春秋左氏伝 / 昭公二十一年 張匄、多僚を殺す
五月。丙申。子皮將見司馬而行。則遇多僚。御司馬而朝。張匄不勝其怒。遂與子皮。臼任。鄭翩。殺多僚。劫司馬以叛。而召亡人。壬寅。華向入。樂大心。豐愆。華牼。禦諸橫。華氏居盧門。以南里叛。六月。庚午。宋城舊鄘及桑林之門。而守之。秋。七月。壬午。朔。日有食之。公問於梓慎曰。是何物也。禍福何為。對曰。二至二分。日有食之。不為災。日月之行也。分同道也。至相過也。其他月則為災。陽不克也。故常為水。於是叔輒哭日食。昭子曰。子叔將死。非所哭也。八月。叔輒卒。
新字:五月。丙申。子皮将見司馬而行。則遇多僚。御司馬而朝。張匄不勝其怒。遂与子皮。臼任。鄭翩。殺多僚。劫司馬以叛。而召亡人。壬寅。華向入。楽大心。豊愆。華牼。禦諸横。華氏居盧門。以南里叛。六月。庚午。宋城旧鄘及桑林之門。而守之。秋。七月。壬午。朔。日有食之。公問於梓慎曰。是何物也。禍福何為。対曰。二至二分。日有食之。不為災。日月之行也。分同道也。至相過也。其他月則為災。陽不克也。故常為水。於是叔輒哭日食。昭子曰。子叔将死。非所哭也。八月。叔輒卒。
書き下し
五月、丙申、子皮將に司馬に見えて行かんとす。則ち多僚の、司馬に御して朝するに遇ふ。張匄其の怒りに勝へず、遂に子皮・臼任・鄭翩と、多僚を殺し、司馬を劫して以って叛し、而して亡人を召す。壬寅、華・向入る。樂大心・豐愆・華牼、諸を橫に禦ぐ。華氏盧門に居り、南里を以って叛す。六月、庚午、宋舊鄘及び桑林の門に城きて、之を守る。秋、七月、壬午、朔、日之を食する有り。公梓慎に問ひて曰く、「是れ何物ぞや。禍福何をか為さん」と。對へて曰く、「二至二分に、日之を食する有るは、災ひと為らず。日月の行くや、分には道を同じくし、至には相過ぐればなり。其の他の月は則ち災ひと為る。陽克たざればなり。故に常に水と為る」と。是に於いて叔輒日食に哭す。昭子曰く、「子叔將に死せんとす。哭する所に非ざるなり」と。八月、叔輒卒す。
現代語訳
五月丙申の日、子皮(華貙)は父の司馬に別れを告げてから出発しようとした。すると、多僚が司馬の車を御して朝廷へ向かうところに出くわした。張匄は怒りを抑えきれず、ついに子皮・臼任(きゅうじん)・鄭翩(ていへん)とともに多僚を殺し、司馬を脅して反乱を起こし、亡命していた者たちを呼び戻した。壬寅の日、華氏・向氏の亡命者が宋に入った。樂大心(がくたいしん)・豐愆(ほうけん)・華牼(かこう)が横の地でこれを防いだ。華氏は都の盧門に立てこもり、南里の地区を拠点に反乱した。六月庚午の日、宋は旧鄘と桑林の門に城壁を築いて守りを固めた。秋七月壬午の朔日に日食があった。魯の昭公が梓慎(ししん、魯の天文を司る大夫)に尋ねた。「これは何の現れか。禍となるか福となるか」。梓慎は答えた。「冬至・夏至と春分・秋分に起こる日食は災いとはなりません。日と月の運行は、春分・秋分には同じ道を通り、冬至・夏至には互いに行き過ぎるからです。それ以外の月の日食は災いとなります。陽が陰に勝てないからです。そのためたいてい洪水となります」。このとき叔輒(しゅくちょう、子叔)が日食に声を上げて泣いた。叔孫昭子は言った。「子叔は死ぬだろう。日食は泣くべきものではない」。八月、叔輒が亡くなった。
解説
この章句が説くこと
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