講孟余話 / 公孫丑上 第二章
孟施舍之所養勇也、此章浩然ノ氣ヲ論ス、其論甚盛大雄偉也、北宮黝・孟施舍ノ勇ノ如キハ固ヨリ言フニ足ラズ、但孟施舍ノ勇ハ、武士戰場ニ向フ時ハ角コソ有度コトナリ、因テ其畧ヲ言ン、無懼ノ二字是主ナリ、勇氣敵ヲ呑ムト云如ク、百萬ノ大敵目ニ餘ルト雖トモ、屑トモセヌコトナリ、死ヲ知レハ必ズ勇ト云ヘハ、打死ト覚悟サヘ定リタレハ、大敵猛勢モ畏ルヽニ足ルコトナシ、然レトモ此勇ヲ養ヒテ大ニナサヽレハ、假令覚悟定リタレトモ、勇氣敵ヲ呑ム所ナシ、未タ孟施舍ノ勇ヲ語ルニ足ラズ、孟施舍ノ如キ者一人陣中ニアレハ、惣軍ノ氣是カ爲ニ大ニ增盛シ、敗軍モ轉シテ勝軍トナル者ナリ、此人一人国中ニアレハ、闔国ノ氣是カ爲ニ增盛シ、弱国モ轉シテ強国トナル者ナリ、况ヤ此人ヲ擧テ將帥ノ任トナスニ於テヲヤ、強將ノ下弱兵ナキコト必セリ、士安ゾ茲ニ志サヽルベケンヤ、
新字:孟施舎之所養勇也、此章浩然ノ気ヲ論ス、其論甚盛大雄偉也、北宮黝・孟施舎ノ勇ノ如キハ固ヨリ言フニ足ラズ、但孟施舎ノ勇ハ、武士戦場ニ向フ時ハ角コソ有度コトナリ、因テ其略ヲ言ン、無懼ノ二字是主ナリ、勇気敵ヲ呑ムト云如ク、百万ノ大敵目ニ余ルト雖トモ、屑トモセヌコトナリ、死ヲ知レハ必ズ勇ト云ヘハ、打死ト覚悟サヘ定リタレハ、大敵猛勢モ畏ルヽニ足ルコトナシ、然レトモ此勇ヲ養ヒテ大ニナサヽレハ、仮令覚悟定リタレトモ、勇気敵ヲ呑ム所ナシ、未タ孟施舎ノ勇ヲ語ルニ足ラズ、孟施舎ノ如キ者一人陣中ニアレハ、惣軍ノ気是カ為ニ大ニ增盛シ、敗軍モ転シテ勝軍トナル者ナリ、此人一人国中ニアレハ、闔国ノ気是カ為ニ增盛シ、弱国モ転シテ強国トナル者ナリ、況ヤ此人ヲ挙テ将帥ノ任トナスニ於テヲヤ、強将ノ下弱兵ナキコト必セリ、士安ゾ茲ニ志サヽルベケンヤ、
書き下し
「孟施舎の勇を養ふ所や」。此の章浩然の気を論ず、其の論甚だ盛大雄偉なり。北宮黝・孟施舎の勇の如きは固より言ふに足らず。但し孟施舎の勇は、武士戦場に向ふ時は角こそ有り度きことなり、因りて其の略を言はん。無懼の二字是れ主なり。勇気敵を呑むと云ふ如く、百万の大敵目に余ると雖も、屑ともせぬことなり。死を知れば必ず勇と云へば、打死と覚悟さへ定まりたれば、大敵猛勢も畏るるに足ることなし。然れども此の勇を養ひて大になさざれば、仮令覚悟定まりたれども、勇気敵を呑む所なし、未だ孟施舎の勇を語るに足らず。孟施舎の如き者一人陣中にあれば、惣軍の気是れが為に大いに増盛し、敗軍も転じて勝軍となる者なり。此の人一人国中にあれば、闔国の気是れが為に増盛し、弱国も転じて強国となる者なり。況や此の人を挙げて将帥の任となすに於てをや。強将の下弱兵なきこと必せり。士安ぞ茲に志さざるべけんや。
現代語訳
「孟施舎が勇気を養ったやり方は」。この章は浩然の気を論じたもので、その論はたいへん盛大で雄々しい。北宮黝や孟施舎の勇などは、もとより取り立てて言うほどのものではない。ただ孟施舎の勇は、武士が戦場に向かうときには、ぜひともこうありたいものである。そこでそのあらましを述べよう。「懼れなし」の二字がその中心である。勇気が敵をのむと言うように、百万の大軍が目の前にあふれていても、ものともしないことである。死を覚悟すれば必ず勇が出ると言うから、討ち死にの覚悟さえ定まっていれば、大軍の猛勢も恐れるに足りない。しかし、この勇を養って大きく育てなければ、たとえ覚悟は定まっていても、勇気が敵をのむほどにはならず、まだ孟施舎の勇を語るには足りない。孟施舎のような者が一人陣中にいれば、全軍の気はそのために大いに盛んになり、負け戦も転じて勝ち戦となる。このような人が一人国中にいれば、国じゅうの気がそのために盛んになり、弱い国も転じて強い国となる。