春秋左氏伝 / 昭公十六年 桑山の木を斬る
九月。大雩。旱也。鄭大旱。使屠擊。祝款。竪柎。有事於桑山。斬其木不雨。子產曰。有事於山。蓺山林也。而斬其木。其罪大矣。奪之官邑。冬。十月。季平子如晉。葬昭公。平子曰。子服回之言猶信。子服氏有子哉。
新字:九月。大雩。旱也。鄭大旱。使屠撃。祝款。竪柎。有事於桑山。斬其木不雨。子産曰。有事於山。蓺山林也。而斬其木。其罪大矣。奪之官邑。冬。十月。季平子如晋。葬昭公。平子曰。子服回之言猶信。子服氏有子哉。
書き下し
九月、大いに雩す。旱すればなり。鄭大いに旱す。屠擊・祝款・竪柎をして桑山に事有らしむ。其の木を斬りて雨ふらず。子產曰く、「山に事有るは、山林を蓺(やしな)ふなり。而るに其の木を斬る、其の罪大なり」と。之が官邑を奪ふ。冬、十月、季平子晉に如き、昭公を葬る。平子曰く、「子服回の言猶ほ信なり。子服氏子有るかな」と。
現代語訳
九月、魯で大規模な雨乞いの祭り(雩)を行った。日照りだったからである。鄭でもひどい日照りがあった。屠撃・祝款・竪柎の三人を遣わして、桑山で雨乞いの祭りを行わせた。ところが彼らは山の木を切り倒し、それでも雨は降らなかった。子産は言った。「山で祭りを行うのは、山林を育て守るためである。それなのにその木を切ってしまった。その罪は大きい」。そして彼らの官職と領邑を取り上げた。冬十月、季平子(季孫意如)が晋に行き、晋の昭公を葬った。平子は言った。「子服回(子服昭伯)の言ったことはやはり本当であった。子服氏にはよい跡継ぎがいるものだ」。
解説
短い記事が並ぶ句だが、中心は鄭の雨乞いである。日照りに際して子産は三人の役人を桑山に遣わしたが、彼らは祭りのために山の木を伐った。当時、木を焼いたり伐ったりして雨を招く呪術があったとも言われる。子産はこれを「山で祭るのは山林を育てるためだ」と断じ、官と邑を奪った。祭りの目的は山の神をまつり、山を豊かに保つことにあるのに、手段が目的を壊している、という指摘である。雨が降るかどうかより、祭りの意味を取り違えたことを罰した点に、子産の合理的な姿勢がうかがえる。後半は、前句で子服回の予言を「お前は若い」と退けた季平子が、晋に赴いて実情を見て「子服回の言は本当だった」と改める話である。自分の否定を撤回できたことは平子の美点でもある。儀式や施策の目的と手段が逆転していないか、ときに問い直す価値がある。
この章句が説くこと
目的と手段祭祀責任合理性前言の撤回
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