春秋左氏伝 / 昭公二十五年 季氏を怨む者たち
初。季公鳥娶妻於齊。鮑文子。生甲。公鳥死。季公亥。與公思展。與公鳥之臣申夜姑。相其室。及季姒與饔人檀通。而懼。乃使其妾抶己。以示秦遄之妻。曰。公若欲使余。余不可而抶余。又訴於公甫。曰。展與夜姑將要余。秦姬以告公之。公之與公甫告平子。平子拘展於卞。而執夜姑。將殺之。公若泣而哀之。曰。殺是。是殺余也。將為之請。平子使豎勿内。日中不得請。有司逆命。公之使速殺之。故公若怨平子。季郈之雞鬥。季氏介其雞。郈氏為之金距。平子怒。益宮於郈氏。且讓之。故郈昭伯亦怨平子。臧昭伯之從弟會。為讒於臧氏。而逃於季氏。臧氏執旃。平子怒。拘臧氏老。將禘於襄公。萬者二人。其眾萬於季氏。臧孫曰。
新字:初。季公鳥娶妻於斉。鮑文子。生甲。公鳥死。季公亥。与公思展。与公鳥之臣申夜姑。相其室。及季姒与饔人檀通。而懼。乃使其妾抶己。以示秦遄之妻。曰。公若欲使余。余不可而抶余。又訴於公甫。曰。展与夜姑将要余。秦姫以告公之。公之与公甫告平子。平子拘展於卞。而執夜姑。将殺之。公若泣而哀之。曰。殺是。是殺余也。将為之請。平子使豎勿内。日中不得請。有司逆命。公之使速殺之。故公若怨平子。季郈之鶏鬥。季氏介其鶏。郈氏為之金距。平子怒。益宮於郈氏。且譲之。故郈昭伯亦怨平子。臧昭伯之従弟会。為讒於臧氏。而逃於季氏。臧氏執旃。平子怒。拘臧氏老。将禘於襄公。万者二人。其衆万於季氏。臧孫曰。
書き下し
初め、季公鳥、妻を齊の鮑文子に娶り、甲を生む。公鳥死す。季公亥、公思展と、公鳥の臣申夜姑と、其の室を相く。季姒、饔人檀と通ずるに及び、懼る。乃ち其の妾をして己を抶(う)たしめ、以って秦遄の妻に示して曰く、「公若余を使はんと欲す。余可かずして余を抶てり」と。又公甫に訴へて曰く、「展と夜姑と將に余を要せんとす」と。秦姬以って公之に告ぐ。公之、公甫と平子に告ぐ。平子展を卞に拘へて、夜姑を執へ、將に之を殺さんとす。公若泣きて之を哀しみて曰く、「是を殺すは、是れ余を殺すなり」と。將に之が為に請はんとす。平子豎をして内れしむる勿からしむ。日中まで請ふを得ず。有司命を逆ふ。公之速やかに之を殺さしむ。故に公若平子を怨む。季・郈の雞鬥ふ。季氏其の雞に介し、郈氏之が為に金距す。平子怒りて、宮を郈氏に益し、且つ之を讓む。故に郈昭伯も亦た平子を怨む。臧昭伯の從弟會、臧氏に讒を為して、季氏に逃る。臧氏旃を執ふ。平子怒りて、臧氏の老を拘ふ。將に襄公に禘せんとす。萬する者二人のみ。其の衆は季氏に萬す。臧孫曰く、
現代語訳
これより前、季公鳥(きこうちょう、季平子の叔父)は斉の鮑文子の娘を妻に迎え、甲を生んだ。公鳥が死ぬと、季公亥(公若)と公思展(こうしてん)と公鳥の家臣申夜姑(しんやこ)が、その家を後見した。やがて未亡人の季姒(きじ)は料理人の檀と密通し、発覚を恐れた。そこで自分の侍女に自分を鞭打たせ、その傷を秦遄(しんせん)の妻(公鳥の妹、秦姫)に見せて言った。「公若が私を意のままにしようとしました。私が拒むと、私を鞭打ったのです」。また公甫(こうほ、季平子の弟)にも訴えて言った。「展と夜姑が私に無理強いしようとしています」。秦姫はこれを公之(こうし、季平子の弟)に告げ、公之と公甫は季平子に告げた。平子は展を卞に拘禁し、夜姑を捕らえて殺そうとした。公若は泣いて夜姑のことを悲しみ、「これを殺すのは私を殺すのと同じだ」と言って、助命を願い出ようとした。平子は小姓に命じて公若を通させなかった。昼になっても願い出ることができなかった。役人が処置の命令を仰ぐと、公之は速やかに殺させた。それで公若は平子を怨んだ。季氏と郈氏(こうし)が闘鶏をした。季氏は自分の鶏に鎧をつけ(一説に芥子の粉をまぶし)、郈氏は自分の鶏に金属の蹴爪をつけた。平子は怒って、郈氏の土地に食い込んで自分の屋敷を広げ、そのうえ郈氏を責めた。それで郈昭伯もまた平子を怨んだ。臧昭伯(ぞうしょうはく)の従弟の会は、臧氏について讒言をして季氏のもとに逃げ込んだ。臧氏は会を捕らえた。平子は怒って臧氏の家老を拘束した。魯が襄公の廟で禘の祭りを行おうとしたとき、万舞を舞う者はわずか二人で、ほかの大勢は季氏の家で万舞を舞っていた。臧孫(臧昭伯)は言った。
解説
この章句が説くこと
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