史記 / 劉敬叔孫通列伝
叔孫通使徴魯諸生三十餘人。魯有両生不肯行、曰、公所事者且十主、皆面諛以得親貴。今天下初定、死者未葬、傷者未起、又欲起礼楽。礼楽所由起、積徳百年而後可興也。吾不忍為公所為。公所為不合古、吾不行。公往矣、無汙我。叔孫通笑曰、若真鄙儒也、不知時変。太史公曰、語曰千金之裘、非一狐之腋也。臺榭之榱、非一木之枝也。三代之際、非一士之智也。信哉。劉敬脱輓輅一説、建萬世之安、智豈可専邪。叔孫通希世度務、制礼進退、与時変化、卒為漢家儒宗。大直若詘、道固委蛇、蓋謂是乎。
新字:叔孫通使徴魯諸生三十余人。魯有両生不肯行、曰、公所事者且十主、皆面諛以得親貴。今天下初定、死者未葬、傷者未起、又欲起礼楽。礼楽所由起、積徳百年而後可興也。吾不忍為公所為。公所為不合古、吾不行。公往矣、無汙我。叔孫通笑曰、若真鄙儒也、不知時変。太史公曰、語曰千金之裘、非一狐之腋也。台榭之榱、非一木之枝也。三代之際、非一士之智也。信哉。劉敬脱輓輅一説、建万世之安、智豈可専邪。叔孫通希世度務、制礼進退、与時変化、卒為漢家儒宗。大直若詘、道固委蛇、蓋謂是乎。
書き下し
叔孫通をして魯の諸生三十餘人を徴せしむ。魯に両生の行くを肯んぜざる有り、曰く、「公の事ふる所の者且に十主、皆面諛して以て親貴を得。今天下初めて定まり、死者未だ葬らず、傷者未だ起たず、又礼楽を起こさんと欲す。礼楽の由りて起こる所は、徳を積むこと百年にして後に興す可きなり。吾公の為す所を為すに忍びず。公の為す所は古に合はず、吾行かず。公往け、我を汙す無かれ」と。叔孫通笑ひて曰く、「若は真に鄙儒なり、時変を知らず」と。太史公曰く、語に曰く『千金の裘は、一狐の腋に非ざるなり。臺榭の榱は、一木の枝に非ざるなり。三代の際は、一士の智に非ざるなり』と。信なるかな。劉敬輓輅を脱して一説し、萬世の安を建つ、智豈だ専らにす可けんや。叔孫通世を希ひ務を度り、礼を制して進退し、時と変化し、卒に漢家の儒宗と為る。『大直は詘めるが若く、道は固より委蛇たり』とは、蓋し是を謂ふか。
現代語訳
「原則を守る筋と、時代に合わせて動く柔軟さ——その両方に価値を認める」——理想を貫く儒者と、時流に応じる叔孫通を対比し、司馬遷が総括する結びの一段です。叔孫通が礼制作りのため魯の学者を招いたとき、二人の学者が同行を拒みます。「あなたは主君を十人も渡り歩き、皆に面と向かって諂って地位を得てきた。天下が定まったばかりで、戦死者もまだ葬られず、負傷者も癒えぬのに、もう礼楽を作ろうとする。礼楽は徳を百年積んではじめて興せるもの。あなたのやり方は古の道に合わない。私は行かない。行ってくれ、私を汚すな」と。原則を厳しく貫く、筋の通った批判です。叔孫通は笑って「お前たちは、時代の変化を知らない田舎儒者だ」と応じました。司馬遷は、どちらか一方を断罪せず、両者を含めて総括します。まず古諺を引きます。「千金の毛皮は一匹の狐の脇の毛だけでできるのではない。高殿の垂木は一本の木の枝でできるのではない。三代の栄華は一人の知恵で成ったのではない」——大事業は、多くの人の力の集積で成る、と。そして、粗末な労役兵から一言で万世の安を築いた劉敬と、時流を読んで漢の礼制を確立し儒教の宗主となった叔孫通、両者の智を等しく讃えます。最後に「大いなるまっすぐさは、一見曲がって見える。道はもともとくねくねと曲がりくねっているものだ(大直若詘、道固委蛇)」と結ぶ。ここに、原則と柔軟さについての教訓があります。第一に、大きな事業は、決して一人の力では成らず、多様な人々の貢献の集積によって築かれるということ(千金の裘は一狐の腋に非ず)。異なる立場・才能の人が、それぞれの持ち味で貢献してこそ、大業は成る。第二に、原則を貫く筋(両生)と、時代に合わせて動く柔軟さ(叔孫通)は、どちらも価値があり、一方だけが正しいのではないということ。司馬遷は両者を並べて認めた。第三に、真にまっすぐな道は、しばしば曲がって見えるということ。目先には妥協や迂回に見える叔孫通の柔軟さも、大局では確かな道だった。組織や人生で、大業は多様な人の貢献の集積で成ると知ること、原則を貫く筋と時流に応じる柔軟さの双方に価値を認めること、そして一見曲がって見える道の中にこそ大きな正しさがある場合を見極めること——司馬遷のこの結びは、多様性と柔軟さの深い知恵を教えます。