春秋左氏伝 / 昭公十六年 六卿、詩を賦す
夏。四月。鄭六卿餞宣子於郊。宣子曰。二三君子請皆賦。起亦以知鄭志。子齹賦野有蔓草。宣子曰。孺子善哉。吾有望矣。子產賦鄭之羔裘。宣子曰。起不堪也。子大叔賦褰裳。宣子曰。起在此。敢勤子。至於他人乎。子大叔拜。宣子曰。善哉。子之言。是不有是事。其能終乎。子游賦風雨。子旗賦有女同車。子柳賦蘀兮。宣子喜曰。鄭其庶乎。二三君子。以君命貺起。賦不出鄭志。皆昵燕好也。二三君子。數世之主也。可以無懼矣。宣子皆獻馬焉。而賦我將。子產拜。使五卿皆拜。曰。吾子靖亂。敢不拜德。宣子私覲於子產。以玉與馬曰。子命起。舍夫玉。是賜我玉而免吾死也。敢藉手以拜。公至自晉。子服昭伯語季平子曰。晉之公室。其將遂卑矣。君幼弱。六卿彊而奢傲。將因是以習。習實為常。能無卑乎。平子曰。爾幼。惡識國。秋。八月。晉昭公卒。
新字:夏。四月。鄭六卿餞宣子於郊。宣子曰。二三君子請皆賦。起亦以知鄭志。子齹賦野有蔓草。宣子曰。孺子善哉。吾有望矣。子産賦鄭之羔裘。宣子曰。起不堪也。子大叔賦褰裳。宣子曰。起在此。敢勤子。至於他人乎。子大叔拝。宣子曰。善哉。子之言。是不有是事。其能終乎。子游賦風雨。子旗賦有女同車。子柳賦蘀兮。宣子喜曰。鄭其庶乎。二三君子。以君命貺起。賦不出鄭志。皆昵燕好也。二三君子。数世之主也。可以無懼矣。宣子皆献馬焉。而賦我将。子産拝。使五卿皆拝。曰。吾子靖乱。敢不拝徳。宣子私覲於子産。以玉与馬曰。子命起。舎夫玉。是賜我玉而免吾死也。敢藉手以拝。公至自晋。子服昭伯語季平子曰。晋之公室。其将遂卑矣。君幼弱。六卿彊而奢傲。将因是以習。習実為常。能無卑乎。平子曰。爾幼。悪識国。秋。八月。晋昭公卒。
書き下し
夏、四月、鄭の六卿宣子を郊に餞す。宣子曰く、「二三君子、請ふ皆賦せよ。起も亦た以て鄭の志を知らん」と。子齹野有蔓草を賦す。宣子曰く、「孺子善きかな。吾望み有り」と。子產鄭の羔裘を賦す。宣子曰く、「起堪へざるなり」と。子大叔褰裳を賦す。宣子曰く、「起此に在り。敢へて子を勤めて他人に至らしめんや」と。子大叔拜す。宣子曰く、「善きかな、子の言。是れ是の事有らずんば、其れ能く終へんや」と。子游風雨を賦す。子旗有女同車を賦す。子柳蘀兮を賦す。宣子喜びて曰く、「鄭は其れ庶(ちか)からんか。二三君子、君命を以て起に貺(たまもの)す。賦すること鄭志を出でず、皆昵燕好なり。二三君子は、數世の主なり。以て懼るること無かる可し」と。宣子皆に馬を獻じ、而して我將を賦す。子產拜し、五卿をして皆拜せしむ。曰く、「吾子亂を靖んず。敢へて德を拜せざらんや」と。宣子私かに子產に覲して、玉と馬とを以てして曰く、「子起に命じて、夫の玉を舍てしむ。是れ我に玉を賜ひて吾が死を免れしむるなり。敢へて手を藉りて以て拜す」と。公晉より至る。子服昭伯季平子に語りて曰く、「晉の公室、其れ將に遂に卑からんとす。君幼弱にして、六卿彊くして奢傲なり。將に是に因りて以て習はんとす。習ひは實に常と為る。能く卑しきこと無からんや」と。平子曰く、「爾幼し。惡んぞ國を識らん」と。秋、八月、晉の昭公卒す。
現代語訳
夏四月、鄭の六人の卿が韓宣子(韓起)を都の郊外で見送る宴を開いた。宣子が言った。「皆さん、どうかそれぞれ詩を賦していただきたい。私もそれによって鄭の方々の志を知りたい」。子齹(ししゃ、子皮の子、嬰斉)は「野有蔓草」(思いがけず出会い、わが願いにかなう、と歌う詩)を賦した。宣子は言った。「お若い方、すばらしい。私にも望みがある」。子産は鄭風の「羔裘」(命を捨てても節を変えぬ、国の正しき人、と歌う詩)を賦した。宣子は言った。「私にはもったいない」。子大叔(游吉)は「褰裳」(あなたが私を思うなら裾をからげて川を渡ろう、思わないなら他に人がいないわけではない、と歌う詩)を賦した。宣子は言った。「私がここにおります。あなたを他の人のもとへ行かせるような苦労はさせません」。子大叔は拝礼した。宣子は言った。「よいお言葉だ。こうした戒めがなければ、交わりを最後まで全うできようか」。子游(駟偃)は「風雨」(君子に会えてどうして喜ばずにいられよう、と歌う詩)を賦した。子旗(豊施)は「有女同車」(車を同じくする女性のまことの美しさを歌う詩)を賦した。子柳(印癸)は「蘀兮」(兄さんたち、あなたが歌えば私が和す、と歌う詩)を賦した。宣子は喜んで言った。「鄭はきっと盛んになるであろう。皆さんは君命によって私に詩を贈ってくださったが、賦した詩はどれも鄭風の範囲を出ず、みな親しみと友好を表すものであった。皆さんは数代にわたって家を保つ主となられるであろう。もう恐れることはない」。宣子は六卿それぞれに馬を献じ、「我将」(四方を安んずることを歌う周頌の詩)を賦した。子産は拝礼し、五人の卿にもみな拝礼させて言った。「あなたは乱れを鎮めてくださいます。その徳に拝礼せずにいられましょうか」。宣子は内々に子産に面会し、玉と馬を贈って言った。「あなたは私に、あの玉を思いとどまらせてくださった。これは私に玉を賜り、私を死罪から免れさせてくださったのと同じです。あえてこの品を手に携えて拝礼いたします」。魯の昭公が晋から帰国した。子服昭伯(子服回)が季平子(季孫意如、魯の執政)に語った。「晋の公室は、このまま衰えていくでしょう。君主は幼く弱く、六卿は強くて奢り高ぶっている。このありさまが習いとなるでしょう。習いはやがて常となります。衰えずにいられましょうか」。平子は言った。「お前は若い。国のことなど分かるものか」。秋八月、晋の昭公が亡くなった。
解説
この章句が説くこと
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