史記 / 呂不韋列伝
呂不韋曰、秦王老矣、安國君得為太子。竊聞安國君愛幸華陽夫人、華陽夫人無子、能立適嗣者獨華陽夫人耳。今子兄弟二十餘人、子又居中、不甚見幸、久質諸侯。即大王薨、安國君立為王、則子毋幾得與長子爭為太子矣。子楚曰、然、為之柰何。呂不韋曰、子貧、非有以奉獻於親及結賓客也。不韋雖貧、請以千金為子西游、事安國君及華陽夫人、立子為適嗣。子楚乃頓首曰、必如君策、請得分秦國與君共之。
新字:呂不韋曰、秦王老矣、安国君得為太子。竊聞安国君愛幸華陽夫人、華陽夫人無子、能立適嗣者独華陽夫人耳。今子兄弟二十余人、子又居中、不甚見幸、久質諸侯。即大王薨、安国君立為王、則子毋幾得与長子争為太子矣。子楚曰、然、為之柰何。呂不韋曰、子貧、非有以奉献於親及結賓客也。不韋雖貧、請以千金為子西游、事安国君及華陽夫人、立子為適嗣。子楚乃頓首曰、必如君策、請得分秦国与君共之。
書き下し
呂不韋曰く、「秦王老いたり、安国君太子と為るを得。竊かに聞く、安国君華陽夫人を愛幸し、華陽夫人子無し、能く適嗣を立つる者は独り華陽夫人のみ、と。今子は兄弟二十余人、子又中に居り、甚だしくは幸せられず、久しく諸侯に質たり。即し大王薨じ、安国君立ちて王と為らば、則ち子長子と太子為るを争ふを幾(こひねが)ふを得る毋からん」と。子楚曰く、「然り、之を為すこと柰何」と。呂不韋曰く、「子貧しく、以て親に奉献し及び賓客に結ぶ有るに非ず。不韋貧しと雖も、請ふ千金を以て子の為に西游し、安国君及び華陽夫人に事へ、子を立てて適嗣と為さん」と。子楚乃ち頓首して曰く、「必ず君の策の如くば、請ふ秦国を分かちて君と共にするを得ん」と。
現代語訳
呂不韋は言った。「秦王は老いており、安国君が太子となられました。ひそかに聞くところでは、安国君は華陽夫人を寵愛しておられ、その華陽夫人には子がない。跡継ぎを立てられるのは華陽夫人ただ一人です。ところであなたには兄弟が二十余人おり、あなたはその真ん中あたり。とりわけ寵愛されているわけでもなく、長く諸侯の人質になっている。もし大王が亡くなり、安国君が即位されても、あなたが長子と太子の座を争うことなど、望むべくもありません」。子楚は言った。「そのとおりだ。どうすればよい」。呂不韋は言った。「あなたは貧しく、父君に贈り物をしたり賓客と縁を結んだりする余裕がない。私は貧しい身ですが、千金を投じてあなたのために西へ行き、安国君と華陽夫人に働きかけ、あなたを跡継ぎに立てさせましょう」。子楚は頭を下げて言った。「もし本当にあなたの策どおりになったら、秦の国を分けてあなたと分かち合いたい」。
解説
この章句が説くこと
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