修証義 / 第五章 行持報恩
靜かに憶ふべし、正法世に流布せざらん時は、身命を正法の爲に抛捨せんことを願ふとも値ふべからず。正法に逢ふ今日の吾等を願ふべし。見ずや佛の言はく。無上菩提を演說する師に値はんには、種姓を觀ずること莫れ。容顏を見ること莫れ。非を嫌ふこと莫れ。行を考ふること莫れ。但般若を尊重するが故に。日日三時に禮拜し恭敬して、更に患惱の心を生ぜしむること莫れと。
新字:静かに憶ふべし、正法世に流布せざらん時は、身命を正法の為に抛捨せんことを願ふとも値ふべからず。正法に逢ふ今日の吾等を願ふべし。見ずや仏の言はく。無上菩提を演説する師に値はんには、種姓を観ずること莫れ。容顔を見ること莫れ。非を嫌ふこと莫れ。行を考ふること莫れ。但般若を尊重するが故に。日日三時に礼拝し恭敬して、更に患悩の心を生ぜしむること莫れと。
書き下し
静かに憶ふべし、正法世に流布せざらん時は、身命を正法の為に抛捨せんことを願ふとも値ふべからず。正法に逢ふ今日の吾等を願ふべし。見ずや仏の言はく。無上菩提を演説する師に値はんには、種姓を観ずること莫れ。容顔を見ること莫れ。非を嫌ふこと莫れ。行を考ふること莫れ。但般若を尊重するが故に。日日三時に礼拝し恭敬して、更に患悩の心を生ぜしむること莫れと。
現代語訳
静かに思ってみなさい。正しい教えが世に広まっていない時代には、身命を正法のために投げ捨てたいと願っても、出会うことはできない。正法に出会えているいまの私たちを、ありがたいと願うべきである。仏は言われているではないか。この上ない悟りを説く師に出会ったならば、その家柄を見てはならない、その容姿を見てはならない、その欠点を嫌ってはならない、その行いを詮索してはならない。ただ智慧を尊ぶがゆえに、日々三度礼拝し敬って、決して悩ませるような心を起こさせてはならない、と。
解説
教えを学ぶ相手を、家柄や見た目、欠点や素行で選り好みするな、という節である。道元は『正法眼蔵』礼拝得髄の巻で、この言葉を引いて、師の外見や属性ではなく、その人が持つ智慧だけを見よと説いた。人は往々にして、話の中身より話し手の肩書きや印象で判断してしまう。気に入らない人の指摘に真実が含まれていることは珍しくない。学ぶ相手を選ぶ基準を、中身に置き直せという厳しい教えである。
この章句が説くこと
師智慧謙虚学び偏見礼拝得髄
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