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春秋左氏伝 / 昭公十七年 天子官を失えば学は四夷に在り

秋。郯子來朝。公與之宴。昭子問焉。曰。少皞氏鳥名官。何故也。郯子曰。吾祖也。我知之。昔者黃帝氏以雲紀。故為雲師而雲名。炎帝氏以火紀。故為火師而火名。共工氏以水紀。故為水師而水名。大皞氏以龍紀。故為龍師而龍名。我高祖少皞。摯之立也。鳳鳥適至。故紀於鳥。為鳥師而鳥名。鳳鳥氏歷正也。玄鳥氏司分者也。伯趙氏司至者也。青鳥氏司啟者也。丹鳥氏司閉者也。祝鳩氏司徒也。鴡鳩氏司馬也。鳲鳩氏司空也。爽鳩氏司寇也。鶻鳩氏司事也。五鳩。鳩民者也。五雉為五工正。利器用。正度量。夷民者也。九扈為九農正。扈民無淫者也。自顓頊以來。不能紀遠。乃紀於近。為民師而命以民事。則不能故也。仲尼聞之。見於郯子而學之。既而告人曰。吾聞之。天子失官。學在四夷。猶信。晉侯使屠蒯如周。請有事於雒。與三塗。萇弘謂劉子曰。客容猛。非祭也。其伐戎乎。陸渾氏甚睦於楚。必是故也。君其備之。乃警戎備。

新字:秋。郯子来朝。公与之宴。昭子問焉。曰。少皞氏鳥名官。何故也。郯子曰。吾祖也。我知之。昔者黄帝氏以雲紀。故為雲師而雲名。炎帝氏以火紀。故為火師而火名。共工氏以水紀。故為水師而水名。大皞氏以竜紀。故為竜師而竜名。我高祖少皞。摯之立也。鳳鳥適至。故紀於鳥。為鳥師而鳥名。鳳鳥氏歴正也。玄鳥氏司分者也。伯趙氏司至者也。青鳥氏司啓者也。丹鳥氏司閉者也。祝鳩氏司徒也。鴡鳩氏司馬也。鳲鳩氏司空也。爽鳩氏司寇也。鶻鳩氏司事也。五鳩。鳩民者也。五雉為五工正。利器用。正度量。夷民者也。九扈為九農正。扈民無淫者也。自顓頊以来。不能紀遠。乃紀於近。為民師而命以民事。則不能故也。仲尼聞之。見於郯子而学之。既而告人曰。吾聞之。天子失官。学在四夷。猶信。晋侯使屠蒯如周。請有事於雒。与三塗。萇弘謂劉子曰。客容猛。非祭也。其伐戎乎。陸渾氏甚睦於楚。必是故也。君其備之。乃警戎備。

書き下し

秋、郯子來朝す。公之と宴す。昭子焉に問ひて曰く、「少皞氏鳥もて官に名づくるは、何の故ぞや」と。郯子曰く、「吾が祖なり。我之を知る。昔者黃帝氏は雲を以て紀す。故に雲師と為して雲もて名づく。炎帝氏は火を以て紀す。故に火師と為して火もて名づく。共工氏は水を以て紀す。故に水師と為して水もて名づく。大皞氏は龍を以て紀す。故に龍師と為して龍もて名づく。我が高祖少皞摯の立つや、鳳鳥適(たまたま)至る。故に鳥に紀し、鳥師と為して鳥もて名づく。鳳鳥氏は歷正なり。玄鳥氏は分を司る者なり。伯趙氏は至を司る者なり。青鳥氏は啟を司る者なり。丹鳥氏は閉を司る者なり。祝鳩氏は司徒なり。鴡鳩氏は司馬なり。鳲鳩氏は司空なり。爽鳩氏は司寇なり。鶻鳩氏は司事なり。五鳩は、民を鳩(あつ)むる者なり。五雉は五工正と為し、器用を利し、度量を正し、民を夷(たひら)ぐる者なり。九扈は九農正と為し、民を扈(とど)めて淫する無からしむる者なり。顓頊より以來、遠きを紀する能はず、乃ち近きに紀し、民の師と為して命ずるに民事を以てす。則ち能はざるが故なり」と。仲尼之を聞き、郯子に見えて之を學ぶ。既にして人に告げて曰く、「吾之を聞く、『天子官を失へば、學は四夷に在り』と。猶ほ信なり」と。晉侯屠蒯をして周に如かしめ、雒と三塗とに事有らんことを請ふ。萇弘劉子に謂ひて曰く、「客の容猛し。祭に非ざるなり。其れ戎を伐たんか。陸渾氏甚だ楚に睦まじ。必ず是の故なり。君其れ之に備へよ」と。乃ち戎備を警む。

