春秋左氏伝 / 襄公二十八年 惰傲の蔡侯
秋。八月。大雩。旱也。蔡侯歸自晉。入于鄭。鄭伯享之。不敬。子產曰。蔡侯其不免乎。日其過此也。君使子展迋勞於東門之外而傲。吾曰。猶將更之。今還受享而惰。乃其心也。君小國事大國。而惰傲以為己心。將得死乎。若不免。必由其子。其為君也。淫而不父。僑聞之。如是者恆有子禍。孟孝伯如晉。告將為宋之盟故如楚也。蔡侯之如晉也。鄭伯使游吉如楚。及漢。楚人還之。曰。宋之盟。君實親辱。今吾子來。寡君謂吾子姑還。吾將使馹奔問諸晉。而以告。子大叔曰。宋之盟。君命將利小國。而亦使安定其社稷。鎮撫其民人。以禮承天之休。此君之憲令。而小國之望也。寡君是故使吉奉其皮幣。
新字:秋。八月。大雩。旱也。蔡侯帰自晋。入于鄭。鄭伯享之。不敬。子産曰。蔡侯其不免乎。日其過此也。君使子展迋労於東門之外而傲。吾曰。猶将更之。今還受享而惰。乃其心也。君小国事大国。而惰傲以為己心。将得死乎。若不免。必由其子。其為君也。淫而不父。僑聞之。如是者恒有子禍。孟孝伯如晋。告将為宋之盟故如楚也。蔡侯之如晋也。鄭伯使游吉如楚。及漢。楚人還之。曰。宋之盟。君実親辱。今吾子来。寡君謂吾子姑還。吾将使馹奔問諸晋。而以告。子大叔曰。宋之盟。君命将利小国。而亦使安定其社稷。鎮撫其民人。以礼承天之休。此君之憲令。而小国之望也。寡君是故使吉奉其皮幣。
書き下し
秋八月、大いに雩す。旱なればなり。蔡侯、晉より歸り、鄭に入る。鄭伯之を享す。不敬なり。子產曰く、「蔡侯其れ免れざらんか。日其れ此を過ぐるや、君、子展をして東門の外に迋勞せしむるに、傲れり。吾曰く、『猶ほ將に之を更めん』と。今還りて享を受けて惰る。乃ち其の心なり。小國に君として大國に事へ、而も惰傲以て己の心と為す。將に死を得んとするか。若し免れずんば、必ず其の子に由らん。其の君為るや、淫にして父ならず。僑之を聞く、是くの如き者は恆に子の禍有りと」と。孟孝伯、晉に如く。將に宋の盟の為の故に楚に如かんとするを告ぐるなり。蔡侯の晉に如くや、鄭伯、游吉をして楚に如かしむ。漢に及ぶ。楚人之を還して曰く、「宋の盟に、君實に親ら辱くす。今吾子來る。寡君謂ふ、吾子姑く還れと。吾將に馹をして奔りて諸を晉に問はしめて、以て告げんとす」と。子大叔曰く、「宋の盟に、君命じて將に小國を利し、而して亦た其の社稷を安定し、其の民人を鎮撫し、禮を以て天の休を承けしめんとす。此れ君の憲令にして、小國の望みなり。寡君是の故に吉をして其の皮幣を奉じ、
現代語訳
秋八月、大規模な雨乞いの祭り(雩)を行った。日照りだったからである。蔡侯(景侯)が晋から帰る途中、鄭に立ち寄った。鄭伯(簡公)は彼をもてなしたが、蔡侯の態度は不敬であった。子産は言った。「蔡侯はおそらく禍を免れないだろう。先日ここを通って晋へ行ったとき、わが君は子展を遣わして東門の外で出迎えねぎらわせたが、蔡侯は傲慢であった。私は『それでも改めるだろう』と言っていた。ところが今、帰りに宴を受けて怠惰な態度をとった。これこそがあの人の本心なのだ。小国の君として大国に仕えながら、怠惰と傲慢を自分の心としている。まともな死に方ができようか。もし禍を免れないとすれば、必ずその子によるものだろう。あの人は君主として、淫らで父親らしくない。私はこう聞いている。このような者には常に子による禍があると」。孟孝伯(魯の大夫)が晋に行った。宋の盟の取り決めにより、魯が楚に朝見しようとしていることを告げるためである。蔡侯が晋に行った頃、鄭伯は游吉(子大叔)を楚に遣わした。漢水まで来たところで、楚の人は彼を追い返して言った。