春秋左氏伝 / 昭公十四年 古の遺直
冬。十二月。蒲餘侯茲夫殺莒公子意恢。郊公奔齊。公子鐸逆庚與於齊。齊隰黨。公子鉏。送之。有賂田。晉邢侯與雍子爭鄐田。久而無成。士景伯如楚。叔魚攝理。韓宣子命斷舊獄。罪在雍子。雍子納其女於叔魚。叔魚蔽罪邢侯。邢侯怒。殺叔魚。與雍子於朝。宣子問其罪於叔向。叔向曰。三人同罪。施生戮死。可也。雍子自知其罪。而賂以買直。鮒也鬻獄。邢侯專殺。其罪一也。己惡而掠美為昏。貪以敗官為墨。殺人不忘為賊。夏書曰。昏墨賊殺。皋陶之刑也。請從之。乃施邢侯。而尸雍子。與叔魚於市。仲尼曰。叔向。古之遺直也。治國制刑。不隱於親。三數叔魚之惡。不為末減。曰。義也夫。可謂直矣。平丘之會。數其賄也。以寬衛國。晉不為暴。歸魯季孫。稱其詐也。以寬魯國。晉不為虐。邢侯之獄。言其貪也。以正刑書。晉不為頗。三言而除三惡。加三利。殺親益榮。猶義也夫。
新字:冬。十二月。蒲余侯茲夫殺莒公子意恢。郊公奔斉。公子鐸逆庚与於斉。斉隰党。公子鉏。送之。有賂田。晋邢侯与雍子争鄐田。久而無成。士景伯如楚。叔魚摂理。韓宣子命断旧獄。罪在雍子。雍子納其女於叔魚。叔魚蔽罪邢侯。邢侯怒。殺叔魚。与雍子於朝。宣子問其罪於叔向。叔向曰。三人同罪。施生戮死。可也。雍子自知其罪。而賂以買直。鮒也鬻獄。邢侯専殺。其罪一也。己悪而掠美為昏。貪以敗官為墨。殺人不忘為賊。夏書曰。昏墨賊殺。皋陶之刑也。請従之。乃施邢侯。而尸雍子。与叔魚於市。仲尼曰。叔向。古之遺直也。治国制刑。不隠於親。三数叔魚之悪。不為末減。曰。義也夫。可謂直矣。平丘之会。数其賄也。以寛衛国。晋不為暴。帰魯季孫。称其詐也。以寛魯国。晋不為虐。邢侯之獄。言其貪也。以正刑書。晋不為頗。三言而除三悪。加三利。殺親益栄。猶義也夫。
書き下し
冬十二月、蒲餘侯茲夫莒の公子意恢を殺す。郊公齊に奔る。公子鐸庚與を齊に逆ふ。齊の隰黨・公子鉏之を送り、賂田有り。晉の邢侯雍子と鄐の田を爭ひ、久しくして成る無し。士景伯楚に如き、叔魚理を攝す。韓宣子命じて舊獄を斷ぜしむ。罪雍子に在り。雍子其の女を叔魚に納る。叔魚罪を邢侯に蔽す。邢侯怒り、叔魚と雍子とを朝に殺す。宣子其の罪を叔向に問ふ。叔向曰く、「三人罪を同じくす。生けるを施し死せるを戮して可なり。雍子自ら其の罪を知りて、賂して以って直を買ふ。鮒や獄を鬻ぐ。邢侯專ら殺す。其の罪一なり。己惡しくして美を掠むるを昏と為し、貪りて以って官を敗るを墨と為し、人を殺して忘れざるを賊と為す。夏書に曰く、『昏・墨・賊は殺す』と。皋陶の刑なり。請ふ之に從はん」と。乃ち邢侯を施して、雍子と叔魚とを市に尸す。仲尼曰く、「叔向は、古の遺直なり。國を治め刑を制するに、親に隱さず。三たび叔魚の惡を數へて、末減を為さず。曰く、義なるかな、直と謂ふ可し。平丘の會に、其の賄を數へて、以って衛國を寬くし、晉暴を為さず。魯の季孫を歸すに、其の詐を稱して、以って魯國を寬くし、晉虐を為さず。邢侯の獄に、其の貪を言ひて、以って刑書を正し、晉頗を為さず。三たび言ひて三惡を除き、三利を加ふ。親を殺して榮を益す、猶ほ義なるかな」と。
現代語訳
冬十二月、蒲余侯茲夫が莒の公子意恢を殺した。郊公は斉に亡命した。公子鐸は庚与を斉から迎え入れた。斉の隰党と公子鉏が庚与を送り届け、その謝礼として莒から田地を贈られた。晋の邢侯は雍子と鄐の田地をめぐって争い、長く決着がつかなかった。裁判官の士景伯が楚に出向いていたので、叔魚(羊舌鮒)が代わって裁判を担当した。韓宣子は、懸案の古い訴訟を裁くよう命じた。罪は雍子の側にあった。雍子は自分の娘を叔魚に差し出した。叔魚は罪を邢侯にかぶせる判決を下した。邢侯は怒り、朝廷で叔魚と雍子を殺した。宣子がその罪をどう裁くべきか叔向に尋ねた。叔向は言った。「三人は同罪です。生きている者は処刑し、死んだ者はその屍をさらすのがよいでしょう。雍子は自分に罪があると知りながら、賄賂で勝訴を買いました。鮒(叔魚)は裁判を売りました。邢侯は勝手に人を殺しました。その罪は同じです。自分が悪いのに美名を掠め取るのを昏といい、貪って官職を汚すのを墨といい、人を殺してはばからないのを賊といいます。『夏書』に『昏・墨・賊は死刑』とあります。皋陶の定めた刑法です。これに従ってください」。そこで邢侯を処刑し、雍子と叔魚の屍を市にさらした。仲尼(孔子)は言った。「叔向は、古の正直さを今に伝える人である。国を治め刑を定めるのに、身内をかばわなかった。三度にわたって叔魚の悪を数え上げ、少しも罪を軽くしなかった。義と言うべきであり、正直と言うべきである。平丘の会では、叔魚が賄賂を求めたことを明らかにして衛国の負担を軽くし、晋が暴虐とならずに済んだ。魯の季孫を帰すときには、叔魚の偽りを明らかにして魯国の負担を軽くし、晋が虐げる国とならずに済んだ。邢侯の裁判では、叔魚の貪欲を言って刑法を正し、晋が偏った国とならずに済んだ。三度の発言で三つの悪を除き、三つの利を加えた。肉親を死なせても名誉を増した。やはり義というべきであろう」。
解説
この章句が説くこと
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