現代語訳

秋、郯子(郯の君)が魯に来朝した。昭公は郯子と宴を催した。叔孫昭子がその席で郯子に尋ねた。「少皞氏が鳥の名で官職を名づけたのは、どういうわけですか」。郯子は言った。「少皞はわが祖先ですから、私はそのことを知っております。昔、黄帝氏は雲の瑞祥によって事を記したので、官の長を雲師とし、官職を雲の名で呼びました。炎帝氏は火によって記したので、火師とし火の名で呼びました。共工氏は水によって記したので、水師とし水の名で呼びました。大皞氏は龍によって記したので、龍師とし龍の名で呼びました。わが高祖の少皞摯が即位したとき、ちょうど鳳凰が飛来しました。そこで鳥によって事を記し、鳥師とし、官職を鳥の名で呼んだのです。鳳鳥氏は暦をつかさどる長官です。玄鳥氏(つばめ)は春分・秋分をつかさどる者です。伯趙氏(もず)は夏至・冬至をつかさどる者です。青鳥氏は立春・立夏をつかさどる者です。丹鳥氏は立秋・立冬をつかさどる者です。祝鳩氏は司徒(民政の長)です。鴡鳩氏は司馬(軍事の長)です。鳲鳩氏は司空(土木の長)です。爽鳩氏は司寇(刑罰の長)です。鶻鳩氏は司事(諸事の長)です。この五つの鳩は、民を集める(鳩める)役目の者です。五つの雉は五つの工官の長とし、器物の用を便利にし、長さや容量の基準を正し、民の暮らしを平らかにする者です。九つの扈は九つの農官の長とし、民を引き止めて怠け遊ばせないようにする者です。顓頊より後は、遠い瑞祥によって事を記すことができなくなり、身近なことで記すようになりました。民を治める長を立て、民のことがらで官職を名づけたのです。それは(遠いものを記す力が)なくなったからです」。仲尼(孔子)はこれを聞いて、郯子に会って学んだ。その後、人に語って言った。「私は『天子が官制を失えば、学問は四方の異民族の地に残る』と聞いていたが、やはり本当であった」。晋侯(晋の頃公)が屠蒯(とかい)を周に遣わし、洛水と三塗山で祭りを行いたいと願い出た。萇弘(ちょうこう、周の大夫)が劉子(劉献公)に言った。「使者の顔つきが猛々しい。祭りのためではありません。戎を討つつもりでしょう。陸渾の戎は楚とたいへん親しい。きっとそのためです。君はこれに備えられますように」。そこで周は戎に対する守りを固めた。

解説

東方の小国郯の君が魯に来朝し、祖先少皞氏の官制を語る場面である。少皞は鳳凰の飛来を瑞祥として鳥で官を名づけ、燕が春分秋分を、鳩が民政を、雉が工芸を、扈が農事をつかさどったという。伝説的な内容で史実とは言いがたいが、古代の人が官職を体系として記憶していたことが分かる。注目すべきは孔子の反応である。まだ二十代だった孔子は郯子のもとへ出向いて学び、「天子官を失へば、學は四夷に在り」と語った。中央で失われた知識が、辺境の小国にかえって残っていることがある。周の礼を正統とする孔子が、夷狄に近い小国の君から学ぶことを恥としなかった点が読みどころである。後半は、晋の使者の顔つきから、祭りを口実にした陸渾の戎討伐を見抜いた萇弘の話で、次の句に続く。本社で失われた知見が、地方の拠点や小さな取引先にかえって残っていることは少なくない。

この章句が説くこと

学び官制謙虚伝承洞察

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