰ふ。秋、齊人我が西鄙を侵す、故に季文子晉に告ぐ。
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『春秋左氏伝』昭公二十五年 是れ儀なり、礼に非ず夏、黃父に會す。王室を謀るなり。趙簡子諸侯の大夫に令して、王に粟を輸し、戍人を具へしめて、曰く、「明年將に王を納れんとす」と。子大叔趙簡子に見ゆ。簡子揖讓周旋の禮を問ふ。對へて曰く、「是れ儀なり、禮に非ざるなり」と。簡子曰く、「敢へて問ふ、何をか禮と謂ふ」と。對へて曰く、「吉や諸を先大夫子產に聞けり。曰く、『夫れ禮は、天の經なり、地の義なり、民の行なり』と。天地の經にして、民實に之に則る。天の明に則り、地の性に因り、其の六气を生じ、其の五行を用ふ。气は五味と為り、發して五色と為り、章はれて五聲と為る。淫すれば則ち昏亂し、民其の性を失ふ。是の故に禮を為りて以って之を奉ず。六畜・五牲・三犧を為りて、以って五味を奉じ、九文・六采・五章を為りて、以って五色を奉じ、九謌・八風・七音・六律を為りて、以って五聲を奉ず。君臣上下を為りて、以って地の義に則り、夫婦外内を為りて、以って二物を經し、父子・兄弟・姑姊・甥舅・
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『五常訓』巻之四・礼一周子、陰陽は理あつて後に和ぐといへり。二気の流行正しければ、四時の和行はる。人の道も亦同じ。礼正しく、次第みだれざれば、各其理を得て、和順行はる。故に曰く、礼は天地の序なり、楽は天地の和なり。礼は先にして、楽は後なり。人倫の交、先礼法正しく、次第乱れざれば、人と我と和合す。君臣、父子、夫婦、兄弟の間、其礼正しければ、おのづから和順なり。若礼なくして、臣下の疎きが親しきを越え、賤しきが貴きを越え、庶子が嫡子を越え、妾は妻を越えて、次第乱るれば、必うらみそむきて、和合せず。朋友の交も、礼正しければ、和睦して、あらそひ無くうらみ無し。又喧嘩口論などすることも、皆無礼よりおこる。若礼儀正しくば、和順行はれて、闘何ぞおこらんや。故に人の闘諍を止むるの道も、礼を正しくするにあり。
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