春秋左氏伝 / 昭公十九年 民を撫するとは
王曰。吾未撫吾民。今亦如之。而城州來。以挑吳。能無敗乎。侍者曰。王施舍不倦。息民五年。可謂撫之矣。戌曰。吾聞撫民者。節用於内。而樹德於外。民樂其性。而無寇讎。今宮室無量。民人日駭。勞罷死轉。忘寢與食。非撫之也。鄭大水。龍鬥于時門之外洧淵。國人請為禜焉。子產弗許。曰。我鬥。龍不我覿也。龍鬥。我獨何覿焉。禳之則彼其室也。吾無求於龍。龍亦無求於我。乃止也。令尹子瑕言蹶由於楚子曰。彼何罪。諺所謂室於怒。市於色者。楚之謂矣。舍前之忿。可也。乃歸蹶由。
新字:王曰。吾未撫吾民。今亦如之。而城州来。以挑呉。能無敗乎。侍者曰。王施舎不倦。息民五年。可謂撫之矣。戌曰。吾聞撫民者。節用於内。而樹徳於外。民楽其性。而無寇讎。今宮室無量。民人日駭。労罷死転。忘寝与食。非撫之也。鄭大水。竜鬥于時門之外洧淵。国人請為禜焉。子産弗許。曰。我鬥。竜不我覿也。竜鬥。我独何覿焉。禳之則彼其室也。吾無求於竜。竜亦無求於我。乃止也。令尹子瑕言蹶由於楚子曰。彼何罪。諺所謂室於怒。市於色者。楚之謂矣。舎前之忿。可也。乃帰蹶由。
書き下し
王曰く、『吾未だ吾が民を撫せず』と。今も亦た之の如し。而るに州來に城きて以て吳を挑む。能く敗るること無からんや」と。侍者曰く、「王施舍して倦まず、民を息はしむること五年、之を撫すと謂ふ可し」と。戌曰く、「吾聞く、民を撫する者は、用を内に節して、德を外に樹つ。民其の性を樂しみて、寇讎無し、と。今宮室量無く、民人日に駭き、勞罷死轉して、寢と食とを忘る。之を撫するに非ざるなり」と。鄭大いに水あり。龍時門の外の洧淵に鬥ふ。國人禜を為さんと請ふ。子產許さず。曰く、「我鬥ふも、龍我を覿ず。龍鬥ふも、我獨り何ぞ覿ん。之を禳へば、則ち彼其の室なり。吾龍に求むる無く、龍も亦た我に求むる無し」と。乃ち止むなり。令尹子瑕蹶由を楚子に言ひて曰く、「彼何の罪かある。諺に所謂『室に怒りて、市に色す』とは、楚の謂なり。前の忿りを舍てて、可なり」と。乃ち蹶由を歸す。
現代語訳
(沈尹戌は続けた。)「そのとき王(楚の平王)は『私はまだわが民をいたわり安んじていない』と言って許さなかった。いまもまた同じ状態である。それなのに州来に城を築いて呉を挑発している。敗れずにいられようか」。王のそばに仕える者が言った。「王は恩恵を施すことに倦まず、民を休ませること五年になります。民をいたわっていると言ってよいでしょう」。沈尹戌は言った。「私はこう聞いている。民をいたわる者は、国内では費用を節約し、国外には徳を打ち立てる。民はその生まれついた暮らしを楽しみ、外敵や仇に悩まされることがない、と。いまは宮殿の造営に際限がなく、民は日々おびえ、疲れ果て、死んだり流浪したりして、寝ることも食べることも忘れるほどである。これは民をいたわっているのではない」。鄭で大水があった。都の時門の外にある洧水の淵で、龍が争い合った。都の人々は、禜(えい、災いを払う祭り)を行いたいと願い出た。子産は許さずに言った。「われわれ人間が争っても、龍はそれを見に来たりはしない。龍が争っているのに、我々だけがどうしてそれに構うことがあろうか。祓いを行ったとしても、あの淵はもともと龍の住まいなのだ。我々は龍に求めるものはないし、龍もまた我々に求めるものはない」。そこで祭りは取りやめになった。令尹の子瑕(陽匄)が蹶由(けつゆう、呉王の弟で、楚に捕らえられていた人)のことを楚子に進言して言った。「あの者に何の罪があるのでしょう。諺にいう『家で腹を立てて、市場で顔色に出す』(八つ当たり)とは、楚のことです。以前の怒りは捨てるべきです」。そこで蹶由を呉に帰した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公十六年 桑山の木を斬る九月、大いに雩す。旱すればなり。鄭大いに旱す。屠擊・祝款・竪柎をして桑山に事有らしむ。其の木を斬りて雨ふらず。子產曰く、「山に事有るは、山林を蓺(やしな)ふなり。而るに其の木を斬る、其の罪大なり」と。之が官邑を奪ふ。冬、十月、季平子晉に如き、昭公を葬る。平子曰く、「子服回の言猶ほ信なり。子服氏子有るかな」と。
