春秋左氏伝 / 昭公二十三年 雞父の戦い
吳人伐州來。楚薳越帥師。及諸侯之師。奔命救州來。吳人禦諸鍾離。子瑕卒。楚師熸。吳公子光曰。諸侯從於楚者眾。而皆小國也。畏楚而不獲已。是以來。吾聞之曰。作事威克其愛。雖小必濟。胡沈之君幼而狂。陳大夫齧壯而頑。頓與許蔡疾楚政。楚令尹死。其師熸。帥賤多寵。政令不壹。七國同役而不同心。帥賤而不能整。無大威命。楚可敗也。若分師先以犯胡沈與陳。必先奔。三國敗。諸侯之師乃搖心矣。諸侯乖亂。楚必大奔。請先者去備薄威。後者敦陳整旅。吳子從之。戊辰。晦。戰于雞父。吳子以罪人三千。先犯胡沈與陳。三國爭之。吳為三軍以繫於後。中軍從王。光帥右。掩餘帥左。吳之罪人。或奔或止。三國亂。吳師擊之。三國敗。獲胡沈之君。及陳大夫。舍胡沈之囚。使奔許與蔡頓。曰。吾君死矣。師譟而從之。三國奔。楚師大奔。書曰。胡子髡。沈子逞。滅。獲陳夏齧。君臣之辭也。不言戰。楚未陳也。
新字:呉人伐州来。楚薳越帥師。及諸侯之師。奔命救州来。呉人禦諸鍾離。子瑕卒。楚師熸。呉公子光曰。諸侯従於楚者衆。而皆小国也。畏楚而不獲已。是以来。吾聞之曰。作事威克其愛。雖小必済。胡沈之君幼而狂。陳大夫齧壮而頑。頓与許蔡疾楚政。楚令尹死。其師熸。帥賤多寵。政令不壱。七国同役而不同心。帥賤而不能整。無大威命。楚可敗也。若分師先以犯胡沈与陳。必先奔。三国敗。諸侯之師乃揺心矣。諸侯乖乱。楚必大奔。請先者去備薄威。後者敦陳整旅。呉子従之。戊辰。晦。戦于鶏父。呉子以罪人三千。先犯胡沈与陳。三国争之。呉為三軍以繋於後。中軍従王。光帥右。掩余帥左。呉之罪人。或奔或止。三国乱。呉師撃之。三国敗。獲胡沈之君。及陳大夫。舎胡沈之囚。使奔許与蔡頓。曰。吾君死矣。師譟而従之。三国奔。楚師大奔。書曰。胡子髡。沈子逞。滅。獲陳夏齧。君臣之辞也。不言戦。楚未陳也。
書き下し
吳人州來を伐つ。楚の薳越師を帥ゐて、諸侯の師に及び、命に奔りて州來を救ふ。吳人諸を鍾離に禦ぐ。子瑕卒し、楚の師熸(き)ゆ。吳の公子光曰く、「諸侯の楚に從ふ者衆けれども、皆小國なり。楚を畏れて已むを獲ず、是を以って來る。吾之を聞けり、曰く、『事を作すに威其の愛に克たば、小なりと雖も必ず濟る』と。胡・沈の君は幼にして狂、陳の大夫齧は壯にして頑、頓と許・蔡とは楚の政を疾む。楚の令尹死し、其の師熸ゆ。帥賤しくして寵多く、政令壹ならず。七國役を同じくして心を同じくせず。帥賤しくして整ふる能はず、大いなる威命無し。楚敗る可きなり。若し師を分かちて先づ以って胡・沈と陳とを犯さば、必ず先づ奔らん。三國敗れば、諸侯の師乃ち心を搖かさん。諸侯乖亂せば、楚必ず大いに奔らん。請ふ先んずる者は備へを去り威を薄くし、後るる者は陳を敦くし旅を整へん」と。吳子之に從ふ。戊辰、晦、雞父に戰ふ。吳子罪人三千を以って、先づ胡・沈と陳とを犯す。三國之を爭ふ。吳三軍を為りて以って後に繫く。中軍は王に從ひ、光右を帥ゐ、掩餘左を帥ゐる。吳の罪人、或いは奔り或いは止まる。三國亂る。吳の師之を擊つ。三國敗る。胡・沈の君、及び陳の大夫を獲たり。胡・沈の囚を舍して、許と蔡・頓とに奔らしめて曰く、「吾が君死せり」と。師譟ぎて之に從ふ。三國奔り、楚の師大いに奔る。書して曰く、「胡子髡・沈子逞滅す。陳の夏齧を獲たり」と。君臣の辭なり。戰ふと言はざるは、楚未だ陳せざればなり。
現代語訳
