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史記 / 周本紀

土無所演,民乏財用,不亡何待!昔伊、洛竭而夏亡,河竭而商亡。今周德若二代之季矣,其川原又塞,塞必竭。夫國必依山川,山崩川竭,亡國之徵也。川竭必山崩。若國亡不過十年,數之紀也。天之所棄,不過其紀。」是歲也,三川竭,岐山崩。三年,幽王嬖愛褒姒。褒姒生子伯服,幽王欲廢太子。太子母申侯女,而為后。後幽王得褒姒,愛之,欲廢申后,并去太子宜臼,以褒姒為后,以伯服為太子。周太史伯陽讀史記曰:「周亡矣。」昔自夏后氏之衰也,有二神龍止於夏帝庭而言曰:「余,褒之二君。」夏帝卜殺之與去之與止之,莫吉。卜請其漦而藏之,乃吉。於是布幣而策告之,龍亡而漦在,櫝而去之。夏亡,傳此器殷。殷亡,又傳此器周。比三代,莫敢發之,至厲王之末,發而觀之。漦流于庭,不可除。厲王使婦人裸而譟之。漦化為玄黿,以入王後宮。後宮之童妾既齔而遭之,既笄而孕,無夫而生子,懼而棄之。宣王之時童女謠曰:「厭弧箕服,實亡周國。」於是宣王聞之,有夫婦賣是器者,宣王使執而戮之。逃於道,而見鄉者後宮童妾所棄妖子出於路者,聞其夜啼,哀而收之,夫婦遂亡,奔於褒。褒人有罪,請入童妾所棄女子者於王以贖罪。棄女子出於褒,是為褒姒。當幽王三年,王之後宮見而愛之,生子伯服,竟廢申后及太子,以褒姒為后,伯服為太子。太史伯陽曰:「禍成矣,無可奈何!」

新字:土無所演,民乏財用,不亡何待!昔伊、洛竭而夏亡,河竭而商亡。今周徳若二代之季矣,其川原又塞,塞必竭。夫国必依山川,山崩川竭,亡国之徴也。川竭必山崩。若国亡不過十年,数之紀也。天之所棄,不過其紀。」是歳也,三川竭,岐山崩。三年,幽王嬖愛褒姒。褒姒生子伯服,幽王欲廃太子。太子母申侯女,而為后。後幽王得褒姒,愛之,欲廃申后,并去太子宜臼,以褒姒為后,以伯服為太子。周太史伯陽読史記曰:「周亡矣。」昔自夏后氏之衰也,有二神竜止於夏帝庭而言曰:「余,褒之二君。」夏帝卜殺之与去之与止之,莫吉。卜請其漦而蔵之,乃吉。於是布幣而策告之,竜亡而漦在,櫝而去之。夏亡,伝此器殷。殷亡,又伝此器周。比三代,莫敢発之,至厲王之末,発而観之。漦流于庭,不可除。厲王使婦人裸而譟之。漦化為玄黿,以入王後宮。後宮之童妾既齔而遭之,既笄而孕,無夫而生子,懼而棄之。宣王之時童女謡曰:「厭弧箕服,実亡周国。」於是宣王聞之,有夫婦売是器者,宣王使執而戮之。逃於道,而見郷者後宮童妾所棄妖子出於路者,聞其夜啼,哀而収之,夫婦遂亡,奔於褒。褒人有罪,請入童妾所棄女子者於王以贖罪。棄女子出於褒,是為褒姒。当幽王三年,王之後宮見而愛之,生子伯服,竟廃申后及太子,以褒姒為后,伯服為太子。太史伯陽曰:「禍成矣,無可奈何!」

書き下し

土演ぶる所無くんば、民財用に乏し、亡びずして何をか待たん。昔伊・洛竭きて夏亡び、河竭きて商亡ぶ。今周の徳二代の季の若し、其の川原又塞がる、塞がれば必ず竭く。夫れ国は必ず山川に依る。山崩れ川竭くるは、亡国の徴なり。川竭くれば必ず山崩る。若し国亡ぶとも十年を過ぎず、数の紀なり。天の棄つる所、其の紀を過ぎず」と。是の歳や、三川竭き、岐山崩る。三年、幽王褒姒を嬖愛す。褒姒子伯服を生み、幽王太子を廃せんと欲す。太子の母は申侯の女にして、后為り。後に幽王褒姒を得て、之を愛し、申后を廃し、并せて太子宜臼を去り、褒姒を以て后と為し、伯服を以て太子と為さんと欲す。周の太史伯陽史記を読みて曰く、「周亡びたり」と。昔夏后氏の衰へしより、二神龍有りて夏帝の庭に止まりて言ひて曰く、「余は、褒の二君なり」と。夏帝之を殺すと之を去ると之を止むるとを卜するに、吉なる莫し。其の漦を請ひて之を蔵せんことを卜するに、乃ち吉なり。是に於て幣を布きて之に策告す。龍亡せて漦在り、櫝にして之を去る。夏亡びて、此の器を殷に伝ふ。殷亡びて、又此の器を周に伝ふ。三代に比びて、敢へて之を発く莫し。厲王の末に至りて、発きて之を観る。漦庭に流れ、除く可からず。厲王婦人をして裸にして之に譟がしむ。漦化して玄黿と為り、以て王の後宮に入る。後宮の童妾既に齔にして之に遭ひ、既に笄して孕み、夫無くして子を生み、懼れて之を棄つ。宣王の時童女謡ひて曰く、「厭弧箕服、実に周国を亡ぼさん」と。是に於て宣王之を聞く。夫婦是の器を売る者有り、宣王執へて之を戮さしむ。道に逃れ、而して郷者の後宮の童妾の棄てし所の妖子の路に出づる者を見、其の夜啼くを聞き、哀れみて之を収む。夫婦遂に亡げて、褒に奔る。褒人罪有り、童妾の棄てし所の女子を王に入れて以て罪を贖はんことを請ふ。棄てられし女子褒より出づ、是を褒姒と為す。幽王の三年に当たり、王の後宮に之を見て愛し、子伯服を生む。竟に申后及び太子を廃し、褒姒を以て后と為し、伯服を太子と為す。太史伯陽曰く、「禍成れり、奈何ともす可き無し」と。

