論語 / 八佾篇
孔子謂季氏:「八佾舞於庭。是可忍也,孰不可忍也!」
書き下し
孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
現代語訳
孔子が季氏を評しておっしゃった。「天子だけに許された八列六十四人の舞を、自分の屋敷の庭で舞わせている。これを見逃せるのなら、いったい何なら見逃せないというのか。」
解説
季氏は魯の家老にすぎない。八佾は天子の格式であり、諸侯は六佾、大夫は四佾と決まっていた。つまりこれは趣味の逸脱ではなく、序列そのものの否定である。孔子が激しく怒ったのは、舞の人数ではなく、線を越えたのに誰も止めなかったという事実に対してだった。組織が壊れるとき、最初に起きるのはたいてい大事件ではない。決めごとの一つが、実力者に対してだけ適用されなくなる。それを黙認した瞬間、他のすべての決めごとの根拠が消える。「これくらいは」と見逃した一件が、次に何を見逃さない理由になるのかを説明できなくなるからだ。守らせる線は、強い者に対して引けるかどうかで試される。
この章句が説くこと
礼序列僭上越権秩序黙認
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