春秋左氏伝 / 昭公十七年 彗星と火災の予言
九月。丁卯。晉荀吳帥師。涉自棘津。使祭史先用牲于雒。陸渾人弗知。師從之。庚午。遂滅陸渾。數之以其貳於楚也。陸渾子奔楚。其眾奔甘鹿。周大獲。宣子夢文公攜荀吳。而授之陸渾。故使穆子帥師。獻俘于文宮。冬。有星孛于大辰。西及漢。申須曰。彗所以除舊布新也。天事恆象。今除於火。火出必布焉。諸侯其有火災乎。梓慎曰。往年吾見之。是其徵也。火出而見。今茲火出而章。必火入而伏。其居火也久矣。其與不然乎。火出。於夏為三月於商為四月。於周為五月。夏數得天。若火作。其四國當之。在宋衛陳鄭乎。宋。大辰之虛也。陳。大皞之虛也。鄭。祝融之虛也。皆火房也。星孛天漢。漢。水祥也。衛。顓頊之虛也。故為帝丘。其星為大水。水火之牡也。其以丙子若壬午作乎。水火所以合也。若火入而伏。必以壬午。不過其見之月。鄭裨灶言於子產曰。宋衛陳鄭。將同日火。若我用瓘斝玉瓚。鄭必不火。子產弗與。
新字:九月。丁卯。晋荀呉帥師。渉自棘津。使祭史先用牲于雒。陸渾人弗知。師従之。庚午。遂滅陸渾。数之以其貳於楚也。陸渾子奔楚。其衆奔甘鹿。周大獲。宣子夢文公攜荀呉。而授之陸渾。故使穆子帥師。献俘于文宮。冬。有星孛于大辰。西及漢。申須曰。彗所以除旧布新也。天事恒象。今除於火。火出必布焉。諸侯其有火災乎。梓慎曰。往年吾見之。是其徴也。火出而見。今茲火出而章。必火入而伏。其居火也久矣。其与不然乎。火出。於夏為三月於商為四月。於周為五月。夏数得天。若火作。其四国当之。在宋衛陳鄭乎。宋。大辰之虚也。陳。大皞之虚也。鄭。祝融之虚也。皆火房也。星孛天漢。漢。水祥也。衛。顓頊之虚也。故為帝丘。其星為大水。水火之牡也。其以丙子若壬午作乎。水火所以合也。若火入而伏。必以壬午。不過其見之月。鄭裨灶言於子産曰。宋衛陳鄭。将同日火。若我用瓘斝玉瓚。鄭必不火。子産弗与。
書き下し
九月、丁卯、晉の荀吳師を帥ゐて、棘津より涉り、祭史をして先づ牲を雒に用ゐしむ。陸渾の人知らず。師之に從ふ。庚午、遂に陸渾を滅ぼす。之を數むるに其の楚に貳するを以てす。陸渾子楚に奔り、其の衆甘鹿に奔る。周大いに獲たり。宣子、文公荀吳を攜へて之に陸渾を授くるを夢む。故に穆子をして師を帥ゐしめ、俘を文宮に獻ず。冬、星大辰に孛する有り、西のかた漢に及ぶ。申須曰く、「彗は舊を除き新を布く所以なり。天事は恆に象あり。今火に除く。火出づれば必ず布かん。諸侯其れ火災有らんか」と。梓慎曰く、「往年吾之を見る。是れ其の徵なり。火出でて見ゆ。今茲火出でて章かなり。必ず火入りて伏せん。其の火に居ること久し。其れ然らざらんや。火出づるは、夏に於いては三月為り、商に於いては四月為り、周に於いては五月為り。夏數天を得たり。若し火作らば、其れ四國之に當たらん。宋・衛・陳・鄭に在らんか。宋は大辰の虛なり。陳は大皞の虛なり。鄭は祝融の虛なり。皆火房なり。星孛して天漢に及ぶ。漢は水祥なり。衛は顓頊の虛なり、故に帝丘為り。其の星は大水為り。水は火の牡なり。其れ丙子若しくは壬午を以て作らんか。水火の合する所以なり。若し火入りて伏せば、必ず壬午を以てし、其の見ゆるの月を過ぎず」と。鄭の裨竈子產に言ひて曰く、「宋・衛・陳・鄭、將に同日に火あらんとす。若し我瓘斝玉瓚を用ゐば、鄭必ず火あらず」と。子產與へず。
現代語訳
九月丁卯、晋の荀呉(中行穆子)が軍を率いて棘津から黄河を渡り、祭祀の官に先に洛水で犠牲を捧げさせた。陸渾の戎はそれが攻撃の準備だとは気づかなかった。晋軍はそのあとに続いて進んだ。庚午、ついに陸渾を滅ぼした。その罪状として、楚に通じて二心を抱いたことを数え立てた。陸渾子(陸渾の君)は楚に逃れ、その民は甘鹿に逃げ込んだ。周はそこで多くの捕虜を得た。これより先、韓宣子は、晋の文公が荀呉の手を引いて陸渾を授ける夢を見ていた。そこで穆子(荀呉)に軍を率いさせ、捕虜を文公の廟に献じたのである。冬、大辰(心宿、大火星)のあたりに彗星が現れ、その尾は西の天の川にまで届いた。申須(魯の大夫)が言った。「彗星は古いものを除いて新しいものを広げるしるしである。天のことは常に形として現れる。いま大火星のところで除いた。大火星が出れば必ず広がるであろう。諸侯の国々で火災が起こるのではないか」。梓慎(ししん、魯の大夫で天文に通じた人)が言った。「去年私はこの彗星を見た。それがその前兆であった。大火星が出るとともに彗星も見え、今年は大火星が出るとともにいっそうはっきりしている。