春秋左氏伝 / 昭公二十五年 鴝鵒の童謡
宋樂大心曰。我不輸粟。我於周為客。若之何使客。晉士伯曰。自踐土以來。宋何役之不會。而何盟之不同。曰。同恤王室。子焉得辟之。子奉君命以會大事。而宋背盟。無乃不可乎。右師不敢對。受牒而退。士伯告簡子曰。宋右師必亡。奉君命以使。而欲背盟以干盟主。無不祥大焉。有鴝鵒來巢。書所無也。師己曰。異哉。吾聞文武之世。童謠有之曰。鴝之鵒之。公出辱之。鴝鵒之羽。公在外野。往饋之馬。鴝鵒跦跦。公在乾侯。徵褰與襦。鴝鵒之巢。遠哉遙遙。稠父喪勞。宋父以驕。鴝鵒鴝鵒。往謌來哭。童謠有是。今鴝鵒來巢。其將及乎。秋。書再雩。旱甚也。
新字:宋楽大心曰。我不輸粟。我於周為客。若之何使客。晋士伯曰。自践土以来。宋何役之不会。而何盟之不同。曰。同恤王室。子焉得辟之。子奉君命以会大事。而宋背盟。無乃不可乎。右師不敢対。受牒而退。士伯告簡子曰。宋右師必亡。奉君命以使。而欲背盟以干盟主。無不祥大焉。有鴝鵒来巣。書所無也。師己曰。異哉。吾聞文武之世。童謡有之曰。鴝之鵒之。公出辱之。鴝鵒之羽。公在外野。往饋之馬。鴝鵒跦跦。公在乾侯。徴褰与襦。鴝鵒之巣。遠哉遥遥。稠父喪労。宋父以驕。鴝鵒鴝鵒。往謌来哭。童謡有是。今鴝鵒来巣。其将及乎。秋。書再雩。旱甚也。
書き下し
宋の樂大心曰く、「我は粟を輸さず。我は周に於いて客為り。若之何ぞ客を使はん」と。晉の士伯曰く、「踐土より以來、宋何の役か之れ會せざる。而して何の盟か之れ同じくせざる。曰く、『同じく王室を恤へん』と。子焉んぞ之を辟くるを得ん。子君命を奉じて以って大事に會す。而るに宋盟に背く。乃ち不可なる無からんや」と。右師敢へて對へず、牒を受けて退く。士伯簡子に告げて曰く、「宋の右師必ず亡びん。君命を奉じて以って使ひし、而して盟に背きて以って盟主を干さんと欲す。不祥焉より大なるは無し」と。鴝鵒(くよく)有りて來り巢くふ。無き所を書すなり。師己曰く、「異なるかな。吾聞く、文・武の世、童謠に之れ有り、曰く、『鴝や鵒や、公出でて辱めらる。鴝鵒の羽、公外野に在り、往きて之に馬を饋る。鴝鵒跦跦(ちゅちゅ)たり、公乾侯に在り、褰と襦とを徵む。鴝鵒の巢、遠きかな遙遙たり。稠父は喪勞し、宋父は以って驕る。鴝鵒鴝鵒、往くには謌ひ來るには哭す』と。童謠是れ有り。今鴝鵒來り巢くふ。其れ將に及ばんとするか」と。秋、再び雩すと書す。旱甚だしければなり。
現代語訳
宋の楽大心(右師)は言った。「わが国は穀物を送らない。わが国は周にとって客(殷王の子孫として賓客の礼を受ける国)である。どうして客を使役できようか」。晋の士伯(士彌牟)は言った。「践土の盟以来、宋はどの戦役に参加しなかったことがあるか。どの盟約に加わらなかったことがあるか。その盟約には『ともに王室を案じる』とある。あなたがどうしてそれを避けられようか。あなたは君命を受けてこの大事な会合に来ているのに、宋が盟約に背くとは、よくないことではないか」。右師はあえて答えず、割り当ての書き付けを受け取って退いた。士伯は趙簡子に言った。「宋の右師はきっと滅びるでしょう。君命を受けて使者となりながら、盟約に背いて盟主に逆らおうとした。これ以上の不吉はありません」。鴝鵒(くよく、ハッカチョウ)が魯に来て巣を作った。『春秋』がこれを書いたのは、魯にはいない鳥だからである。師己(しき、魯の大夫)は言った。「不思議なことだ。私はこう聞いている。文・武の世(古い時代)の童謡にこうあった。『鴝よ鵒よ、公は外に出て辱めを受ける。鴝鵒の羽、公は遠い野にあり、行って馬を贈る。鴝鵒ぴょんぴょん跳ね、公は乾侯にいて、袴と上着を求める。