説苑 / 奉使
春秋之辭有相反者四,既曰:「大夫無遂事。」不得擅生事矣。又曰:「出境可以安社稷,利國家者則專之可也。」既曰:「大夫以君命出,進退在大夫」矣,又曰:「以君命出,聞喪徐行而不反」者,何也?曰:「此義者各止其科,不轉移也。不得擅生事者,謂平生常經也;專之可也者,謂救危除患也;進退在大夫者,謂將帥用兵也;徐行而不反者,謂出使道聞君親之喪也。公子子結擅生事,春秋不非,以為救莊公危也。公子遂擅生事,春秋譏之,以為僖公無危事也。故君有危而不專救,是不忠也。若無危而擅生事,是不臣也。傳曰:『詩無通詁,易無通吉,春秋無通義。』此之謂也。」
新字:春秋之辞有相反者四,既曰:「大夫無遂事。」不得擅生事矣。又曰:「出境可以安社稷,利国家者則専之可也。」既曰:「大夫以君命出,進退在大夫」矣,又曰:「以君命出,聞喪徐行而不反」者,何也?曰:「此義者各止其科,不転移也。不得擅生事者,謂平生常経也;専之可也者,謂救危除患也;進退在大夫者,謂将帥用兵也;徐行而不反者,謂出使道聞君親之喪也。公子子結擅生事,春秋不非,以為救荘公危也。公子遂擅生事,春秋譏之,以為僖公無危事也。故君有危而不専救,是不忠也。若無危而擅生事,是不臣也。伝曰:『詩無通詁,易無通吉,春秋無通義。』此之謂也。」
書き下し
春秋の辭に相反する者四つ有り。既に曰く、「大夫遂事無し。」擅に事を生ずるを得ず。又た曰く、「境を出でて以て社稷を安んじ、國家を利する者は則ち之を專らにするも可なり。」既に曰く、「大夫君命を以て出づれば、進退大夫に在り」と。又た曰く、「君命を以て出で、喪を聞かば徐行して反らず」とは、何ぞや。曰く、「此の義は各々其の科に止まり、轉移せざるなり。擅に事を生ずるを得ずとは、平生の常經を謂うなり。之を專らにするも可なりとは、危を救い患を除くを謂うなり。進退大夫に在りとは、將帥の兵を用うるを謂うなり。徐行して反らずとは、使いに出でて道に君親の喪を聞くを謂うなり。公子子結擅に事を生ずるも、春秋非とせず、以て莊公の危を救うと爲せばなり。公子遂擅に事を生ずるも、春秋之を譏る、以て僖公危事無しと爲せばなり。故に君危有りて專ら救わざるは、是れ不忠なり。若し危無くして擅に事を生ずるは、是れ臣ならざるなり。傳に曰く、『詩に通詁無く、易に通吉無く、春秋に通義無し。』此れを之れ謂うなり。」
現代語訳
春秋の記述には一見矛盾するように見える言葉が四つある。ある箇所では『大夫は独断で事を進めてはならない』と言い、勝手に新たな事を起こしてはならないとする。また別の箇所では『国境を出て、それが国家を安んじ利益をもたらすことであれば、独断で行ってもよい』と言う。またある箇所では『大夫が君命を受けて出使するとき、その進退の判断は大夫自身に委ねられる』と言い、また別の箇所では『君命を受けて出使している最中に、主君や親の喪の知らせを聞いたら、ゆっくりと歩みを進め、すぐには帰らない』と言う。これはどういうことか。答えて言う。『これらの道理はそれぞれ別の状況に当てはまるものであり、互いに入れ替わるものではない。「独断で事を起こしてはならない」とは、平時の常道を言ったものである。「独断で行ってもよい」とは、危機を救い患難を除く場合を言ったものである。「進退は大夫に委ねられる」とは、将帥が軍を率いて戦う場合を言ったものである。「ゆっくり歩みすぐには帰らない」とは、使者として出ている道中に主君や親の喪に接した場合を言ったものである。公子の子結は独断で事を起こしたが、春秋はこれを非としなかった。それは荘公の危機を救ったからである。公子遂も独断で事を起こしたが、春秋はこれを譏った。それは僖公に危機的な事態がなかったからである。だから主君に危機があるのに独断で救わないのは不忠である。もし危機がないのに勝手に事を起こすのは、臣下としての道を外れることになる。ある伝には「詩経に一律に通じる解釈はなく、易経に一律に通じる占いの吉はなく、春秋に一律に通じる大義はない」とある。まさにこのことを言うのである。』
解説
この章句が説くこと
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