史記 / 田単列伝
唯獨莒、即墨不下。燕軍聞齊王在莒,并兵攻之。淖齒既殺湣王於莒,因堅守,距燕軍,數年不下。燕引兵東圍即墨,即墨大夫出與戰,敗死。城中相與推田單,曰:「安平之戰,田單宗人以鐵籠得全,習兵。」立以為將軍,以即墨距燕。頃之,燕昭王卒,惠王立,與樂毅有隙。田單聞之,乃縱反閒於燕,宣言曰:「齊王已死,城之不拔者二耳。樂毅畏誅而不敢歸,以伐齊為名,實欲連兵南面而王齊。齊人未附,故且緩攻即墨以待其事。齊人所懼,唯恐他將之來,即墨殘矣。」燕王以為然,使騎劫代樂毅。樂毅因歸趙,燕人士卒忿。而田單乃令城中人食必祭其先祖於庭,飛鳥悉翔舞城中下食。燕人怪之。田單因宣言曰:「神來下教我。」乃令城中人曰:「當有神人為我師。」有一卒曰:「臣可以為師乎?」因反走。田單乃起,引還,東鄉坐,師事之。卒曰:「臣欺君,誠無能也。」田單曰:「子勿言也!」因師之。每出約束,必稱神師。乃宣言曰:「吾唯懼燕軍之劓所得齊卒,置之前行,與我戰,即墨敗矣。」燕人聞之,如其言。城中人見齊諸降者盡劓,皆怒,堅守,唯恐見得。單又縱反閒曰:「吾懼燕人掘吾城外冢墓,僇先人,可為寒心。」燕軍盡掘壟墓,燒死人。即墨人從城上望見,皆涕泣,俱欲出戰,怒自十倍。
新字:唯独莒、即墨不下。燕軍聞斉王在莒,并兵攻之。淖歯既殺湣王於莒,因堅守,距燕軍,数年不下。燕引兵東囲即墨,即墨大夫出与戦,敗死。城中相与推田単,曰:「安平之戦,田単宗人以鉄籠得全,習兵。」立以為将軍,以即墨距燕。頃之,燕昭王卒,恵王立,与楽毅有隙。田単聞之,乃縦反閒於燕,宣言曰:「斉王已死,城之不抜者二耳。楽毅畏誅而不敢帰,以伐斉為名,実欲連兵南面而王斉。斉人未附,故且緩攻即墨以待其事。斉人所懼,唯恐他将之来,即墨残矣。」燕王以為然,使騎劫代楽毅。楽毅因帰趙,燕人士卒忿。而田単乃令城中人食必祭其先祖於庭,飛鳥悉翔舞城中下食。燕人怪之。田単因宣言曰:「神来下教我。」乃令城中人曰:「当有神人為我師。」有一卒曰:「臣可以為師乎?」因反走。田単乃起,引還,東郷坐,師事之。卒曰:「臣欺君,誠無能也。」田単曰:「子勿言也!」因師之。毎出約束,必称神師。乃宣言曰:「吾唯懼燕軍之劓所得斉卒,置之前行,与我戦,即墨敗矣。」燕人聞之,如其言。城中人見斉諸降者尽劓,皆怒,堅守,唯恐見得。単又縦反閒曰:「吾懼燕人掘吾城外冢墓,僇先人,可為寒心。」燕軍尽掘壟墓,焼死人。即墨人従城上望見,皆涕泣,倶欲出戦,怒自十倍。
書き下し
唯だ独り莒と即墨とのみ下らず。燕軍、斉王の莒に在るを聞き、兵を并せて之を攻む。淖歯既に湣王を莒に殺し、因りて堅く守り、燕軍を距ぐこと数年、下らず。燕、兵を引きて東して即墨を囲む。即墨の大夫出でて与に戦ひ、敗れて死す。城中相与に田単を推して曰く、「安平の戦に、田単の宗人は鉄籠を以て全きを得たり。兵に習ふ」と。立てて以て将軍と為し、即墨を以て燕を距がしむ。頃之して、燕の昭王卒し、恵王立つ。楽毅と隙有り。田単之を聞き、乃ち反間を燕に縦ちて、宣言して曰く、「斉王已に死し、城の抜けざる者は二つのみ。楽毅は誅を畏れて敢て帰らず、斉を伐つを以て名と為すも、実は兵を連ねて南面して斉に王たらんと欲す。斉人未だ附かず、故に且く即墨を攻むるを緩めて以て其の事を待つ。斉人の懼るる所は、唯だ他将の来たらんことを恐るるのみ。即墨残はれん」と。燕王以て然りと為し、騎劫をして楽毅に代らしむ。楽毅因りて趙に帰し、燕人の士卒忿る。而して田単乃ち城中の人をして食ふに必ず其の先祖を庭に祭らしむ。飛鳥悉く城中に翔舞して下りて食ふ。燕人之を怪しむ。田単因りて宣言して曰く、「神来り下りて我に教ふ」と。乃ち城中の人に令して曰く、「当に神人の我が師と為る有るべし」と。一卒有りて曰く、「臣以て師と為るべきか」と。因りて反り走る。田単乃ち起ち、引きて還し、東嚮して坐せしめ、之に師事す。卒曰く、「臣、君を欺けり。誠に能無きなり」と。田単曰く、「子言ふ勿かれ」と。因りて之を師とす。約束を出だす毎に、必ず神師と称す。乃ち宣言して曰く、「吾は唯だ燕軍の得る所の斉の卒を劓し、之を前行に置きて我と戦はんことを懼る。即墨敗れん」と。燕人之を聞き、其の言の如くす。城中の人、斉の諸の降る者の尽く劓せらるるを見て、皆怒り、堅く守り、唯だ得らるるを恐る。単又反間を縦ちて曰く、「吾は燕人の吾が城外の冢墓を掘り、先人を僇しめんことを懼る。寒心すべし」と。燕軍尽く壟墓を掘り、死人を焼く。即墨の人、城上より望み見て、皆涕泣し、倶に出でて戦はんと欲し、怒り自ら十倍す。
現代語訳