鴝鵒の巣は、遠く遥かなり。稠父(昭公)は苦労のうちに死に、宋父(定公)はそれで驕る。鴝鵒よ鴝鵒、行くときは歌い、帰るときは泣く』。童謡にはこうあった。いま鴝鵒が来て巣を作った。その災いが及ぼうとしているのではないか」。秋、『春秋』が二度目の雨乞いを記したのは、日照りがひどかったからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』昭公二十五年 楽しみて哀しむ二十五年春、叔孫婼宋に聘す。桐門の右師之に見ゆ。語りて宋の大夫を卑しみ、而して司城氏を賤しむ。昭子其の人に告げて曰く、「右師其れ亡びんか。君子は其の身を貴びて、而る後に能く人に及ぶ。是を以って禮有り。今夫子其の大夫を卑しみて、其の宗を賤しむ。是れ其の身を賤しむるなり。能く禮有らんや。禮無ければ必ず亡ぶ」と。宋公昭子を享し、新宮を賦す。昭子車轄を賦す。明日宴す。酒を飲みて樂しむ。宋公昭子をして右に坐せしめ、語りて相泣く。樂祁佐たり、退きて人に告げて曰く、「今茲君と叔孫と、其れ皆死せんか。吾之を聞けり、『哀しみを樂しみて樂しみを哀しむは、皆心を喪ふなり』と。心の精爽、是を魂魄と謂ふ。魂魄之を去らば、何を以って能く久しからん」と。季公若の姊、小邾の夫人と為り、宋の元夫人を生む。子を生み、以って季平子に妻(めあは)せんとす。昭子宋に如きて聘し、且つ之を逆ふ。公若從ひ、曹氏に謂ひて與ふる勿からしめんとす。魯將に之を逐はんとす。曹氏公に告ぐ。公樂祁に告ぐ。樂祁曰く、「之に與へよ。是の如くんば、魯君必ず出でん。政季氏に在ること三世なり。魯君政を喪ふこと四公なり。民無くして能く其の志を逞しくする者、未だ之れ有らざるなり。國君是を以って其の民を鎮撫す。詩に曰く、『人の云に亡ぶ、心の憂ひ』と。魯君民を失へり。焉んぞ其の志を逞しくするを得ん。靖んじて以って命を待たば猶ほ可なり。動かば必ず憂へん」と。
-
『春秋左氏伝』襄公二十八年 惰傲の蔡侯秋八月、大いに雩す。旱なればなり。蔡侯、晉より歸り、鄭に入る。鄭伯之を享す。不敬なり。子產曰く、「蔡侯其れ免れざらんか。日其れ此を過ぐるや、君、子展をして東門の外に迋勞せしむるに、傲れり。吾曰く、『猶ほ將に之を更めん』と。今還りて享を受けて惰る。乃ち其の心なり。小國に君として大國に事へ、而も惰傲以て己の心と為す。將に死を得んとするか。若し免れずんば、必ず其の子に由らん。其の君為るや、淫にして父ならず。僑之を聞く、是くの如き者は恆に子の禍有りと」と。孟孝伯、晉に如く。將に宋の盟の為の故に楚に如かんとするを告ぐるなり。蔡侯の晉に如くや、鄭伯、游吉をして楚に如かしむ。漢に及ぶ。楚人之を還して曰く、「宋の盟に、君實に親ら辱くす。今吾子來る。寡君謂ふ、吾子姑く還れと。吾將に馹をして奔りて諸を晉に問はしめて、以て告げんとす」と。子大叔曰く、「宋の盟に、君命じて將に小國を利し、而して亦た其の社稷を安定し、其の民人を鎮撫し、禮を以て天の休を承けしめんとす。此れ君の憲令にして、小國の望みなり。寡君是の故に吉をして其の皮幣を奉じ、
-
