春秋左氏伝 / 昭公十六年 商人との盟誓
吾又失位。韓子成貪。將焉用之。且吾以玉賈罪。不亦銳乎。韓子買諸賈人。既成賈矣。商人曰。必告君大夫。韓子請諸子產曰。日起請夫環。執政弗義。弗敢復也。今買諸商人。商人曰。必以聞。敢以為請。子產對曰。昔我先君桓公。與商人皆出自周。庸次比耦。以艾殺此地。斬之蓬蒿藜藿而共處之。世有盟誓。以相信也。曰爾無我叛。我無強賈。毋或匄奪。爾有利市寶賄。我勿與知。恃此質誓。故能相保。以至于今。今吾子以好來辱。而謂敝邑強奪商人。是教敝邑背盟誓也。毋乃不可乎。吾子得玉而失諸侯。必不為也。若大國令。而共無藝。鄭鄙邑也。亦弗為也僑若獻玉。不知所成。敢私布之。韓子辭玉曰。起不敏。敢求玉以徼二罪。敢辭之。
新字:吾又失位。韓子成貪。将焉用之。且吾以玉賈罪。不亦鋭乎。韓子買諸賈人。既成賈矣。商人曰。必告君大夫。韓子請諸子産曰。日起請夫環。執政弗義。弗敢復也。今買諸商人。商人曰。必以聞。敢以為請。子産対曰。昔我先君桓公。与商人皆出自周。庸次比耦。以艾殺此地。斬之蓬蒿藜藿而共処之。世有盟誓。以相信也。曰爾無我叛。我無強賈。毋或匄奪。爾有利市宝賄。我勿与知。恃此質誓。故能相保。以至于今。今吾子以好来辱。而謂敝邑強奪商人。是教敝邑背盟誓也。毋乃不可乎。吾子得玉而失諸侯。必不為也。若大国令。而共無芸。鄭鄙邑也。亦弗為也僑若献玉。不知所成。敢私布之。韓子辞玉曰。起不敏。敢求玉以徼二罪。敢辞之。
書き下し
吾又位を失ひ、韓子貪を成さん。將た焉んぞ之を用ゐん。且つ吾玉を以て罪を賈ふ、亦た銳(こま)かならずや」と。韓子諸を賈人に買ふ。既に賈を成せり。商人曰く、「必ず君大夫に告げん」と。韓子諸を子產に請ひて曰く、「日(さき)に起夫の環を請ふ。執政義とせず。敢へて復びせず。今諸を商人に買ふ。商人曰く、『必ず以て聞せん』と。敢へて以て請ふと為す」と。子產對へて曰く、「昔我が先君桓公、商人と皆周より出づ。庸次比耦して、以て此の地を艾殺し、之が蓬蒿藜藿を斬りて之に共に處る。世々盟誓有りて、以て相信ずるなり。曰く、『爾我に叛くこと無くんば、我強ひて賈ふこと無し。或いは匄(こ)ひ奪ふこと毋からん。爾に利市寶賄有るも、我與り知ること勿からん』と。此の質誓を恃む、故に能く相保ちて、以て今に至る。今吾子好を以て來り辱くして、敝邑に商人を強奪せよと謂ふ、是れ敝邑に盟誓に背くことを教ふるなり。乃ち不可なること毋からんや。吾子玉を得て諸侯を失ふは、必ず為さざるなり。若し大國令して、共すること藝(かぎり)無くんば、鄭は鄙邑なり。亦た為さざるなり。僑若し玉を獻ぜば、成す所を知らず。敢へて私かに之を布く」と。韓子玉を辭して曰く、「起不敏なりと雖も、敢へて玉を求めて以て二罪を徼(もと)めんや。敢へて之を辭す」と。
現代語訳
(子産は続けた。)「そうなれば鄭は国としての地位を失い、韓子は貪欲の名を成すことになる。玉一つが何の役に立とうか。しかも私が玉によって罪を買うというのは、あまりに細かすぎるではないか」。韓子(韓宣子)はその環を商人から買い取ることにし、値段も決まった。すると商人が言った。「必ずわが君と大夫に報告いたします」。そこで韓子は子産に願い出て言った。「先日、私(起)はあの環をお願いしたが、執政(子産)は筋が通らないとされたので、二度とは申しませんでした。いま商人から買おうとしたところ、商人が『必ずお上に申し上げる』と言います。そこで改めてお願いに上がった次第です」。子産は答えた。「昔、わが先君の桓公(鄭の始祖、鄭桓公)は、商人たちとともに周の地から出てまいりました。互いに並び、肩を寄せ合って力を合わせ、この土地を切り開き、よもぎ・あかざ・豆の葉などの雑草を刈り払って、ともにここに住みついたのです。