春秋左氏伝 / 昭公十七年 余皇を奪い返す
吳伐楚。陽匄為令尹。卜戰不吉。司馬子魚曰。我得上流。何故不吉。且楚故。司馬令龜。我請改卜。令曰。魴也。以其屬死之。楚師繼之。尚大克之。吉。戰于長岸。子魚先死。楚師繼之。大敗吳師。獲其乘舟餘皇。使隨人與後至者守之。環而塹之。及泉。盈其隧炭。陳以待命。吳公子光請於其眾曰。喪先王之乘舟。豈唯光之罪。眾亦有焉。請藉取之。以救死。眾許之。使長鬣者三人。潛伏於舟側。曰。我呼皇則對。師夜從之。三呼皆迭對。楚人從而殺之。楚師亂。吳人大敗之。取餘皇以歸。
新字:呉伐楚。陽匄為令尹。卜戦不吉。司馬子魚曰。我得上流。何故不吉。且楚故。司馬令亀。我請改卜。令曰。魴也。以其属死之。楚師継之。尚大克之。吉。戦于長岸。子魚先死。楚師継之。大敗呉師。獲其乗舟余皇。使随人与後至者守之。環而塹之。及泉。盈其隧炭。陳以待命。呉公子光請於其衆曰。喪先王之乗舟。豈唯光之罪。衆亦有焉。請藉取之。以救死。衆許之。使長鬣者三人。潜伏於舟側。曰。我呼皇則対。師夜従之。三呼皆迭対。楚人従而殺之。楚師乱。呉人大敗之。取余皇以帰。
書き下し
吳楚を伐つ。陽匄令尹為り。戰を卜して吉ならず。司馬子魚曰く、「我上流を得たり。何の故に吉ならざる。且つ楚の故、司馬龜に令す。我請ふ改めて卜せん」と。令して曰く、「魴や、其の屬を以て之に死せん。楚師之に繼ぎ、尚はくは大いに之に克たん」と。吉なり。長岸に戰ふ。子魚先づ死す。楚師之に繼ぎ、大いに吳師を敗り、其の乘舟餘皇を獲たり。隨人と後れて至る者とをして之を守らしむ。環りて之に塹し、泉に及ぶ。其の隧に炭を盈たし、陳して以て命を待つ。吳の公子光其の衆に請ひて曰く、「先王の乘舟を喪ふは、豈に唯だ光の罪のみならんや。衆も亦た焉に有り。請ふ藉りて之を取り、以て死を救はん」と。衆許す。長鬣なる者三人をして、舟の側に潛伏せしめて曰く、「我皇と呼ばば則ち對へよ」と。師夜之に從ふ。三たび呼べば皆迭ひに對ふ。楚人從ひて之を殺す。楚師亂る。吳人大いに之を敗り、餘皇を取りて以て歸る。
現代語訳
呉が楚を攻めた。楚では陽匄(ようかい、子瑕)が令尹(宰相)であった。戦いについて亀卜をしたところ、吉と出なかった。司馬の子魚(公子魴)が言った。「わが軍は川の上流を押さえている。どうして吉でないことがあろうか。しかも楚の古くからのしきたりでは、司馬が亀に占う事柄を告げることになっている。どうか私に改めて占わせてほしい」。そして亀に告げて言った。「私、魴は、配下の者を率いて敵に当たって死にましょう。楚の本隊がそれに続き、どうか大いに勝たせたまえ」。すると吉と出た。長岸で戦った。子魚はまっ先に戦死した。楚軍はそれに続いて呉軍を大いに破り、呉王の乗る船「余皇」を捕獲した。楚は随の兵と遅れて到着した者たちにこれを守らせた。船の周りに溝を掘りめぐらし、泉が湧くほど深く掘って、船に通じる道には炭を詰め、陣を敷いて命令を待った。呉の公子光(のちの呉王闔閭)は兵たちに願い出て言った。「先王の乗られた船を失ったのは、私一人の罪ではない。皆にも責めがある。どうか皆の力を借りて奪い返し、死罪を免れたい」。兵たちは承知した。公子光は、ひげの長い者(楚人に似せた者)三人を船のそばにひそませて言った。「私が『余皇』と呼んだら、答えよ」。夜、呉軍はそのあとに続いて攻め寄せた。三度呼ぶと、三人はかわるがわる答えた。楚兵は声のする方へ向かって彼らを殺したが、そのために楚軍は混乱した。呉軍はこれを大いに破り、余皇を取り返して帰った。
解説
この章句が説くこと
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司馬法・用眾任を棄て食を節す、是れを人の意を開くと謂う。古よりの政なり。
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戦国策・秦二・甘茂攻宜陽甘茂宜陽を攻む、三たび之を鼓するも卒上らず。秦の右將に尉有り對えて曰わく、「公兵を論ぜずんば、必ず大いに困しまん。」甘茂曰わく、「我羇旅にして秦に相たるを得る者は、我宜陽を以て王に餌するなり。今宜陽を攻めて拔かずんば、公孫衍・樗里疾我を內に挫き、公中韓を以て我を外に窮せしめん。是れ伐つの日無きのみ。請う明日之を鼓するも下すべからずんば、因りて宜陽の郭を以て墓と為さん。」是に於いて私金を出だして以て公賞を益す。明日之を鼓し、宜陽拔く。
