史記 / 黥布列伝
山東非漢之有也;出於中計,勝敗之數未可知也;出於下計,陛下安枕而臥矣。」上曰:「何謂上計?」令尹對曰:「東取吳,西取楚,并齊取魯,傳檄燕、趙,固守其所,山東非漢之有也。」「何謂中計?」「東取吳,西取楚,并韓取魏,據敖庾之粟,塞成皋之口,勝敗之數未可知也。」「何謂下計?」「東取吳,西取下蔡,歸重於越,身歸長沙,陛下安枕而臥,漢無事矣。」上曰:「是計將安出?」令尹對曰:「出下計。」上曰:「何謂廢上中計而出下計?」令尹曰:「布故麗山之徒也,自致萬乘之主,此皆為身,不顧後為百姓萬世慮者也,故曰出下計。」上曰:「善。」封薛公千戶。乃立皇子長為淮南王。上遂發兵自將東擊布。布之初反,謂其將曰:「上老矣,厭兵,必不能來。使諸將,諸將獨患淮陰、彭越,今皆已死,餘不足畏也。」故遂反。果如薛公籌之,
新字:山東非漢之有也;出於中計,勝敗之数未可知也;出於下計,陛下安枕而臥矣。」上曰:「何謂上計?」令尹対曰:「東取呉,西取楚,并斉取魯,伝檄燕、趙,固守其所,山東非漢之有也。」「何謂中計?」「東取呉,西取楚,并韓取魏,拠敖庾之粟,塞成皋之口,勝敗之数未可知也。」「何謂下計?」「東取呉,西取下蔡,帰重於越,身帰長沙,陛下安枕而臥,漢無事矣。」上曰:「是計将安出?」令尹対曰:「出下計。」上曰:「何謂廃上中計而出下計?」令尹曰:「布故麗山之徒也,自致万乗之主,此皆為身,不顧後為百姓万世慮者也,故曰出下計。」上曰:「善。」封薛公千戸。乃立皇子長為淮南王。上遂発兵自将東撃布。布之初反,謂其将曰:「上老矣,厭兵,必不能来。使諸将,諸将独患淮陰、彭越,今皆已死,余不足畏也。」故遂反。果如薛公籌之,
書き下し
山東は漢の有に非ざるなり。中計に出でば、勝敗の数未だ知るべからざるなり。下計に出でば、陛下枕を安んじて臥せん」と。上曰く、「何をか上計と謂ふ」と。令尹対へて曰く、「東のかた呉を取り、西のかた楚を取り、斉を并せ魯を取り、檄を燕・趙に伝へ、固く其の所を守らば、山東は漢の有に非ざるなり」と。「何をか中計と謂ふ」と。「東のかた呉を取り、西のかた楚を取り、韓を并せ魏を取り、敖庾の粟に拠り、成皋の口を塞がば、勝敗の数未だ知るべからざるなり」と。「何をか下計と謂ふ」と。「東のかた呉を取り、西のかた下蔡を取り、重を越に帰し、身は長沙に帰せば、陛下枕を安んじて臥し、漢事無からん」と。上曰く、「是の計将に安くにか出でんとす」と。令尹対へて曰く、「下計に出でん」と。上曰く、「何の謂ぞ上中計を廃して下計に出づるとは」と。令尹曰く、「布は故の麗山の徒なり。自ら万乗の主に致る。此れ皆身の為にして、後に百姓万世の為に慮ることを顧みざる者なり。故に下計に出づと曰ふ」と。上曰く、「善し」と。薛公に千戸を封ず。乃ち皇子長を立てて淮南王と為す。上遂に兵を発し、自ら将として東のかた布を撃つ。布の初めて反するや、其の将に謂ひて曰く、「上老いたり、兵を厭ふ。必ず来たる能はず。諸将をして使はしめん。諸将は独り淮陰・彭越を患ふるのみ。今皆已に死せり。余は畏るるに足らざるなり」と。故に遂に反す。果して薛公の之を籌るが如く、
現代語訳
山東の地は漢のものではなくなるだろう。中策をとれば、勝敗の行方はわからない。下策をとれば、陛下は枕を高くして眠ることができる」。高祖は言った。「上策とはどういうものか」。令尹(薛公)は答えた。「東は呉を取り、西は楚を取り、斉を併せて魯を取り、燕と趙に檄文を回して、しっかりと自分の地を守れば、山東は漢のものではなくなるだろう」。「中策とはどういうものか」。「東は呉を取り、西は楚を取り、韓を併せて魏を取り、敖倉の穀物を押さえて、成皋の入り口をふさげば、勝敗の行方はわからない」。「下策とはどういうものか」。「東は呉を取り、西は下蔡を取り、輜重(物資)を越に移し、自分は長沙に拠るならば、陛下は枕を高くして眠ることができ、漢には何の心配もない」。高祖は言った。「英布はどの策をとるだろうか」。令尹は答えた。「下策をとるだろう」。高祖は言った。「どうして上策や中策を捨てて下策をとると言えるのか」。令尹は言った。「英布はもとは驪山で労役に服していた囚人だ。自分の力で万乗の君主にまで成り上がった。これはみな自分の身のためであって、後々の民や万世のことまで考えて行動する者ではない。だから下策をとると言うのだ」。高祖は「よろしい」と言い、薛公に千戸の領地を与えた。そして皇子の劉長を淮南王に立てた。高祖はついに兵を出し、自ら率いて東へ向かって英布を討った。英布は反乱を起こしたばかりのころ、部下の将たちに言っていた。「陛下はもう年老いて、戦を嫌っている。きっと自分では来られない。諸将をよこすだろう。諸将の中で恐ろしいのは淮陰侯(韓信)と彭越だけだったが、今は二人とも死んでいる。あとは恐れるに足りない」。だからこそ反乱に踏み切ったのである。はたして薛公の見立てどおり、