『春秋左氏伝』僖公二十一年 宋公、盂に執はる二十一年春、宋人鹿上の盟を為し、以て諸侯を楚に求む、楚人之を許す。公子目夷曰く、「小國にして盟を爭ふは、禍なり。宋其れ亡びんか、幸ひにして而る後に敗れん」と。夏、大いに旱す。公巫・尫を焚かんと欲す。臧文仲曰く、「旱の備へに非ざるなり。城郭を脩め、食を貶し用を省き、穡を務め分を勸む、此れ其の務めなり。巫・尫何をか為さん。天之を殺さんと欲せば、則ち生ずること勿きが如し。若し能く旱を為さば、之を焚けば滋々甚だしからん」と。公之に從ふ。是の歲や、饑うれども害せず。秋、諸侯宋公に盂に會す。子魚曰く、「禍其れ此に在るか。君の欲已甚し、其れ何を以てか之に堪へん」と。是に於いて楚宋公を執へて以て宋を伐つ。冬、薄に會して以て之を釋す。子魚曰く、「禍猶ほ未だしきなり、未だ以て君を懲らすに足らず」と。任・宿・須句・顓臾は、風姓なり。實に大皞と有濟との祀を司り、以て諸夏に服事す。邾人須句を滅ぼし、須句子來奔す、成風に因るなり。成風之が為に公に言ひて曰く、「明祀を崇び、小寡を保んずるは、周の禮なり。蠻夷の夏を猾すは、周の禍なり。若し須句を封ぜば、是れ皞・濟を崇びて祀を脩め禍を紓ぶるなり」と。
-
『春秋左氏伝』襄公二十八年 先事後賄の礼二十八年春、冰無し。梓慎曰く、「今茲(ことし)、宋・鄭其れ饑ゑんか。歲、星紀に在りて、玄枵に淫す。以て時の菑(わざはひ)有り、陰、陽に堪へず。蛇、龍に乘る。龍は宋・鄭の星なり。宋・鄭必ず饑ゑん。玄枵は虛の中なり。枵は秏(へ)るの名なり。土虛しくして民秏る、饑ゑずして何をか為さん」と。夏、齊侯・陳侯・蔡侯・北燕伯・杞伯・胡子・沈子・白狄、晉に朝す。宋の盟の故なり。齊侯將に行かんとす。慶封曰く、「我は盟に與らず、何為れぞ晉に於いてせん」と。陳文子曰く、「事を先にし賄を後にするは、禮なり。小、大に事へ、未だ事ふるを獲ずして、之に從ふこと志の如くするは、禮なり。盟に與らずと雖も、敢へて晉に叛かんや。重丘の盟、未だ忘るべからざるなり。子其れ行くを勸めよ」と。衛人、甯氏の黨を討つ。故に石惡、晉に出奔す。衛人、其の從子圃を立て、以て石氏の祀を守らしむ。禮なり。邾の悼公來朝す。時の事なり。
-
『春秋左氏伝』昭公二十五年 仲幾、宋の法を守る壬申、尹文公鞏に涉り、東訾を焚く。克たず。十一月、宋の元公將に公の故の為に晉に如かんとす。夢に大子欒、廟に位に即き、己(おのれ)と平公と、服して之を相(たす)く。旦に六卿を召す。公曰く、「寡人不佞にして、父兄に事ふる能はず、以って二三子の憂ひと為す、寡人の罪なり。若し群子の靈を以って、首領を保ちて以って歿するを獲ば、唯だ是の楄柎(へんぷ)の幹を藉く所以の者は、請ふ先君に及ぶ無からんことを」と。仲幾對へて曰く、「君若し社稷の故を以って、私かに昵宴を降さば、群臣敢へて知らず。若し夫れ宋國の法、死生の度は、先君命有り。群臣死を以って之を守り、敢へて失墜せず。臣の職を失ふは、常刑赦さず。臣其の死を忍びず。君命は祗(ただ)辱むるのみ」と。宋公遂に行く。己亥、曲棘に卒す。十二月、庚辰、齊侯鄆を圍む。
-
『春秋左氏伝』昭公元年 垂櫜して入る小國恃みを失ひて、諸侯を懲らさば、憾みざる者莫からしめ、君命に距違して、壅塞して行はれざる所有らんことを是れ懼る。然らずんば、敝邑は館人の屬なり。其れ敢へて豐氏の祧を愛しまんや」と。伍舉其の備へ有るを知るなり、請ふ櫜を垂れて入らんと。之を許す。正月乙未、入りて逆へて出づ。遂に虢に會す。宋の盟を尋ぬるなり。祁午趙文子に謂ひて曰く、「宋の盟に、楚人晉に志を得たり。今令尹の不信、諸侯の聞く所なり。子戒めずんば、懼らくは又宋の如くならん。子木の信、諸侯に稱せらるるも、猶ほ晉を詐りて駕す。況んや不信の尤なる者をや。楚重ねて晉に志を得ば、晉の恥なり。子晉國に相として、以て盟主と為ること、今に於て七年なり。再び諸侯を合し、三たび大夫を合し、齊・狄を服し、東夏を寧んじ、秦の亂を平らげ、淳于に城く。師徒頓れず、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る