春秋左氏伝 / 昭公二十二年 王子朝の乱
丁巳葬景王王子朝因舊官百工之喪職秩者。與靈景之族以作亂。帥郊要餞之甲。以逐劉子。壬戌。劉子奔揚。單子逆悼王于莊宮。以歸。王子還。夜取王以如莊宮。癸亥。單子出。王子還與召莊公謀曰。不殺單旗。不捷。與之重盟。必來背盟。而克者多矣。從之。樊頃子曰。非言也。必不克。遂奉王以追單子。及領。大盟而復。殺摯荒以說。劉子如劉。單子亡。乙丑。奔于平畤。群王子追之。單子殺還。姑。發。弱。鬷。延。定。稠。子朝奔京。丙寅。伐之。京人奔山。劉子入于王城。辛未。鞏簡公敗績于京。乙亥。甘平公亦敗焉。叔鞅至自京師。
新字:丁巳葬景王王子朝因旧官百工之喪職秩者。与霊景之族以作乱。帥郊要餞之甲。以逐劉子。壬戌。劉子奔揚。単子逆悼王于荘宮。以帰。王子還。夜取王以如荘宮。癸亥。単子出。王子還与召荘公謀曰。不殺単旗。不捷。与之重盟。必来背盟。而克者多矣。従之。樊頃子曰。非言也。必不克。遂奉王以追単子。及領。大盟而復。殺摯荒以説。劉子如劉。単子亡。乙丑。奔于平畤。群王子追之。単子殺還。姑。発。弱。鬷。延。定。稠。子朝奔京。丙寅。伐之。京人奔山。劉子入于王城。辛未。鞏簡公敗績于京。乙亥。甘平公亦敗焉。叔鞅至自京師。
書き下し
丁巳、景王を葬る。王子朝、舊官・百工の職秩を喪ひし者と、靈・景の族とに因りて、以って亂を作す。郊・要・餞の甲を帥ゐて、以って劉子を逐ふ。壬戌、劉子揚に奔る。單子悼王を莊宮に逆へて、以って歸る。王子還、夜王を取りて以って莊宮に如く。癸亥、單子出づ。王子還、召莊公と謀りて曰く、「單旗を殺さずんば、捷たず。之と重盟せば、必ず來らん。盟に背きて克つ者多し」と。之に從ふ。樊頃子曰く、「言に非ざるなり。必ず克たざらん」と。遂に王を奉じて以って單子を追ひ、領に及び、大いに盟ひて復る。摯荒を殺して以って說く。劉子劉に如く。單子亡ぐ。乙丑、平畤に奔る。群王子之を追ふ。單子、還・姑・發・弱・鬷・延・定・稠を殺す。子朝京に奔る。丙寅、之を伐つ。京人山に奔る。劉子王城に入る。辛未、鞏簡公京に敗績す。乙亥、甘平公も亦た焉に敗る。叔鞅京師より至る。
現代語訳
丁巳の日、景王を葬った。王子朝は、職と俸禄を失った旧来の官吏や工人たち、および霊王・景王の一族を頼みにして乱を起こした。郊・要・餞の地の兵を率いて劉子(劉蚡)を追った。壬戌の日、劉子は揚に逃れた。単子(単旗、単穆公)は悼王(王子猛)を荘宮に迎えて連れ帰った。王子還(おうじかん、王子朝の一党)は夜のうちに王を奪って荘宮へ連れて行った。癸亥の日、単子は都を出た。王子還は召荘公(しょうそうこう)と謀って言った。「単旗を殺さなければ勝てない。彼と厳重な盟約を結べば、必ずやって来るだろう。盟約に背いて勝った例はいくらでもある」。これに従った。樊頃子(はんけいし)は言った。「それはまともな言葉ではない。きっと勝てまい」。そこで王を奉じて単子を追い、領の地まで行き、盛大に盟約を結んで戻った。(盟約の証として)摯荒(しこう)を殺して単子への弁明とした。劉子は劉の邑へ行った。単子は逃亡し、乙丑の日、平畤に逃れた。王子たちが単子を追ったが、単子は王子の還・姑・発・弱・鬷・延・定・稠を殺した。王子朝は京に逃れた。丙寅の日、単子らは京を討った。京の人々は山に逃げた。劉子は王城に入った。辛未の日、王子朝側の鞏簡公(きょうかんこう)が京で大敗した。乙亥の日、甘平公もまたそこで敗れた。魯の叔鞅(しゅくおう)が周の都から帰ってきた。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公二十二年 天の廃する所王室の亂を言ふなり。閔馬父曰く、「子朝必ず克たざらん。其の與する所の者は、天の廢する所なり」と。單子急を晉に告げんと欲す。秋、七月、戊寅、王を以って平畤に如き、遂に圃車に如き、皇に次る。劉子劉に如く。單子王子處をして王城を守らしめ、百工に平宮に盟ふ。辛卯、鄩肸皇を伐ち、大いに敗れ、鄩肸を獲たり。壬辰、諸を王城の市に焚く。八月、辛酉、司徒醜王師を以って前城に敗績す。百工叛く。己巳、單氏の宮を伐ち、焉に敗る。庚午、反りて之を伐つ。辛未、東圉を伐つ。冬、十月、丁巳、晉の籍談・荀躒、九州の戎、及び焦・瑕・溫・原の帥を帥ゐて、以って王を王城に納る。庚申、單子・劉蚡、王師を以って郊に敗績す。前城の人、陸渾を社に敗る。十一月、乙酉、王子猛卒す。喪を成さざるなり。己丑、敬王位に即き、子旅氏に館す。
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『春秋左氏伝』昭公二十二年 雄鶏、自ら尾を断つ王子朝・賓起、景王に寵有り。王賓孟と之を說び、之を立てんと欲す。劉獻公の庶子伯蚡、單穆公に事ふ。賓孟の人と為りを惡み、之を殺さんと願ふ。又王子朝の言を惡み、以って亂と為し、之を去らんと願ふ。賓孟郊に適き、雄雞の自ら其の尾を斷つを見る。之を侍者に問ふ、曰く、「自ら其の犧たるを憚るなり」と。遽かに歸りて王に告げ、且つ曰く、「雞其れ人の用と為るを憚るか。人は是に異なり。犧は實に人に用ゐらる。人の犧たるは實に難し。己の犧たるは何ぞ害あらん」と。王應へず。夏、四月、王北山に田し、公卿をして皆從はしめ、將に單子・劉子を殺さんとす。王心疾有り。乙丑、榮錡氏に崩ず。戊辰、劉子摯卒す。子無し。單子劉蚡を立つ。五月、庚辰、王に見え、遂に賓起を攻めて、之を殺す。群王子に單氏に盟ふ。晉の鼓を取るや、既に獻じて鼓子を反す。又鮮虞に叛く。六月、荀吳東陽を略し、師をして糴(かいよね)する者に偽りて、甲を負ひて以って昔陽の門外に息はしめ、遂に鼓を襲ひて之を滅し、鼓子鳶鞮を以って歸り、涉佗をして之を守らしむ。
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