代々盟約の誓いを交わして、互いに信じ合ってきました。その誓いにはこうあります。『お前たちが私に背かなければ、私は無理に買い上げることはしない。物をねだったり奪ったりすることもしない。お前たちがもうかる商売や宝物を持っていても、私は関わらない』と。この誓約を頼みにしてきたからこそ、互いに守り合って今日に至ったのです。いまあなたは友好のためにわざわざお越しくださりながら、鄭に商人から強奪せよとおっしゃる。これは鄭に盟約の誓いに背けと教えることであり、いけないことではありませんか。あなたが玉を得て諸侯の信を失うようなことは、決してなさらないでしょう。もし大国が命じるたびに、際限なく差し出さねばならないのなら、鄭は晋の辺境の一邑にすぎなくなります。それもまた私どもはいたしません。私(僑)がもし玉を献上したとしても、それで何が成るのか分かりません。あえて内々に申し上げる次第です」。韓子は玉を辞退して言った。「私は不敏な者ですが、どうして玉を求めて二つの罪を招きましょうか。つつしんで辞退いたします」。
解説
この章句が説くこと
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論語・八佾篇王孫賈問う、『其の奥に媚ぶるよりは寧ろ竈に媚ぶと。何の謂いぞ。』子曰く、『然らず。天に罪を獲ば、祷る所無し。』
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『墨子』尚賢中則ち此れ三聖人なる者、其の言を謹み、其の行を慎み、其の思慮を精しくし、天下の隠事遺利を索めて、以て上は天に事えしを言う。則ち天、其の徳を鄉く。下は之を萬民に施し、萬民、其の利を被り、身を終うるまで已むこと無し。故に先王の言に曰く、「此の道や、大いに之を天下に用うれば則ち窕からず、小さく之を用うれば則ち困しまず、脩めて之を用うれば則ち萬民、其の利を被り、身を終うるまで已むこと無し」と。周頌、之を道いて曰く、「聖人の徳は、天の髙きが若く、地の普きが若く、其の天下に昭かなること有り。地の固きが若く、山の承くるが若く、坼けず崩れず。日の光の若く、月の明の若く、天地と常を同じくす」と。則ち此れ聖人の徳の章明博大、埴固にして以て脩久なるを言うなり。故に聖人の徳は、盖し天地を總ぶる者なり。
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説苑・奉使春秋の辭に相反する者四つ有り。既に曰く、「大夫遂事無し。」擅に事を生ずるを得ず。又た曰く、「境を出でて以て社稷を安んじ、國家を利する者は則ち之を專らにするも可なり。」既に曰く、「大夫君命を以て出づれば、進退大夫に在り」と。又た曰く、「君命を以て出で、喪を聞かば徐行して反らず」とは、何ぞや。曰く、「此の義は各々其の科に止まり、轉移せざるなり。擅に事を生ずるを得ずとは、平生の常經を謂うなり。之を專らにするも可なりとは、危を救い患を除くを謂うなり。進退大夫に在りとは、將帥の兵を用うるを謂うなり。徐行して反らずとは、使いに出でて道に君親の喪を聞くを謂うなり。公子子結擅に事を生ずるも、春秋非とせず、以て莊公の危を救うと爲せばなり。公子遂擅に事を生ずるも、春秋之を譏る、以て僖公危事無しと爲せばなり。故に君危有りて專ら救わざるは、是れ不忠なり。若し危無くして擅に事を生ずるは、是れ臣ならざるなり。傳に曰く、『詩に通詁無く、易に通吉無く、春秋に通義無し。』此れを之れ謂うなり。」
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