解説
この章句が説くこと
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史記 范雎蔡沢列伝此の時に当たり、秦の昭王、謁者王稽を魏に使はす。鄭安平詐りて卒と為り、王稽に侍す。王稽問ふ、「魏に賢人の与に倶に西游すべき者有るか」と。鄭安平曰く、「臣の里中に張禄先生有り、君に見えて天下の事を言はんと欲す。その人仇有り、敢へて昼見えず」と。王稽曰く、「夜与に倶に来たれ」と。鄭安平、夜張禄と王稽に見ゆ。語未だ究まらざるに、王稽、范睢の賢なるを知り、謂ひて曰く、「先生、我を三亭の南に待て」と。私かに約して去る。王稽、魏を辞して去り、過りて范睢を載せて秦に入る。湖に至り、車騎の西より来たるを望見す。范睢曰く、「彼の来たる者は誰と為す」と。王稽曰く、「秦の相穣侯、東して県邑を行く」と。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は秦の権を専らにし、諸侯の客を内るるを悪むと。此れ恐らくは我を辱めん、我寧ろ且く車中に匿れん」と。頃有りて、穣侯果たして至り、王稽を労ひ、因りて車を立てて語りて曰く、「関東に何の変か有る」と。曰く、「有る無し」と。また王稽に謂ひて曰く、「謁君、諸侯の客子と倶に来たること無きを得んや。益無し、徒らに人の国を乱すのみ」と。王稽曰く、「敢へてせず」と。即ち別れ去る。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は智士なり、その事を見ること遅し。郷者車中に人有るを疑ひて、これを索むることを忘る」と。是に於いて范睢車を下りて走りて曰く、「此れ必ずこれを悔いん」と。行くこと十余里、果たして騎をして還りて車中を索めしむ、客無し、乃ち已む。王稽遂に范睢と咸陽に入る。已に使ひを報じ、因りて言ひて曰く、「魏に張禄先生有り、天下の弁士なり。曰く『秦王の国は累卵より危ふし、臣を得ば則ち安からん。然れども書を以て伝ふべからず』と。臣故に載せて来たる」と。秦王信ぜず、舎して食はしむるに草具を以てす。命を待つこと歳余。是の時に当たり、昭王已に立つこと三十六年。南のかた楚の鄢郢を抜き、楚の懐王秦に幽死す。秦東のかた斉を破る。湣王嘗て帝と称し、後これを去る。数々三晋を困しむ。天下の弁士を厭ひ、信ずる所無し。
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史記 呂太后本紀孝恵此を以て日々飲みて淫楽を為し、政を聴かず、故に病有るなり。二年、楚の元王・斉の悼恵王皆来朝す。十月、孝恵斉王と太后の前に燕飲す、孝恵以為へらく斉王は兄なりと、上坐に置き、家人の礼の如くす。太后怒り、乃ち両卮の酖を酌みて、前に置かしめ、斉王をして起ちて寿を為さしむ。斉王起つ、孝恵も亦起ち、卮を取りて倶に寿を為さんと欲す。太后乃ち恐れ、自ら起ちて孝恵の卮を泛(くつがへ)す。斉王之を怪しみ、因りて敢へて飲まず、詳(いつは)り酔ひて去る。問ひて、其の酖なるを知る、斉王恐れ、自ら以為へらく長安を脱するを得ずと、憂ふ。斉の内史士王に説きて曰く、「太后は独り孝恵と魯元公主とを有つ。今王は七十余城を有ち、而して公主は乃ち数城を食む。王誠に一郡を以て太后に上り、公主の湯沐の邑と為さば、太后必ず喜び、王必ず憂ひ無からん。」と。是に於て斉王乃ち城陽の郡を上り、公主を尊びて王太后と為す。呂后喜び、之を許す。乃ち斉の邸に置酒し、楽しみ飲み、罷みて、斉王を帰す。三年、方に長安城を築く、四年に半ばを就し、五年六年に城就る。諸侯来会す。十月朝賀す。七年秋八月戊寅、孝恵帝崩ず。喪を発す、太后哭すれども、泣下らず。留侯の子張辟彊侍中為り、年十五、丞相に謂ひて曰く、「太后は独り孝恵を有つのみ、今崩じて、哭すれども悲しまず、君其の解を知るか。」と。丞相曰く、「何の解ぞ。」と。辟彊曰く、「帝に壮子毋し、太后君等を畏る。君今請ひて呂台・呂産・呂禄を拝して将と為し、兵を将ゐて南北軍に居らしめ、及び諸呂皆宮に入り、中に居りて事を用ゐしめよ、此くの如くならば則ち太后の心安んじ、君等幸ひに禍を脱するを得ん。」と。丞相乃ち辟彊の計の如くす。太后説び、其の哭乃ち哀し。呂氏の権此より起こる。乃ち天下に大赦す。九月辛丑、葬る。太子即位して帝と為り、高廟に謁す。元年、号令一に太后より出づ。
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