「宋の盟では、君(鄭伯)ご自身がお出ましになると約束された。ところが今あなたが来られた。わが君は、あなたはひとまずお帰りなさいと仰せです。われわれは早馬を晋に走らせて問い合わせ、その上でお知らせしよう」。子大叔は言った。「宋の盟において、貴国の君は命じて、小国に利益を与え、またその社稷を安定させ、その民を鎮め安んじ、礼によって天の恵みを受けさせようとなさいました。これは貴国の君の定めた法令であり、小国の望みでもあります。わが君はそれゆえに私、吉に皮と絹の贈り物を捧げさせ、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』文公九年 越椒、幣を執りて傲る春、王の正月、己酉、賊をして先克を殺さしむ。乙丑、晉人先都・梁益耳を殺す。毛伯衛來りて金を求む、禮に非ざるなり。王命を書せざるは、未だ葬らざればなり。二月、莊叔周に如きて襄王を葬る。三月、甲戌、晉人箕鄭父・士縠・蒯得を殺す。范山楚子に言ふ、「晉君少くして、諸侯に在らず、北方圖る可きなり」と。楚子狼淵に師して以って鄭を伐ち、公子堅・公子尨、及び樂耳を囚ふ。鄭楚と平ぐ。公子遂晉の趙盾・宋の華耦・衛の孔達・許の大夫に會し、鄭を救ふ、楚の師に及ばず。卿を書せざるは、緩なればなり、以って不恪を懲らすなり。夏、楚陳を侵し、壺丘に克つ、其の晉に服するを以ってなり。秋、楚の公子朱東夷より陳を伐つ、陳人之を敗り、公子茷を獲たり。陳懼れ、乃ち楚と平ぐ。冬、楚の子越椒來聘す、幣を執りて傲る。叔仲惠伯曰く、「是れ必ず若敖氏の宗を滅ぼさん。其の先君に傲る、神福せざるなり」と。秦人來りて僖公・成風の襚(すい)を歸る、禮なり。諸侯相弔賀するや、事に當たらずと雖も、苟も禮有らば、書す、以って舊好を忘るる無きなり。
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『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
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『春秋左氏伝』文公十二年 国に陋なし春、郕伯卒す。郕人君を立つ。大子夫鍾と郕邽とを以って來奔す。公諸侯を以って之を逆ふ、禮に非ざるなり。故に書して曰く、「郕伯來奔す」と。地を書せざるは、諸侯を尊ぶなり。杞の桓公來朝す、始めて公に朝するなり。且つ叔姬を絕たんことを請ひて、昏を絕つこと無からんとす、公之を許す。二月、叔姬卒す。杞と言はざるは、絕てばなり。叔姬と書するは、女に非ざるを言ふなり。楚の令尹大孫伯卒し、成嘉令尹と為る。群舒楚に叛く。夏、子孔舒子平、及び宗子を執へ、遂に巢を圍む。秋、滕の昭公來朝す、亦た始めて公に朝するなり。秦伯西乞術をして來聘せしめ、且つ將に晉を伐たんとするを言ふ。襄仲玉を辭して曰く、「君先君の好を忘れず、魯國を照臨し、其の社稷を鎮撫し、之に重ぬるに大器を以ってす。寡君敢へて玉を辭す」と。對へて曰く、「不腆(ふてん)の敝器、辭するに足らざるなり」と。主人三たび辭す。賓答へて曰く、「寡君周公・魯公に福を徼(もと)めて、以って君に事へんことを願ふ。不腆なる先君の敝器、下臣をして諸を執事に致さしめ、以って瑞節と為し、好命を要結す。寡君の命を藉(し)きて、二國の好を結ぶ所以なり。是を以って敢へて之を致す」と。襄仲曰く、「君子有らずんば、其れ能く國せんや。國陋なること無し」と。厚く之に賄す。秦令狐の役の為の故に、
