史記 / 扁鵲倉公列伝
其後扁鵲過虢。虢太子死、扁鵲至虢宮門下、問中庶子喜方者曰、太子何病、国中治穰過於衆事。中庶子曰、太子病血気不時、交錯而不得泄、暴発於外、則為中害。故暴蹷而死。扁鵲曰、其死何如時。曰、雞鳴至今。子以吾言為不誠、試入診太子、当聞其耳鳴而鼻張、循其両股以至於陰、当尚温也。扁鵲乃使弟子子陽厲鍼砥石、以取外三陽五会。有閒、太子蘇。乃使子豹為五分之熨、更熨両脅下。太子起坐。但服湯二旬而復故。故天下尽以扁鵲為能生死人。扁鵲曰、越人非能生死人也、此自当生者、越人能使之起耳。
書き下し
其の後扁鵲虢を過ぐ。虢の太子死す、扁鵲虢の宮門の下に至り、中庶子の方を喜む者に問ひて曰く、「太子何の病ぞ、国中の穰を治むること衆事に過ぐ」と。中庶子曰く、「太子の病は血気時ならず、交錯して泄するを得ず、暴かに外に発すれば、則ち中害を為す。故に暴かに蹷して死せり」と。扁鵲曰く、「其の死せしは何れの時のごとし」と。曰く、「雞鳴より今に至る」と。「子吾が言を以て誠ならずと為さば、試みに入りて太子を診よ、当に其の耳鳴りて鼻張るを聞くべし、其の両股を循でて以て陰に至れば、当に尚ほ温なるべし」と。扁鵲乃ち弟子子陽をして鍼を厲し石を砥がしめ、以て外の三陽五会を取る。有閒、太子蘇る。乃ち子豹をして五分の熨を為さしめ、更ごも両脅の下を熨す。太子起きて坐す。但だ湯を服すること二旬にして故に復す。故に天下尽く扁鵲を以て能く死人を生かすと為す。扁鵲曰く、「越人能く死人を生かすに非ざるなり、此れ自ら当に生くべき者、越人能く之をして起たしむるのみ」と。
現代語訳
その後、扁鵲は虢の国を通った。虢の太子が死んだところであった。扁鵲は虢の宮門の下まで来て、医方を好む中庶子の役人に尋ねた。「太子はどんな病だったのか。国じゅうで、他のどんな務めよりも盛大に厄払いの祈祷をしているが」。中庶子は言った。「太子の病は、血と気が正常に巡らず、混ざり合って外に出ることができず、それが急に外へ発したために、内臓を損ねたのです。それで急に倒れて死にました」。扁鵲は言った。「亡くなったのはいつごろか」。「鶏の鳴くころから今までの間です」。扁鵲は言った。「私の言うことが本当でないと思うなら、試しに中に入って太子を診てみるがよい。耳が鳴り、鼻がふくらんでいるのが分かるはずだ。両ももを撫でて陰部まで至れば、まだ温かいはずだ」。扁鵲は弟子の子陽に鍼を研ぎ石鍼を磨かせ、体表の三陽五会のつぼを取った。しばらくして、太子は息を吹き返した。次に弟子の子豹に五分の温湿布を作らせ、交互に両脇の下を温めさせた。太子は起き上がって座った。あとは煎じ薬を二十日ほど飲ませただけで、もとどおりになった。それで天下はみな、扁鵲は死人を生き返らせられると言った。扁鵲は言った。「この越人(扁鵲の名)が死人を生き返らせたのではない。もともと生きるはずの者を、越人が起き上がらせただけのことだ」。
解説
この章句が説くこと
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老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
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