呻吟語 / 内篇・修身・辭色は卻って是れ我の的なり
余待小人不能假辭色,小人或不能堪。年友王道源危之曰:「今世居官切宜戒此。法度是朝廷的,財貨是百姓的,真借不得人情。至於辭色,卻是我的;假借些兒何害?」余深感之,因識而改焉。
新字:余待小人不能仮辞色,小人或不能堪。年友王道源危之曰:「今世居官切宜戒此。法度是朝廷的,財貨是百姓的,真借不得人情。至於辞色,却是我的;仮借些児何害?」余深感之,因識而改焉。
書き下し
余は小人を待つに辭色を假す能はず。小人或いは堪ふる能はず。年友王道源之を危ぶみて曰く、「今世官に居るには切に宜しく此を戒むべし。法度は是れ朝廷の的なり、財貨は是れ百姓の的なり、真に人情を借り得ず。辭色に至りては、卻って是れ我の的なり。些兒を假借するも何ぞ害あらん」と。余深く之に感じ、因りて識して改めたり。
現代語訳
私は小人に対して言葉つきや顔つきを和らげることができず、小人のほうが耐えられないことがありました。同年の友である王道源がそれを危ぶんで言いました。今の世で官にあるなら、ぜひこれを戒めるべきです。法度は朝廷のもの、財貨は民のもので、本当に人情で融通できません。しかし言葉つきや顔つきは自分のものです。少しばかり貸してやったところで、何の害があるでしょうか。私は深く感じ入り、書き留めて改めました。
解説
融通してよいものと、してはならないものを持ち物の所有で分けた助言です。法も財も自分の物ではないので貸せない。しかし言葉つきや顔つきは自分の物だから、少し貸してもよい。この区別が鮮やかで、原則を曲げずに人当たりを和らげる道を示しています。そして呂坤が友の言葉に従って自分を改めたと書き添える。人の忠告を受けた記録として貴重な一段です。
この章句が説くこと
態度原則融通忠告改める
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