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春秋左氏伝 / 昭公二十二年 天の廃する所

言王室之亂也。閔馬父曰。子朝必不克。其所與者。天所廢也。單子欲告急於晉。秋。七月。戊寅。以王如平畤。遂如圃車。次于皇。劉子如劉。單子使王子處守于王城。盟百工于平宮。辛卯。鄩肸伐皇。大敗。獲鄩肸。壬辰。焚諸王城之市。八月。辛酉。司徒醜以王師敗績于前城。百工叛。己巳。伐單氏之宮。敗焉。庚午。反伐之。辛未。伐東圉。冬。十月。丁巳。晉籍談。荀躒。帥九州之戎。及焦瑕溫原之帥。以納王于王城。庚申。單子劉蚡以王師敗績于郊。前城人敗陸渾于社。十一月。乙酉。王子猛卒。不成喪也。己丑。敬王即位。館于子旅氏。

新字:言王室之乱也。閔馬父曰。子朝必不克。其所与者。天所廃也。単子欲告急於晋。秋。七月。戊寅。以王如平畤。遂如圃車。次于皇。劉子如劉。単子使王子処守于王城。盟百工于平宮。辛卯。鄩肸伐皇。大敗。獲鄩肸。壬辰。焚諸王城之市。八月。辛酉。司徒醜以王師敗績于前城。百工叛。己巳。伐単氏之宮。敗焉。庚午。反伐之。辛未。伐東圉。冬。十月。丁巳。晋籍談。荀躒。帥九州之戎。及焦瑕温原之帥。以納王于王城。庚申。単子劉蚡以王師敗績于郊。前城人敗陸渾于社。十一月。乙酉。王子猛卒。不成喪也。己丑。敬王即位。館于子旅氏。

書き下し

王室の亂を言ふなり。閔馬父曰く、「子朝必ず克たざらん。其の與する所の者は、天の廢する所なり」と。單子急を晉に告げんと欲す。秋、七月、戊寅、王を以って平畤に如き、遂に圃車に如き、皇に次る。劉子劉に如く。單子王子處をして王城を守らしめ、百工に平宮に盟ふ。辛卯、鄩肸皇を伐ち、大いに敗れ、鄩肸を獲たり。壬辰、諸を王城の市に焚く。八月、辛酉、司徒醜王師を以って前城に敗績す。百工叛く。己巳、單氏の宮を伐ち、焉に敗る。庚午、反りて之を伐つ。辛未、東圉を伐つ。冬、十月、丁巳、晉の籍談・荀躒、九州の戎、及び焦・瑕・溫・原の帥を帥ゐて、以って王を王城に納る。庚申、單子・劉蚡、王師を以って郊に敗績す。前城の人、陸渾を社に敗る。十一月、乙酉、王子猛卒す。喪を成さざるなり。己丑、敬王位に即き、子旅氏に館す。

現代語訳

(『春秋』が叔鞅の帰国を「京師より至る」と特に記したのは)周王室の乱を言い表しているのである。閔馬父(びんばほ、魯の大夫)は言った。「王子朝はきっと勝てない。彼が味方にしているのは、天が見捨てた者たち(職を失った旧官や滅びた一族)だからだ」。単子は晋に急を告げようとした。秋七月戊寅の日、王(悼王)を連れて平畤へ行き、さらに圃車へ行き、皇に駐留した。劉子は劉の邑へ行った。単子は王子処に王城を守らせ、工人たちを平宮で盟わせた。辛卯の日、王子朝側の鄩肸(じんきつ)が皇を攻めたが大敗し、鄩肸は捕らえられた。壬辰の日、王城の市で彼を焼き殺した。八月辛酉の日、司徒の醜が王の軍を率いて前城で大敗した。工人たちが背いた。己巳の日、彼らは単氏の屋敷を攻めたが敗れた。庚午の日、単氏側が反撃した。辛未の日、東圉を討った。冬十月丁巳の日、晋の籍談(せきだん)と荀躒(じゅんれき)が九州の戎と、焦・瑕・温・原の地の将を率いて、王を王城に送り込んだ。庚申の日、単子と劉蚡が王の軍を率いて郊で大敗した。前城の人々は陸渾の戎を社の地で破った。十一月乙酉の日、王子猛が亡くなった。(『春秋』が「王崩ず」ではなく「王子猛卒す」と書いたのは)王としての喪礼を整えられなかったからである。己丑の日、敬王(王子猛の同母弟、王子匄)が即位し、子旅氏の屋敷に仮住まいした。

解説

周の内乱の戦況が日付を追って細かく記される。冒頭の「王室の乱を言うなり」は、『春秋』がこの年の記事に王室の混乱をどう映したかという書法の説明である。魯の閔馬父は、王子朝が味方にしている者は「天の廃する所」、すでに職を失い没落した者たちだから勝てないと見通した。不満を集めて起こした勢力は、勢いはあっても、それ以上に何かを築く基盤を欠くという見立てである。戦局は一進一退で、百工の離反、晋軍の介入と続くうちに、単子が擁立した悼王(王子猛)が亡くなる。『春秋』は彼を「王崩ず」ではなく「王子猛卒す」と記した。正式な即位の儀礼も喪礼も整わなかったためで、呼び名一つに王権の不安定さが刻まれている。後を継いだ敬王も、王城に入れず臣下の屋敷に仮住まいするところから始まる。正統性の欠けた始まりがいかに長引くかを思わせる記事である。

この章句が説くこと

正統性書法内乱天命記録

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