春秋左氏伝 / 昭公二十五年 是れ儀なり、礼に非ず
夏。會于黃父。謀王室也。趙簡子令諸侯之大夫輸王粟。具戍人。曰。明年將納王。子大叔見趙簡子。簡子問揖讓周旋之禮焉。對曰。是儀也。非禮也。簡子曰。敢問何謂禮。對曰。吉也聞諸先大夫子產曰。夫禮。天之經也。地之義也。民之行也。天地之經。而民實則之。則天之明。因地之性。生其六气。用其五行。气為五味。發為五色。章為五聲。淫則昏亂。民失其性。是故為禮以奉之。為六畜。五牲。三犧。以奉五味。為九文。六采。五章。以奉五色。為九謌。八風。七音。六律。以奉五聲。為君臣上下。以則地義。為夫婦外内。以經二物。為父子。兄弟。姑姊。甥舅。
新字:夏。会于黄父。謀王室也。趙簡子令諸侯之大夫輸王粟。具戍人。曰。明年将納王。子大叔見趙簡子。簡子問揖譲周旋之礼焉。対曰。是儀也。非礼也。簡子曰。敢問何謂礼。対曰。吉也聞諸先大夫子産曰。夫礼。天之経也。地之義也。民之行也。天地之経。而民実則之。則天之明。因地之性。生其六气。用其五行。气為五味。発為五色。章為五声。淫則昏乱。民失其性。是故為礼以奉之。為六畜。五牲。三犠。以奉五味。為九文。六采。五章。以奉五色。為九謌。八風。七音。六律。以奉五声。為君臣上下。以則地義。為夫婦外内。以経二物。為父子。兄弟。姑姊。甥舅。
書き下し
夏、黃父に會す。王室を謀るなり。趙簡子諸侯の大夫に令して、王に粟を輸し、戍人を具へしめて、曰く、「明年將に王を納れんとす」と。子大叔趙簡子に見ゆ。簡子揖讓周旋の禮を問ふ。對へて曰く、「是れ儀なり、禮に非ざるなり」と。簡子曰く、「敢へて問ふ、何をか禮と謂ふ」と。對へて曰く、「吉や諸を先大夫子產に聞けり。曰く、『夫れ禮は、天の經なり、地の義なり、民の行なり』と。天地の經にして、民實に之に則る。天の明に則り、地の性に因り、其の六气を生じ、其の五行を用ふ。气は五味と為り、發して五色と為り、章はれて五聲と為る。淫すれば則ち昏亂し、民其の性を失ふ。是の故に禮を為りて以って之を奉ず。六畜・五牲・三犧を為りて、以って五味を奉じ、九文・六采・五章を為りて、以って五色を奉じ、九謌・八風・七音・六律を為りて、以って五聲を奉ず。君臣上下を為りて、以って地の義に則り、夫婦外内を為りて、以って二物を經し、父子・兄弟・姑姊・甥舅・
現代語訳
夏、黄父で会合した。王室の乱の処置を相談するためである。晋の趙簡子(ちょうかんし、趙鞅)は諸侯の大夫たちに命じて、王に穀物を送り、守備の兵を用意させ、「来年、王を王城に送り込む」と言った。鄭の子大叔が趙簡子に会うと、簡子は、会釈やへりくだり、立ち居振る舞いの礼について質問した。子大叔は答えた。「それは儀(作法)であって、礼ではありません」。簡子は言った。「では、あえてお尋ねしますが、何を礼というのですか」。子大叔は答えた。「私(吉)は先代の大夫子産からこう聞いております。『そもそも礼とは、天の常道であり、地の正しい道理であり、民の行いの基準である』と。天地の常道であるからこそ、民はまことにそれに則るのです。天の明るさ(日月星辰)に則り、地の性質に従い、そこから六つの気(陰・陽・風・雨・晦・明)が生じ、五行(木火土金水)が用いられます。気は五つの味となり、現れては五つの色となり、はっきりと表れては五つの音となります。これらが度を越せば混乱し、民は本来の性を失います。だから礼を作ってこれらを奉じ整えるのです。六畜・五牲・三犠を定めて五味を奉じ、九文・六采・五章(衣服や旗の文様と色彩)を定めて五色を奉じ、九歌・八風・七音・六律を定めて五声を奉じます。君臣上下の秩序を作って地の道理に則り、夫婦や内外の区別を作って陰陽二つのものを治め、父子・兄弟・姑姉・甥舅・
解説
この章句が説くこと
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論語・八佾篇林放礼の本を問う。子曰く、「大なるかな問いや。礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは、寧ろ戚めよ。」
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『春秋左氏伝』昭公二十六年 礼の以て国を為むべきや久し式(もっ)て謌(うた)ひ且つ舞へ』と。陳氏の施し、民之を謌舞す。後世若し少しく惰りて陳氏にして亡びずんば、則ち國は其の國ならんのみ」と。公曰く、「善いかな。是れ若何す可き」と。對へて曰く、「唯だ禮以って之を已む可し。禮に在りては、家の施しは國に及ばず、民は遷らず、農は移らず、工・賈は變ぜず、士は濫せず、官は滔(おご)らず、大夫は公利を收めず」と。公曰く、「善いかな。我能はざるなり。吾今にして後に禮の以って國を為む可きを知る」と。對へて曰く、「禮の以って國を為む可きや久し。天地と並ぶ。君令し臣共し、父慈に子孝に、兄愛し弟敬し、夫和し妻柔に、姑慈に婦聽く、禮なり。君令して違はず、臣共して貳(ふたごころ)あらず、父慈にして教へ、子孝にして箴(いさ)め、兄愛して友に、弟敬して順ひ、夫和して義あり、妻柔にして正しく、姑慈にして從ひ、婦聽きて婉(ゑん)なるは、禮の善物なり」と。公曰く、「善いかな。寡人今にして後に此の禮の上を聞く」と。對へて曰く、「先王の天地に稟くる所にして、以って其の民を為むるなり。是を以って先王之を上ぶ」と。