ただ莒と即墨の二城だけが降らなかった。燕軍は斉王が莒にいると聞き、兵を合わせてこれを攻めた。(楚の将)淖歯はすでに莒で湣王を殺していたが、そのまま堅く守って燕軍を防ぎ、数年たっても落ちなかった。燕は兵を引いて東へ向かい、即墨を包囲した。即墨の大夫(長官)は城を出て戦い、敗れて死んだ。城中の人々は相談して田単を推し立て、「安平の戦いで、田単の一族は鉄の覆いのおかげで無事だった。兵事に通じている」と言った。そこで田単を将軍に立て、即墨で燕を防がせた。しばらくして燕の昭王が亡くなり、恵王が立ったが、恵王は楽毅と仲が悪かった。田単はこれを聞くと、燕に間者を放って言いふらさせた。「斉王はもう死んでおり、落ちていない城は二つだけだ。楽毅は誅殺を恐れて帰国できず、斉を討つことを名目にしながら、実は兵を手元にとどめて南面し、斉の王になろうとしている。斉の民がまだなびかないので、しばらく即墨への攻撃をゆるめて、その時を待っているのだ。斉の人が恐れているのは、ただ別の将軍が来ることだけだ。そうなれば即墨は滅ぼされるだろう」。燕王はもっともだと思い、騎劫を楽毅に代わらせた。楽毅はそのため趙に身を寄せ、燕の兵士たちは憤った。一方、田単は城中の人々に、食事のたびに必ず庭で先祖を祭らせた。すると空の鳥がみな城中に舞い降りて、その供え物をついばんだ。燕の人々はこれを怪しんだ。田単はそこで「神が降りてきて私に教えを授けている」と言いふらし、城中の人々に「神人が現れて私の師となるはずだ」と告げた。ある兵卒が「私が師になってもよいでしょうか」と言い、そのまま背を向けて逃げ出した。田単は立ち上がってその男を連れ戻し、東向きの上座に座らせて師として仕えた。兵卒が「私はあなたを欺いたのだ。本当は何の力もありません」と言うと、田単は「あなたは黙っていなさい」と言って、そのまま師として扱った。命令を出すたびに、必ず「神師のお告げ」と称した。さらに田単は言いふらした。「私が恐れているのは、燕軍が捕らえた斉の兵の鼻を削いで最前列に立て、我々と戦わせることだけだ。そうされたら即墨は負ける」。燕の人々はこれを聞いて、その言葉どおりにした。城中の人々は、降伏した斉の者たちがみな鼻を削がれているのを見て激しく怒り、堅く守って、ただ捕らえられることを恐れた。田単はまた間者を放って言わせた。「私は燕人が城外の我々の墓を掘り返し、先祖を辱めることを恐れている。それを思うと身の毛がよだつ」。燕軍はことごとく墓を掘り返し、遺体を焼いた。即墨の人々は城壁の上からそれを眺めてみな涙を流し、そろって打って出て戦おうとし、その怒りは十倍にもふくれあがった。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』詭道・田單燕の昭王卒し、惠王立ち、樂毅と隙有り。田單、之を聞き、乃ち反間を燕に縱ち、宣言して曰く、「齊王已に死し、城の拔けざる者は二のみ。樂毅は誅を畏れて敢えて歸らず、齊を伐つを名と為し、實は兵を連ねて南面して齊に王たらんと欲す。齊人未だ附かず、故に且く即墨を攻むること緩くし、以て其の事を待つ。齊人の懼るる所は、唯だ他將の來たらんことを恐る。即墨は殘われん」と。燕王、以て然りと為し、騎劫をして毅に代わらしむ。毅、趙に歸り、燕軍共に忿る。而して田單、乃ち城中に令し、食する必ず其の先祖を庭に祭らしむ。飛鳥悉く翔舞して下り食し、燕人、之を怪しむ。田單、因りて宣言して曰く、「神來たりて下って我に教う」と。乃ち城中に令して曰く、「當に神人有りて我が師と為るべし」と。一卒有りて曰く、「臣、以て師と為るべきか」と。因りて反走す。田單、乃ち起ち、引き還し、東向して坐せしめ、之を師事す。卒曰く、「臣は君を欺く。實は能無きなり」と。單曰く、「子、言う勿れ」と。因りて之を師とし、每に出でて約束するに、必ず神師と稱す。乃ち宣言して曰く、「君唯だ燕軍の得る所の齊卒を劓し、之を前行に置きて我と戰わしめんことを懼る。即墨、敗れん」と。燕人、之を聞き、其の言の如くす。城中の人、齊の諸降者の悉く劓せらるるを見て、皆な堅守し、唯だ得らるるを恐る。單、又宣言す、「君は燕人の吾が城外の塚墓を掘り、先人を戮し、寒心すべきを懼る」と。燕軍、盡く壟墓を掘り、死人を燒く。即墨の人、城上より望見し、皆な涕泣し、俱に出でて戰わんと欲し、怒り自ずから十倍す。
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