呉が州来を討った。楚の薳越は軍を率い、諸侯の軍とともに、命を受けて急ぎ州来の救援に向かった。呉は鍾離でこれを迎え撃った。楚の令尹子瑕(しか、陽匄)が陣中で亡くなり、楚軍は意気消沈した。呉の公子光(こうしこう、のちの呉王闔閭)は言った。「楚に従っている諸侯は多いが、みな小国だ。楚を恐れてやむを得ず来ているにすぎない。私はこう聞いている。『事を行うのに、威厳が情けに勝っていれば、小さな勢力でも必ず成功する』と。胡と沈の君は幼くて無鉄砲、陳の大夫の夏齧(かげつ)は血気盛んで頑固、頓と許・蔡は楚の支配を憎んでいる。楚の令尹は死に、その軍は意気消沈している。指揮官(薳越)は身分が低いのに寵臣が多く、命令が統一されていない。七か国が同じ戦役に就いていながら心は一つでない。指揮官は身分が低くて軍を統率できず、強い威令もない。楚は破ることができる。もし軍を分けてまず胡・沈と陳を攻めれば、彼らは必ず真っ先に逃げるだろう。この三国が敗れれば、諸侯の軍は動揺する。諸侯が乱れれば、楚は必ず総崩れになる。どうか先陣の者は防備を捨てて弱く見せ、後陣の者は陣を厚くし隊伍を整えてください」。呉王(僚)はこれに従った。戊辰の月末の日、雞父で戦った。呉王は罪人三千人でまず胡・沈と陳を攻めた。三国は争ってこれに当たった。呉は三軍を編成してその後ろに控えさせた。中軍は王に従い、公子光が右軍を、掩余(えんよ)が左軍を率いた。呉の罪人たちは、ある者は逃げ、ある者は踏みとどまった。三国の軍は(追いかけて)乱れた。呉の軍はそこを撃ち、三国は敗れた。胡と沈の君、そして陳の大夫を捕らえた。呉は胡と沈の捕虜を放して、許・蔡・頓の陣に逃げ込ませ、「我らの君は死んだ」と叫ばせた。呉軍は大声を上げてその後を追った。三国は逃げ、楚の軍も総崩れとなった。『春秋』が「胡子髡(こん)・沈子逞(てい)滅す。陳の夏齧を獲たり」と書いたのは、君と臣とで書き方を分けたのである(君が死ねば「滅す」、臣が捕らわれれば「獲る」)。「戦う」と書かなかったのは、楚がまだ陣を布いていなかったからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 周本紀是に於て武王遍く諸侯に告げて曰く、「殷重罪有り、以て畢く伐たざる可からず」と。乃ち文王に遵ひ、遂に戎車三百乗、虎賁三千人、甲士四万五千人を率ゐて、以て東のかた紂を伐つ。十一年十二月戊午、師畢く盟津を渡り、諸侯咸会す。曰く、「孳孳として怠ること無かれ」と。武王乃ち太誓を作り、衆庶に告ぐ。「今殷王紂乃ち其の婦人の言を用ゐ、自ら天に絶ち、其の三正を毀壊し、其の王父母弟を離逖し、乃ち其の先祖の楽を断棄し、乃ち淫声を為り、用て正声を変乱し、婦人を怡説せしむ。故に今予発維れ共に天罰を行ふ。勉めよや夫子、再びす可からず、三たびす可からず」と。二月甲子の昧爽、武王朝に商の郊の牧野に至り、乃ち誓ふ。武王左に黄鉞を杖き、右に白旄を秉りて、以て麾く。曰く、「遠きかな西土の人」と。武王曰く、「嗟、我が有国の冢君、司徒・司馬・司空、亜旅・師氏、千夫長・百夫長、及び庸・蜀・羌・髳・微・纑・彭・濮の人、爾の戈を称げ、爾の干を比べ、爾の矛を立てよ。予其れ誓はん」と。王曰く、「古人言へる有り、『牝雞は晨する無し。牝雞の晨するは、惟れ家の索くるなり』と。今殷王紂は維れ婦人の言を是れ用ゐ、自ら其の先祖の肆祀を棄てて答へず、昏くして其の家国を棄て、其の王父母弟を遺てて用ゐず、乃ち維れ四方の多罪の逋逃を、是れ崇び是れ長とし、是れ信じ是れ使ひ、百姓に暴虐し、以て商国に姦軌せしむ。今予発維れ共に天の罰を行ふ。今日の事は、六歩七歩を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。夫子勉めよや。四伐五伐六伐七伐を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。勉めよや夫子。尚はくは桓桓として、虎の如く羆の如く、豺の如く離の如く、商の郊に于いて、奔るを御ぐことなく、以て西土に役せしめよ。勉めよや夫子。爾勉めざる所あらば、其れ爾の身に于いて戮有らん」と。
