説苑 / 說叢
知命者不怨天,知己者不怨人;人而不愛則不能仁,佞而不巧則不能信;言善毋及身,言惡毋及人;上清而無欲,則下正而民樸。來事可追也,往事不可及。無思慮之心則不達,無談說之辭則不樂。
新字:知命者不怨天,知己者不怨人;人而不愛則不能仁,佞而不巧則不能信;言善毋及身,言悪毋及人;上清而無欲,則下正而民樸。来事可追也,往事不可及。無思慮之心則不達,無談説之辞則不楽。
書き下し
命を知る者は天を怨みず、己を知る者は人を怨みず。人にして愛せざれば則ち仁なる能わず、佞にして巧ならざれば則ち信なる能わず。善を言うに身に及ぶ毋かれ、惡を言うに人に及ぶ毋かれ。上清くして欲無ければ、則ち下正しくして民樸なり。來事は追うべきなり、往事は及ぶべからず。思慮の心無ければ則ち達せず、談說の辭無ければ則ち樂しからず。
現代語訳
天命を知る者は天を怨まず、自分自身をよく知る者は他人を怨まない。人を愛することがなければ仁徳を持つことはできず、へつらいながらも巧みでなければ信用を得ることはできない。善いことを語るときには自分の手柄にしてはならず、悪いことを語るときには他人のせいにしてはならない。上に立つ者が清廉で無欲であれば、下の者は正しくなり民は素朴になる。これから起こる事柄は追いかけて備えることができるが、過ぎ去った事柄はもう取り戻すことができない。思慮する心がなければ物事に通達せず、語り説く言葉がなければ楽しみを得ることはない。
解説
天命と自己認識、仁と信の条件、そして功罪の帰属という処世の要諦を並べた章である。「善を言うに身に及ぶ毋かれ、惡を言うに人に及ぶ毋かれ」は、成功の手柄を自分だけのものにせず、失敗の責任を他人だけに押し付けないという公正な態度を説いており、現代のチームマネジメントにおける信頼構築の基本原則そのものである。また「來事は追うべきなり、往事は及ぶべからず」は、過去を悔やむより未来への備えに力を注ぐべきだという前向きな時間感覚を示しており、失敗を引きずりがちな現代人への励ましとなる。
この章句が説くこと
公正前向きな時間感覚仁信
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