現代語訳

土地が潤いを行きわたらせなければ、民は財貨に乏しくなる。滅びずして何を待つというのか。昔、伊水と洛水が涸れて夏が滅び、黄河が涸れて商が滅びた。今、周の徳は夏・殷二代の末期のようで、その川の源もまたふさがっている。ふさがれば必ず涸れる。そもそも国は必ず山川に依っている。山が崩れ川が涸れるのは、亡国の兆しである。川が涸れれば必ず山が崩れる。国が滅びるとすれば十年を越えないであろう。十は数の一巡りだからである。天が見捨てたものは、その一巡りを越えることがない。」この年、三つの川は涸れ、岐山が崩れた。三年、幽王は褒姒(ほうじ)を寵愛した。褒姒は子の伯服を生み、幽王は太子を廃そうとした。太子の母は申侯の娘で、王后であった。のちに幽王は褒姒を得て寵愛し、申后を廃し、あわせて太子宜臼(ぎきゅう)も退けて、褒姒を后とし、伯服を太子にしようとした。周の太史の伯陽は歴史の記録を読んで言った。「周は滅びた。」昔、夏后氏が衰えたころ、二匹の神竜が夏の帝の庭に降りてとどまり、「我々は褒の二人の君主である」と言った。夏の帝は、竜を殺すか、追い払うか、とどめておくかを占ったが、どれも吉と出なかった。竜のよだれをもらって保管したいと占うと、吉と出た。そこで供え物を並べて竜に祈りの言葉を告げた。竜は消え去り、よだれだけが残ったので、箱に収めてしまっておいた。夏が滅びると、この箱は殷に伝えられた。殷が滅びると、さらに周に伝えられた。三代にわたって、誰もこれを開けようとしなかった。厲王の末年になって、開けて見た。よだれは庭に流れ出し、取り除くことができなかった。厲王は女たちを裸にしてよだれに向かって騒ぎ立てさせた。するとよだれは黒いすっぽんに化け、王の後宮に入り込んだ。後宮の幼い侍女が歯の生え替わるころにこれに出会い、成人の髪飾りをつける年ごろになって身ごもり、夫もないのに子を生んだので、恐れてその子を捨てた。宣王の時、童女たちが「山桑の弓と箕の矢入れが、まことに周の国を滅ぼす」と歌っていた。宣王はこれを聞いた。ちょうどその弓と矢入れを売る夫婦がいたので、宣王は捕らえて殺させようとした。夫婦は道に逃れ、先ほど後宮の侍女が捨てた不吉な子が道端にいるのを見つけ、夜泣きするのを聞いてかわいそうに思い、拾い上げた。夫婦はそのまま逃げて褒の国へ走った。その後、褒の人が罪を犯したとき、侍女が捨てたその女の子を王に献上して罪を償いたいと願い出た。捨てられた女の子が褒から来たので、これを褒姒という。幽王の三年、王は後宮で彼女を見て寵愛し、子の伯服が生まれた。ついに申后と太子を廃し、褒姒を后とし、伯服を太子とした。太史の伯陽は言った。「災いはもう出来上がってしまった。どうすることもできない。」

解説

西周滅亡の序章となる褒姒の物語です。伯陽甫は地震と川の涸渇を見て、国の源がふさがれたしるしであり、十年以内に周は滅びると予言しました。続いて、夏の時代に竜が残したよだれが箱に封じられ、三代にわたって誰も開けなかったのに、厲王が開けたことで黒いすっぽんに化け、それに触れた侍女から生まれた子が、めぐりめぐって褒姒になったという不思議な来歴が語られます。幽王は褒姒を寵愛し、正統な后と太子を廃して、褒姒とその子を立てました。伝説の部分は奇怪ですが、司馬遷が言いたいのは、禁じられてきたものを軽々しく開け、正統な秩序を私情で覆すことの危うさでしょう。太史伯陽の「災いはもう出来上がってしまった」という嘆きは重く響きます。組織でも、トップの私情による人事が後継者の順序を覆したとき、その時点で将来の混乱はほぼ決まってしまうのです。

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