戦国策 / 秦二・甘茂攻宜陽
甘茂攻宜陽,三鼓之而卒不上。秦之右將有尉對曰:「公不論兵,必大困。」甘茂曰:「我羇旅而得相秦者,我以宜陽餌王。今攻宜陽而不拔,公孫衍、樗里疾挫我於內,而公中以韓窮我於外,是無伐之日已!請明日鼓之而不可下,因以宜陽之郭為墓。」於是出私金以益公賞。明日鼓之,宜陽拔。
新字:甘茂攻宜陽,三鼓之而卒不上。秦之右将有尉対曰:「公不論兵,必大困。」甘茂曰:「我羇旅而得相秦者,我以宜陽餌王。今攻宜陽而不抜,公孫衍、樗里疾挫我於内,而公中以韓窮我於外,是無伐之日已!請明日鼓之而不可下,因以宜陽之郭為墓。」於是出私金以益公賞。明日鼓之,宜陽抜。
書き下し
甘茂宜陽を攻む、三たび之を鼓するも卒上らず。秦の右將に尉有り對えて曰わく、「公兵を論ぜずんば、必ず大いに困しまん。」甘茂曰わく、「我羇旅にして秦に相たるを得る者は、我宜陽を以て王に餌するなり。今宜陽を攻めて拔かずんば、公孫衍・樗里疾我を內に挫き、公中韓を以て我を外に窮せしめん。是れ伐つの日無きのみ。請う明日之を鼓するも下すべからずんば、因りて宜陽の郭を以て墓と為さん。」是に於いて私金を出だして以て公賞を益す。明日之を鼓し、宜陽拔く。
現代語訳
甘茂が宜陽を攻めたが、三度太鼓を打って進撃を命じても兵士たちは城壁を上ろうとしなかった。秦の右将軍に仕える尉官が甘茂に答えて言った。「あなたが軍規を厳しく正さなければ、必ず大いに苦しむことになりましょう。」甘茂は言った。「私が異国から流れてきた身でありながら秦の宰相になることができたのは、私が宜陽の攻略という手柄を王への贈り物としているからだ。今、宜陽を攻めて陥落させられなければ、公孫衍・樗里疾は国内で私を挫き、韓の公仲侈は国外から私を追い詰めるだろう。そうなれば、もはや宜陽を討つ日は二度と巡ってこない。明日もう一度太鼓を打って進撃を命じ、それでも陥落させられなければ、宜陽の外郭をもって私の墓としよう。」そこで自分の私財を差し出して、公の褒賞に上乗せした。翌日、太鼓を打って進撃を命じると、宜陽はついに陥落した。
解説

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