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『春秋左氏伝』定公十年 夾谷の会十年春、齊と平ぐ。夏、公、齊侯に祝其に會す。實は夾谷なり。孔丘、相たり。犁彌、齊侯に言ひて曰く、「孔丘は禮を知れども勇無し。若し萊人をして兵を以て魯侯を劫かさしめば、必ず志を得ん」と。齊侯、之に從ふ。孔丘、公を以て退きて曰く、「士、之に兵せよ。兩君好を合はするに、裔夷の俘、兵を以て之を亂す。齊君の諸侯に命ずる所以に非ざるなり。裔は夏を謀らず、夷は華を亂さず、俘は盟を干さず、兵は好に偪らず。神に於いては不祥と為し、德に於いては義を愆つと為し、人に於いては禮を失ふと為す。君必ず然らざらん」と。齊侯、之を聞き、遽かに之を辟く。將に盟はんとす。齊人、載書に加へて曰く、「齊の師、竟を出づるに、甲車三百乘を以て我に從はざる者は、此の盟の如き有らん」と。孔丘、茲無還をして揖して對へしめて曰く、「而、我が汶陽の田を反さずして、吾をして以て命に共せしむる者も、亦た之の如くならん」と。齊侯、將に公を享せんとす。孔丘、梁丘據に謂ひて曰く、
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『春秋左氏伝』襄公二十八年 先事後賄の礼二十八年春、冰無し。梓慎曰く、「今茲(ことし)、宋・鄭其れ饑ゑんか。歲、星紀に在りて、玄枵に淫す。以て時の菑(わざはひ)有り、陰、陽に堪へず。蛇、龍に乘る。龍は宋・鄭の星なり。宋・鄭必ず饑ゑん。玄枵は虛の中なり。枵は秏(へ)るの名なり。土虛しくして民秏る、饑ゑずして何をか為さん」と。夏、齊侯・陳侯・蔡侯・北燕伯・杞伯・胡子・沈子・白狄、晉に朝す。宋の盟の故なり。齊侯將に行かんとす。慶封曰く、「我は盟に與らず、何為れぞ晉に於いてせん」と。陳文子曰く、「事を先にし賄を後にするは、禮なり。小、大に事へ、未だ事ふるを獲ずして、之に從ふこと志の如くするは、禮なり。盟に與らずと雖も、敢へて晉に叛かんや。重丘の盟、未だ忘るべからざるなり。子其れ行くを勸めよ」と。衛人、甯氏の黨を討つ。故に石惡、晉に出奔す。衛人、其の從子圃を立て、以て石氏の祀を守らしむ。禮なり。邾の悼公來朝す。時の事なり。
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『春秋左氏伝』桓公十八年 魯の桓公、斉に死す十八年春、公將に行くこと有らんとし、遂に姜氏と齊に如かんとす。申繻曰く、「女に家有り、男に室有り、相瀆すこと無し、之を禮有りと謂ふ。此を易へば、必ず敗れん」と。公齊侯に濼に會し、遂に文姜と齊に如く。齊侯焉に通ず。公之を謫む。以て告ぐ。夏四月丙子、公を享す。公子彭生をして公を乘せしむ。公車に薨ず。魯人齊に告げて曰く、「寡君君の威を畏れ、敢へて甯居せず、來りて舊好を修む。禮成りて反らず、咎を歸する所無く、諸侯に惡し。請ふ彭生を以て之を除かん」と。齊人彭生を殺す。秋、齊侯首止に師す。子亹之に會し、高渠彌相たり。七月戊戌、齊人子亹を殺して高渠彌を轘す。祭仲鄭子を陳に逆へて之を立つ。是の行や、祭仲之を知る。故に疾と稱して往かず。人曰く、「祭仲知を以て免る」と。仲曰く、「信なり」と。周公莊王を弑して王子克を立てんと欲す。辛伯王に告げ、遂に王と周公黑肩を殺す。王子克燕に奔る。初め、子儀桓王に寵有り。桓王諸を周公に屬す。辛伯諫めて曰く、「后に並び、嫡に匹し、政を兩にし、國を耦にするは、亂の本なり」と。周公從はず。故に及ぶ。
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