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春秋左氏伝 / 昭公二十三年 薳越、自ら縊る

八月。丁酉。南宮極震。萇弘謂劉文公曰。君其勉之。先君之力可濟也。周之亡也。其三川震。今西王之大臣亦震。天棄之矣。東王必大克。楚大子建之母在郹。召吳人而啟之。冬。十月。甲申。吳大子諸樊入郹。取楚夫人。與其寶器以歸。楚司馬薳越追之。不及。將死。眾曰。請遂伐吳以徼之。薳越曰。再敗君師。死且有罪。亡君夫人。不可以莫之死也。乃縊於薳澨。公為叔孫故如晉。及河。有疾而復。

新字:八月。丁酉。南宮極震。萇弘謂劉文公曰。君其勉之。先君之力可済也。周之亡也。其三川震。今西王之大臣亦震。天棄之矣。東王必大克。楚大子建之母在郹。召呉人而啓之。冬。十月。甲申。呉大子諸樊入郹。取楚夫人。与其宝器以帰。楚司馬薳越追之。不及。将死。衆曰。請遂伐呉以徼之。薳越曰。再敗君師。死且有罪。亡君夫人。不可以莫之死也。乃縊於薳澨。公為叔孫故如晋。及河。有疾而復。

書き下し

八月、丁酉、南宮極震す。萇弘劉文公に謂ひて曰く、「君其れ之を勉めよ。先君の力濟す可きなり。周の亡ぶるや、其の三川震す。今西王の大臣も亦た震す。天之を棄てたり。東王必ず大いに克たん」と。楚の大子建の母郹に在り、吳人を召して之を啟く。冬、十月、甲申、吳の大子諸樊郹に入り、楚の夫人と其の寶器とを取りて以って歸る。楚の司馬薳越之を追ひ、及ばず。將に死せんとす。衆曰く、「請ふ遂に吳を伐ちて以って之を徼めん」と。薳越曰く、「再び君の師を敗る、死すとも且つ罪有り。君の夫人を亡ふ、以って之に死する莫かる可からず」と。乃ち薳澨に縊る。公叔孫の故の為に晉に如く。河に及び、疾有りて復る。

現代語訳

八月丁酉の日、王子朝側の南宮極が地震で死んだ。萇弘(ちょうこう、周の大夫)は劉文公(劉蚡)に言った。「君はどうか努めてください。先君(劉献公)の築いた力で事を成し遂げられます。西周が滅びたとき、その三つの川の流域で地震がありました。いま西の王(王城にいる王子朝)の大臣もまた地震で死にました。天は彼を見捨てたのです。東の王(敬王)はきっと大勝するでしょう」。楚の太子建の母は(平王に疎んじられて)郹(げき)の邑にいたが、呉の人を呼び寄せて城門を開けた。冬十月甲申の日、呉の太子諸樊(しょはん)が郹に入り、楚の夫人とその宝物を奪って帰った。楚の司馬薳越はこれを追ったが追いつけず、死のうとした。人々は言った。「どうかこのまま呉を攻めて、功を立てて償いましょう」。薳越は言った。「二度も君の軍を敗れさせた。死んでもなお罪がある。そのうえ君の夫人を失った。これに死をもって償わないわけにはいかない」。そこで薳澨(いぜい)で首をくくって死んだ。魯の昭公は叔孫の件のために晋へ行こうとしたが、黄河まで来て病気になり引き返した。

解説

三つの記事が並ぶ。周の萇弘は、王子朝側の大臣が地震で死んだことを、西周滅亡時の三川の地震になぞらえて天の見放した印と説いた。天災を政治の吉凶に結びつける当時の考え方で、味方を鼓舞する言葉でもある。楚では、平王に疎まれた太子建の母が呉を手引きし、呉は楚の夫人と宝器を奪い去った。雞父での敗戦に続く失態に、司馬の薳越は責任を取って自死する。部下たちは呉を攻めて挽回しようと勧めたが、薳越は、二度の敗北だけでも死に値するうえ、君の夫人まで失った以上は死ぬほかないと答えた。挽回の機会よりも、責任の所在をはっきりさせることを選んだのである。前年、宋の華氏支援をめぐって大宰犯に諫められた楚の出兵の指揮官も薳越であった。失敗の責任をどう取るかは、時代を超えて組織の信頼を左右する問題である。

この章句が説くこと

責任天災予兆失敗信頼

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