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『長短経』教戦卒服習し、器用利なれば、将軍乃ち旄を秉り衆を麾きて之に誓う〔有虞氏は国に誡め、夏后氏は軍に誓い、殷は軍門の外に誓う。周は将に刃を交えんとして之に誓う。誓う所同じからず、吾は周に従う。之に誓いて曰く「嗚呼、溥天の下、王土に非ざる莫く、率土の浜、王臣に非ざる莫し。今、某国は五行を威侮し、三正を怠棄す。我が有衆をして、恭しく天討を行わしむ。命を用うる者は、賞時を踰えず。逗撓する者は、誅列を遷さず。死生富貴、此の一挙に在り。嗟、爾庶士、各々乃の心を勉めよ」と〕。是に於て気は青雲を厲まし、湯に赴き火を蹈むと雖も、可なり。此れ教戦の法なり。
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『呻吟語』外篇・品藻・士氣と傲氣士氣は無かる可からず、傲氣は有る可からず。士氣なる者は、人己の分に明らかにして、正を守りて詭隨せず。傲氣なる者は、上下の等に昧くして、高きを好みて位に素せず。自ら處する者は每に人に傲るを以て士氣と為し、人を觀る者は每に士氣を以て人に傲ると為す。悲しいかな。故に惟だ士氣有る者のみ能く己を謙りて人に下る。
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史記 田単列伝唯だ独り莒と即墨とのみ下らず。燕軍、斉王の莒に在るを聞き、兵を并せて之を攻む。淖歯既に湣王を莒に殺し、因りて堅く守り、燕軍を距ぐこと数年、下らず。燕、兵を引きて東して即墨を囲む。即墨の大夫出でて与に戦ひ、敗れて死す。城中相与に田単を推して曰く、「安平の戦に、田単の宗人は鉄籠を以て全きを得たり。兵に習ふ」と。立てて以て将軍と為し、即墨を以て燕を距がしむ。頃之して、燕の昭王卒し、恵王立つ。楽毅と隙有り。田単之を聞き、乃ち反間を燕に縦ちて、宣言して曰く、「斉王已に死し、城の抜けざる者は二つのみ。楽毅は誅を畏れて敢て帰らず、斉を伐つを以て名と為すも、実は兵を連ねて南面して斉に王たらんと欲す。斉人未だ附かず、故に且く即墨を攻むるを緩めて以て其の事を待つ。斉人の懼るる所は、唯だ他将の来たらんことを恐るるのみ。即墨残はれん」と。燕王以て然りと為し、騎劫をして楽毅に代らしむ。楽毅因りて趙に帰し、燕人の士卒忿る。而して田単乃ち城中の人をして食ふに必ず其の先祖を庭に祭らしむ。飛鳥悉く城中に翔舞して下りて食ふ。燕人之を怪しむ。田単因りて宣言して曰く、「神来り下りて我に教ふ」と。乃ち城中の人に令して曰く、「当に神人の我が師と為る有るべし」と。一卒有りて曰く、「臣以て師と為るべきか」と。因りて反り走る。田単乃ち起ち、引きて還し、東嚮して坐せしめ、之に師事す。卒曰く、「臣、君を欺けり。誠に能無きなり」と。田単曰く、「子言ふ勿かれ」と。因りて之を師とす。約束を出だす毎に、必ず神師と称す。乃ち宣言して曰く、「吾は唯だ燕軍の得る所の斉の卒を劓し、之を前行に置きて我と戦はんことを懼る。即墨敗れん」と。燕人之を聞き、其の言の如くす。城中の人、斉の諸の降る者の尽く劓せらるるを見て、皆怒り、堅く守り、唯だ得らるるを恐る。単又反間を縦ちて曰く、「吾は燕人の吾が城外の冢墓を掘り、先人を僇しめんことを懼る。寒心すべし」と。燕軍尽く壟墓を掘り、死人を焼く。即墨の人、城上より望み見て、皆涕泣し、倶に出でて戦はんと欲し、怒り自ら十倍す。
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李衛公問対・卷下故に用兵の法は、必ず先ず吾が士衆を察し、吾が勝氣を激して、乃ち以て敵を擊つべし。吳起の『四機』は、氣機を以て上と爲す。他の道無きなり。能く人人をして自ら鬬わしむれば、則ち其の銳當たる莫し。
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