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『墨子』辭過古の民、未だ衣服を為るを知らざる時、皮を衣、茭を帶び、冬は則ち輕からずして温かならず、夏は則ち輕からずして凊しからず。聖王、以て人の情に中らずと為す。故に婦人に誨えて絲麻を治め役し、布絹を捆ちて、以て民の衣を為らしむ。衣服を為るの法は、冬夏には則ち練帛の飾り、以て温かにして且つ清きを為すに足り、謹んで此に止まる。故に聖人の衣服を為るは、身體に適い肌膚に和して足れりとし、耳目を榮えしめて愚民に觀せしむるに非ざるなり。是の時に當たりて、堅車良馬も貴ぶを知らざるなり、刻鏤文采も喜ぶを知らざるなり。何となれば則ち、其の道く所、然らしむればなり。故に民の衣食の財、家、以て旱水凶饑を待つに足る者は、何ぞや。其の自ら養う所以の情を得て、外に感ぜざればなり。是を以て其の民は儉にして治め易く、其の君は財を用うること節にして贍らし易きなり。府庫は實ち滿ち、以て不然を待つに足る。兵革は頓れず、士民は勞れず、以て不服を征するに足る。故に霸王の業、天下に行う可し。
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『墨子』辭過子墨子曰く、古の民、未だ宫を為るを知らざる時、陵阜に就きて以て居り、穴して處る。下、潤濕にして民を傷る。故に聖王、作りて宫室を為る。宫室を為るの法に曰く、髙さは以て潤濕を辟くるに足り、邊は以て風寒を圉ぐに足り、上は以て雪霜雨露を待つに足り、宫牆の髙さは、以て男女の禮を别つに足る。謹んで此に止まり、財を費やし力を勞して利を加えざる者は、為さざるなり。是の故に聖王の宫室を作り為るは、生に使するにして、以て觀樂を為さざるなり。衣服・帯履を作り為るは、身に便なるにして、以て辟怪を為さざるなり。故に身に節し、民に誨う。是を以て天下の民、得て治む可く、財用、得て足る可し。今の主に當たりては、其の宫室を為るや則ち此と異なれり。必ず厚く百姓に作斂し、暴かに民の衣食の財を奪いて、以て宫室・臺榭・曲直の望、青黄刻鏤の飾りを為る。宫室を為ること此くの若し。故に左右皆な之に法象す。是を以て其の財、以て凶饑を待ち孤寡を賑わすに足らず。故に國貧しくして民治め難きなり。君、實に天下の治を欲して其の亂を惡まば、當に宫室を為るは節せざる可からず。
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『墨子』節用上聖人、一國に政を為さば、一國、倍す可きなり。之を大にして天下に政を為さば、天下、倍す可きなり。其の之を倍するは、外に地を取るに非ざるなり。其の國家に因りて、其の無用を去れば、以て之を倍するに足る。聖王の政を為すや、其の令を發し事を興し、民を便にし財を用うるや、用を加えずして為す者無し。是の故に財を用うるに費えず、民の徳、勞せずして、其の利を興すこと多し。
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『春秋左氏伝』昭公元年 君子の四時是に由りて之を觀れば、則ち實沈は參の神なり。昔金天氏に裔子有り、昧と曰ふ。玄冥の師と為り、允格・臺駘を生む。臺駘能く其の官を業とし、汾・洮を宣(とほ)し、大澤を障(つつ)みて、以って大原に處る。帝用(もっ)て之を嘉し、諸を汾川に封ず。沈・姒・蓐・黃、實に其の祀を守る。今晉汾を主りて之を滅ぼせり。是に由りて之を觀れば、則ち臺駘は汾の神なり。抑(そもそも)此の二者は、君の身に及ばず。山川の神は、則ち水旱癘疫の災あれば、是に於いてか之を禜(まつ)る。日月星辰の神は、則ち雪霜風雨の時ならざれば、是に於いてか之を禜る。君の身の若きは、則ち亦た出入・飲食・哀樂の事なり。山川星辰の神、又何をか為さん。僑之を聞く、君子に四時有り。朝は以って政を聽き、晝は以って訪問し、夕は以って令を脩め、夜は以って身を安んず。是に於いてか其の气を節宣し、壅閉湫底する所有らしむること勿し。
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『墨子』辭過古の民、未だ飲食を為るを知らざる時、素食して分れ處る。故に聖人、作りて男に耕稼樹藝を誨えて、以て民の食を為らしむ。其の食を為るや、以て氣を増し虚を充たし、體を彊くし腹に適うに足るのみ。故に其の財を用うること節にして、其の自ら養うこと儉なれば、民富み國治まる。今は則ち然らず。厚く百姓に作斂して、以て美食・芻豢・蒸炙・魚鼈を為り、大國は百器を累ね、小國は十器を累ね、前は方丈にして、目は徧く視る能わず、手は徧く操る能わず、口は徧く味わう能わず。夏は則ち冰を設け、冬は則ち饐を飾る。人君の飲食を為すこと此くの如し。故に左右之に象る。是を以て富貴なる者は奢侈にして、孤寡なる者は凍餒す。亂無からんと欲するも、得可からざるなり。君、實に天下の治を欲して其の亂を惡まば、當に飲食を為すは節せざる可からず。
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