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春秋左氏伝 / 昭公二十年 華向の乱

宋元公無信多私而惡。華向。華定。華亥。與向寧謀曰。亡愈於死。先諸華亥。偽有疾以誘群公子。公子問之。則執之。夏。六月。丙申。殺公子寅。公子御戎。公子朱。公子固。公孫援。公孫丁。拘向勝。向行。於其廩。公如華氏請焉。弗許。遂劫之。癸卯。取大子欒。與母弟辰、公子地。以為質。公亦取華亥之子無慼。向寧之子羅。華定之子啟。與華氏盟以為質。

新字:宋元公無信多私而悪。華向。華定。華亥。与向寧謀曰。亡愈於死。先諸華亥。偽有疾以誘群公子。公子問之。則執之。夏。六月。丙申。殺公子寅。公子御戎。公子朱。公子固。公孫援。公孫丁。拘向勝。向行。於其廩。公如華氏請焉。弗許。遂劫之。癸卯。取大子欒。与母弟辰、公子地。以為質。公亦取華亥之子無慼。向寧之子羅。華定之子啓。与華氏盟以為質。

書き下し

宋の元公信無く私多くして、華・向を惡む。華定・華亥、向寧と謀りて曰く、「亡ぐるは死するに愈れり。先んぜん」と。華亥偽りて疾有りとして、以て群公子を誘ふ。公子之を問へば、則ち之を執ふ。夏、六月、丙申、公子寅・公子御戎・公子朱・公子固・公孫援・公孫丁を殺し、向勝・向行を其の廩に拘ふ。公華氏に如きて焉を請ふ。許さず。遂に之を劫かす。癸卯、大子欒と母弟辰・公子地とを取りて、以て質と為す。公も亦た華亥の子無慼・向寧の子羅・華定の子啟を取り、華氏と盟ひて以て質と為す。

現代語訳

宋の元公は信義がなく、身びいきが多く、華氏と向氏を憎んでいた。華定と華亥は向寧と相談して言った。「国外に逃げるほうが殺されるよりはましだ。こちらから先に手を打とう」。華亥は病気だと偽って、公子たちを誘い出した。公子たちが見舞いに来ると、次々に捕らえた。夏六月丙申、公子寅・公子御戎・公子朱・公子固・公孫援・公孫丁を殺し、向勝と向行を米倉に監禁した。元公は華氏の屋敷に出向いて彼らの釈放を願ったが、華氏は許さず、かえって元公を脅した。癸卯、華氏は太子欒(らん)と元公の同母弟の辰、公子地を取って人質とした。元公もまた、華亥の子の無慼(むせき)、向寧の子の羅、華定の子の啓を取り、華氏と盟約を結んで互いの人質とした。

解説

年初に梓慎と叔孫昭子が予言した宋の乱が起きる。原因は冒頭に簡潔に書かれている。元公は信がなく私情が多く、華氏と向氏を憎んでいた。君主に憎まれた有力家は、殺されるよりは先に動こうと考えた。華亥は仮病で公子たちを呼び寄せて捕らえ、六人を殺し二人を監禁する。元公が自ら頼みに行っても聞かず、逆に脅して太子らを人質に取る。元公も華氏らの子を人質に取り、盟約を結んで双方が人質を握り合うという異様な均衡に落ち着いた。君主と重臣が互いの子を質に取るのは、信頼が完全に失われたことの表れである。この乱は叔孫昭子の見立てどおり戴公・桓公の後裔の驕りから起きたが、左伝はその起点に君主の「信無く私多し」を置いている。トップが特定の幹部を嫌っていることが明らかになると、嫌われた側は追い詰められて先手を打とうとする。不信は上からも下からも連鎖する。

この章句が説くこと

不信私情内乱人質先制

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