きっと大火星が沈むときに彗星も隠れるであろう。彗星が大火星のところに居ついて久しい。そうならないことがあろうか。大火星が昇るのは、夏の暦では三月、商の暦では四月、周の暦では五月である。夏の暦が天の運行に最もかなっている。もし火災が起こるなら、四つの国がそれに当たるであろう。宋・衛・陳・鄭であろうか。宋は大辰の分野の地である。陳は大皞の旧地である。鄭は祝融の旧地である。いずれも火の宿る場所である。彗星が天の川にまで及んだ。天の川は水のしるしである。衛は顓頊の旧地であり、それゆえ帝丘と呼ばれる。その星は大水(営室の星)である。水は火の配偶である。火災は丙子の日か壬午の日に起こるのではないか。水と火が合する日だからである。もし大火星が沈むときに彗星も隠れるなら、必ず壬午の日であり、大火星の見える月を越えることはあるまい」。鄭の裨竈(ひそう、鄭の占星家)が子産に言った。「宋・衛・陳・鄭は同じ日に火災に遭うでしょう。もし私どもが瓘斝(玉の酒器)と玉瓚(玉の柄杓)を用いて祭れば、鄭は必ず火災を免れます」。子産はそれを与えなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公十八年 天道は遠く人道は邇し十八年春、王の二月、乙卯、周の毛得毛伯過を殺して之に代はる。萇弘曰く、「毛得必ず亡びん。是れ昆吾稔(みの)るの日なり。侈の故を以てなり。而るに毛得侈を王都に濟(な)す。亡びずして何をか待たん」と。三月、曹の平公卒す。夏、五月、火始めて昏に見ゆ。丙子、風ふく。梓慎曰く、「是を融風と謂ふ。火の始めなり。七日にして其れ火作らんか」と。戊寅、風甚し。壬午、大いに甚し。宋・衛・陳・鄭、皆火あり。梓慎大庭氏の庫に登りて以て之を望みて曰く、「宋・衛・陳・鄭なり」と。數日にして皆來りて火を告ぐ。裨竈曰く、「吾が言を用ゐずんば、鄭又將に火あらんとす」と。鄭人之を用ゐんことを請ふ。子產可(き)かず。子大叔曰く、「寶は以て民を保つなり。若し火有らば、國幾ど亡びん。以て亡を救ふ可し。子何ぞ愛しまん」と。子產曰く、「天道は遠く、人道は邇(ちか)し。及ぶ所に非ざるなり。何を以て之を知らん。竈焉んぞ天道を知らん。是れ亦た多言なり。豈に或いは信ならざらんや」と。遂に與へず。亦た復た火あらず。鄭の未だ災あらざるや、里析子產に告げて曰く、「將に大祥有らんとす。民震動し、
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孫子・始計篇その備えなき所を攻め、その意に出でざる所に出づ。
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説苑・君道楚の昭王疾有り。之を卜して曰く、「河祟を為す」と。大夫三牲を用いんことを請う。王曰く、「止めよ、古の先王は地を割き土を制め、祭は望を過ぎず。江・漢・睢・漳は楚の望なり。禍福の至るや、是に過ぎず。不穀不徳なりと雖も、河は罪を獲る所に非ず」と。遂に祭らず。仲尼之を聞きて曰く、「昭王は天道を知ると謂うべし、其の国を失わざるや宜なるかな」と。
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史記 秦本紀繆公聞き、怒りて曰く、「孤兵を発して子沮みて吾が軍を哭するは、何ぞや」と。二老曰く、「臣敢へて君の軍を沮むに非ず。軍行くに、臣の子与に往く。臣老いたり、遅く還らば相見ざらんことを恐る、故に哭するのみ」と。二老退きて、其の子に謂ひて曰く、「汝の軍即し敗れなば、必ず殽の阨に於てせん」と。三十三年春、秦の兵遂に東し、晋の地を更り、周の北門を過ぐ。周の王孫満曰く、「秦の師礼無し、敗れずして何をか待たん」と。兵滑に至る。鄭の販売の賈人弦高、十二牛を持ちて将に之を周に売らんとす。秦の兵を見て、死虜を恐れ、因りて其の牛を献じて、曰く、「大国将に鄭を誅せんとすと聞く。鄭君謹んで守御の備へを修め、臣をして牛十二を以て軍士を労はしむ」と。秦の三将軍相謂ひて曰く、「将に鄭を襲はんとす。鄭今已に之を覚る、往くも及ぶ無し」と。滑を滅ぼす。滑は、晋の辺邑なり。是の時に当たり、晋の文公の喪尚ほ未だ葬らず。太子襄公怒りて曰く、「秦我が孤を侮り、喪に因りて我が滑を破る」と。遂に衰絰を墨くし、
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