-
史記 呉王濞列伝呉の少将桓将軍王に説きて曰く、「呉は歩兵多し。歩兵は険に利あり。漢は車騎多し。車騎は平地に利あり。願はくは大王過ぐる所の城邑下らざれば、直ちに棄て去り、疾く西して雒陽の武庫に拠り、敖倉の粟を食み、山河の険に阻りて以て諸侯に令せよ。関に入る毋しと雖も、天下固より已に定まらん。即し大王徐行して、城邑を留め下さば、漢軍の車騎至りて、梁楚の郊に馳せ入らば、事敗れん」と。呉王諸老将に問ふ。老将曰く、「此れ少年の鋒を推すの計は可なるのみ。安くんぞ大慮を知らんや」と。是に於て王桓将軍の計を用ひず。呉王専ら其の兵を并せ将ゐ、未だ淮を度らざるに、諸賓客皆将・校尉・候・
-
孫子・始計篇孫子曰く、兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからず。
-
『韓非子』說林上二十二將に之を敗らん欲せば、必ず姑く之を輔けよ。將に之を取らんと欲せば、必ず姑く之に予えよ。
-
史記 黥布列伝山東は漢の有に非ざるなり。中計に出でば、勝敗の数未だ知るべからざるなり。下計に出でば、陛下枕を安んじて臥せん」と。上曰く、「何をか上計と謂ふ」と。令尹対へて曰く、「東のかた呉を取り、西のかた楚を取り、斉を并せ魯を取り、檄を燕・趙に伝へ、固く其の所を守らば、山東は漢の有に非ざるなり」と。「何をか中計と謂ふ」と。「東のかた呉を取り、西のかた楚を取り、韓を并せ魏を取り、敖庾の粟に拠り、成皋の口を塞がば、勝敗の数未だ知るべからざるなり」と。「何をか下計と謂ふ」と。「東のかた呉を取り、西のかた下蔡を取り、重を越に帰し、身は長沙に帰せば、陛下枕を安んじて臥し、漢事無からん」と。上曰く、「是の計将に安くにか出でんとす」と。令尹対へて曰く、「下計に出でん」と。上曰く、「何の謂ぞ上中計を廃して下計に出づるとは」と。令尹曰く、「布は故の麗山の徒なり。自ら万乗の主に致る。此れ皆身の為にして、後に百姓万世の為に慮ることを顧みざる者なり。故に下計に出づと曰ふ」と。上曰く、「善し」と。薛公に千戸を封ず。乃ち皇子長を立てて淮南王と為す。上遂に兵を発し、自ら将として東のかた布を撃つ。布の初めて反するや、其の将に謂ひて曰く、「上老いたり、兵を厭ふ。必ず来たる能はず。諸将をして使はしめん。諸将は独り淮陰・彭越を患ふるのみ。今皆已に死せり。余は畏るるに足らざるなり」と。故に遂に反す。果して薛公の之を籌るが如く、
-
史記 呂不韋列伝深く語る。呂不韋曰く、「秦王老いたり。安国君太子と為るを得たり。竊かに聞く、安国君は華陽夫人を愛幸す。華陽夫人子無し。能く適嗣を立つる者は独り華陽夫人のみと。今、子の兄弟二十余人、子又中に居り、甚だしくは幸せられず、久しく諸侯に質たり。即し大王薨じ、安国君立ちて王と為らば、則ち子は長子及び諸子の旦暮前に在る者と太子を争ふを得る幾毋し」と。子楚曰く、「然り。之を為すこと柰何」と。呂不韋曰く、「子は貧しく、此に客たり。以て親に奉献し及び賓客を結ぶ有るに非ざるなり。不韋貧しと雖も、請ふ千金を以て子の為に西游し、安国君及び華陽夫人に事へ、子を立てて適嗣と為さん」と。子楚乃ち頓首して曰く、「必ず君の策の如くならば、請ふ秦国を分かちて君と之を共にせん」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る