ましてこの人を挙げて将軍の任につければなおさらである。強い将のもとに弱い兵はいないこと、間違いない。士たる者が、どうしてここに志さずにいられようか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日武士来て法要を問ふ。師示して曰く、後世を願ふと云ふは、此糞袋を何とも思はず打捨つる事也。是れを仕習ふより別の仏法を知らす、我は若き時より是れ計りを仕習ひし也。先づ千騎万騎抜きそろへたる備の中に超入り、胴腹を撞きぬかれて、死に死にして死習ひしに、是れは頓て仕習ひて超入られたり。亦谷底に大蛇口を張り居るに飛込み、角に取着き居習ふに、是れも頓て仕習ひて角に取着き居られたり。爰になにもなき坿の下ヘ、只落ちて死んで見るに、中中張合無くして飛ばれさる也。然れとも此比になつて少し飛ばるゝかと思ふ也。各々もなにとも思はず、自由に捨らるゝ程さまざま工みて、此身を捨習はるべし。なる程强き心を用ゐすして叶ふべからずと也。
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『春秋左氏伝』昭公十七年 余皇を奪い返す吳楚を伐つ。陽匄令尹為り。戰を卜して吉ならず。司馬子魚曰く、「我上流を得たり。何の故に吉ならざる。且つ楚の故、司馬龜に令す。我請ふ改めて卜せん」と。令して曰く、「魴や、其の屬を以て之に死せん。楚師之に繼ぎ、尚はくは大いに之に克たん」と。吉なり。長岸に戰ふ。子魚先づ死す。楚師之に繼ぎ、大いに吳師を敗り、其の乘舟餘皇を獲たり。隨人と後れて至る者とをして之を守らしむ。環りて之に塹し、泉に及ぶ。其の隧に炭を盈たし、陳して以て命を待つ。吳の公子光其の衆に請ひて曰く、「先王の乘舟を喪ふは、豈に唯だ光の罪のみならんや。衆も亦た焉に有り。請ふ藉りて之を取り、以て死を救はん」と。衆許す。長鬣なる者三人をして、舟の側に潛伏せしめて曰く、「我皇と呼ばば則ち對へよ」と。師夜之に從ふ。三たび呼べば皆迭ひに對ふ。楚人從ひて之を殺す。楚師亂る。吳人大いに之を敗り、餘皇を取りて以て歸る。
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『驢鞍橋』卷下一日、僧問ふ。一陣に進む心と云ふは、平生人に手を出さすまじと思ふ心なりや、師曰く、夫れは我慢に云ふ物也。人も兎角と云ひしに非ず、只我身をつんと打捨て懸る入心也。果眼と云ふも、死をきつと定めたる機也。
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司馬法・用眾任を棄て食を節す、是れを人の意を開くと謂う。古よりの政なり。
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葉隠・聞書第二夢が正直のためし。切死(きりじに)、切腹の夢折々(おりおり)見候(みそうろ)うが、勇気すわり候えば、段々(だんだん)夢中(むちゅう)の心持(こころもち)替(かわ)り申し候由(そうろうよし)。
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孫子・九地篇吾が士に余財無きは、貨を悪むに非ざるなり。余命無きは、寿を悪むに非ざるなり。令の発するの日、士卒の坐する者は涕襟を沾し、偃臥する者は涙頤に交わる。之を往く所無きに投ずれば、則ち諸・劌の勇なり。
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