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易経・序卦儀、錯(お)く所有り。
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史記 劉敬叔孫通列伝遂に徵す所の三十人と西し、及び上の左右の學を為す者と其の弟子百餘人と、綿蕞(めんぜつ)を野外に為す。之を習ふこと月餘、叔孫通曰く、「上試みに觀るべし」と。上既に觀て、禮を行はしめて曰く、「吾能く此を為さん」と。乃ち群臣をして習肄せしめ、十月に會す。漢の七年、長樂宮成り、諸侯群臣皆十月に朝す。儀は、平明に先だち、謁者禮を治め、引きて次を以て殿門に入らしむ。廷中には車騎步卒を陳ねて宮を衛らしめ、兵を設け旗志を張る。傳へて「趨れ」と言ふ。殿下には郎中陛を俠み、陛ごとに數百人。功臣・列侯・諸將軍・軍吏は次を以て西方に陳なりて東鄉し、文官は丞相以下東方に陳なりて西鄉す。大行九賓を設け、臚傳す。是に於いて皇帝輦にて房を出づ。百官職を執りて警を傳へ、諸侯王以下吏六百石に至るまでを引きて次を以て賀を奉ぜしむ。諸侯王より以下、振恐して肅敬せざる莫し。禮畢はるに至りて、復た法酒を置く。諸々の殿上に侍坐する者、皆伏して首を抑へ、尊卑の次を以て起ちて壽を上る。觴九たび行き、謁者「酒を罷めよ」と言ふ。御史法を執り、儀の如くならざる者を舉げて輒ち引き去る。朝を竟へて酒を置くに、敢へて讙譁して禮を失ふ者無し。是に於いて高帝曰く、「吾乃ち今日皇帝為るの貴きを知れり」と。乃ち叔孫通を拜して太常と為し、金五百斤を賜ふ。叔孫通因りて進みて曰く、「諸弟子儒生、臣に隨ふこと久し。臣と共に儀を為す。願はくは陛下之を官とせよ」と。高帝悉く以て郎と為す。叔孫通出でて、皆五百斤の金を以て諸生に賜ふ。諸生乃ち皆喜びて曰く、「叔孫生は誠に聖人なり。當世の要務を知る」と。漢の九年、高帝叔孫通を徙して太子太傅と為す。漢の十二年、高祖趙王如意を以て太子に易へんと欲す。叔孫通上を諫めて曰く、「昔者晉の獻公、驪姬の故を以て太子を廢し、奚齊を立つ。晉國亂るること數十年、天下の笑ひと為る。
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『韓非子』解老第二十中心懐ひて諭らず、故に疾く趨り卑く拝して之を明らかにす。実心愛して知られず、故に言を好くし辞を繁くして以て之を信にす。礼は、外飾の以て内を諭す所以なり。故に曰く、礼は以て情を貌するなりと。凡そ人の外物の為に動くや、其の身の礼たることを知らざるなり。衆人の礼を為すや、以て他人を尊ぶ。故に時に勧み時に衰ふ。君子の礼を為すは、以て其の身の為にす。以て其の身の為にす、故に之を神にして上礼と為す。上礼は神にして衆人は弐なり、故に相応ずること能はず。相応ずること能はず、故に曰く、「上礼は之を為して之に応ずること莫し」と。衆人弐なりと雖も、聖人の恭敬を復し手足の礼を尽くすや衰へず。故に曰く、「臂を攘ひて之を仍く」と。道に積有りて積に功有り。徳は、道の功なり。功に実有りて実に光有り。仁は、徳の光なり。光に沢有りて沢に事有り。義は、仁の事なり。事に礼有りて礼に文有り。礼は、義の文なり。故に曰く、「道を失ひて後に徳を失ひ、徳を失ひて後に仁を失ひ、仁を失ひて後に義を失ひ、義を失ひて後に礼を失ふ」と。礼は情の貌為る者なり、文は質の飾為る者なり。夫れ君子は情を取りて貌を去り、質を好みて飾を悪む。夫れ貌を恃みて情を論ずる者は、其の情悪しきなり。飾を須ちて質を論ずる者は、其の質衰へたるなり。何を以て之を論ずる。和氏の璧は、飾るに五采を以てせず。隋侯の珠は、飾るに銀黄を以てせず。其の質至美にして、物以て之を飾るに足らず。夫れ物の飾を待ちて後に行はるる者は、其の質美ならざるなり。是を以て父子の間は、其の礼樸にして明らかならず。故に曰く、礼薄しと。凡そ物は並び盛んならず、陰陽是れなり。理は相奪予す、威徳是れなり。実厚き者は貌薄し、父子の礼是れなり。
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論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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