晏子春秋 / 外篇上・晏子衣鹿裘以朝景公嗟其貧晏子稱有飾
晏子相景公,布衣鹿裘以朝。公曰:「夫子之家,若此其貧也,是奚衣之惡也,寡人不知,是寡人之罪也。」晏子對曰:「嬰聞之,蓋顧人而後衣食者,不以貪味為非,蓋顧人而後行者,不以邪僻為累。嬰不肖,嬰之族,又不如嬰也,待嬰以祀其先人者五百家。嬰又得布衣鹿裘而朝,於嬰不有飾乎!」再拜而辭。
新字:晏子相景公,布衣鹿裘以朝。公曰:「夫子之家,若此其貧也,是奚衣之悪也,寡人不知,是寡人之罪也。」晏子対曰:「嬰聞之,蓋顧人而後衣食者,不以貪味為非,蓋顧人而後行者,不以邪僻為累。嬰不肖,嬰之族,又不如嬰也,待嬰以祀其先人者五百家。嬰又得布衣鹿裘而朝,於嬰不有飾乎!」再拝而辞。
書き下し
晏子景公に相たり、布衣鹿裘にして以て朝す。公曰く、「夫子の家、此くの若く其れ貧しきや。是れ奚ぞ衣の悪しき。寡人知らず。是れ寡人の罪なり」と。晏子対えて曰く、「嬰之を聞く、蓋し人を顧みて而る後に衣食する者は、味を貪るを以て非と為さず。蓋し人を顧みて而る後に行う者は、邪僻を以て累と為さず。嬰不肖にして、嬰の族又嬰に如かざるなり。嬰を待ちて以て其の先人を祀る者五百家。嬰又布衣鹿裘を得て朝す。嬰に於て飾り有らざらんや」と。再拝して辞す。
現代語訳
晏子は景公の宰相でしたが、麻の衣と鹿の皮衣で朝廷に出ました。公は言いました。「あなたの家は、こんなに貧しいのか。どうして衣がこれほど粗末なのか。私は知らなかった。これは私の罪である。」晏子は答えました。「私はこう聞いております。人を顧みてから衣食を整える者は、美味を貪るのを非としません。人を顧みてから行う者は、邪で偏った行いを累とは思いません。私は取るに足りない者で、私の一族は私にも及びません。私を頼って先祖を祀っている者が五百家あります。その私が麻の衣と鹿の皮衣で朝廷に出られるのですから、私にとっては立派な飾りではありませんか。」晏子は再拝して辞しました。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公十六年 桑山の木を斬る九月、大いに雩す。旱すればなり。鄭大いに旱す。屠擊・祝款・竪柎をして桑山に事有らしむ。其の木を斬りて雨ふらず。子產曰く、「山に事有るは、山林を蓺(やしな)ふなり。而るに其の木を斬る、其の罪大なり」と。之が官邑を奪ふ。冬、十月、季平子晉に如き、昭公を葬る。平子曰く、「子服回の言猶ほ信なり。子服氏子有るかな」と。
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礼記・月令乃ち有司に命じて百刑を申厳せしむ。斬殺必ず当たり、枉橈(おうどう)すること或る毋かれ。枉橈して当たらざれば、反って其の殃(わざわい)を受く。 是の月や、乃ち宰・祝に命じて犠牲を循行し、全具を視、芻豢(すうかん)を案じ、肥瘠(ひせき)を瞻(み)、物色を察せしむ。必ず類を比べ、小大を量り、長短を視て、皆度に中(あた)らしむ。五者備わり当たれば、上帝其れ饗(う)けん。
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『新論』國體上昔者、天祖肇めて鴻基を建て、位は即ち天位、徳は即ち天徳、以て天業を経綸し、細大の事、一として天に非ざる者無し。徳を玉に比し、明を鏡に比し、威を剣に比し、天の仁を体し、天の明に則り、天の威を奮ひ、以て万邦を照す。天下を以て皇孫に伝ふるに迨び、手づから三器を授けて、以て天位の信と為し、以て天徳に象り、而して天工に代り天職を治めしめ、然る後之を千万世に伝ふ。天胤の尊、厳乎として其れ犯すべからず、君臣の分定まりて、大義以て明かなり。天祖の神器を伝ふるや、特に宝鏡を執りて祝して曰く、「此を視ること猶ほ吾を視るがごとくせよ」と。而して万世奉祀して、以て天祖の神と為す。聖子神孫、宝鏡を仰ぎて影を其の中に見る。見る所の者は即ち天祖の遺体にして、視ること猶ほ天祖を視るがごとし。是に於てか盥薦の間、神人相感じて、以て已むべからず。則ち其の追遠申孝、敬身修徳、亦豈已むを得んや。父子の親敦くして、至恩以て隆し。
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『新論』國體上御禊は潔を致す所以なり。天皇徒跣して警蹕せざるは、敬の至りなり。日蔭鬘・帛御衣は、至敬にして文無きなり。天祖位を伝ふるの日に当り、天児屋をして帝命を出納せしめ、天太玉をして百事に供奉せしむ。児屋の後を中臣氏と為し、太玉の後を斎部氏と為す。故に祭の日、中臣は天神の寿詞を奏し、斎部は神璽の鏡剣を奉る。累世奕葉、必ず当初の儀に仍る。猶ほ新たに命を天祖に受くるがごときなり。(天祖、児屋・太玉等五部の神をして皇孫に侍せしめ、神籬を建て、以て皇孫を護衛すること、猶ほ天上の儀のごとし。神武帝天下を平らぐるや、亦神籬を建て、児屋の孫種子・太玉の孫天富をして、鏡剣を奉じ幣帛を陳ねしむ。而して歴世遵奉する所、是の儀に非ざるは莫し。崇神帝の天祖を笠縫に祭るに及び、石凝姥嘗て天祖に事へて鏡を鋳、目一箇作金者と為りしを以て、故に斎部に命じ、二氏の後を率ゐて、鏡剣を摸造し、以て殿内に奉安せしむ。即ち践祚の日に斎部の奉る所の物是れなり。其の永く旧物を存し、敢へて失墜せざること是くの如し。)
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