春秋左氏伝 / 昭公十二年 克己復礼
王出復語。左史倚相趨過。王曰。是良史也。子善視之。是能讀三墳五典。八索九丘。對曰。臣嘗問焉。昔穆王欲肆其心。周行天下。將皆必有車轍馬跡焉。祭公謀父作祈招之詩。以止王心。王是以獲沒於祗宮。臣問其詩而不知也。若問遠焉。其焉能知之。王曰。子能乎。對曰。能。其詩曰。祈招之愔愔。式昭德音。思我王度。式如玉。式如金。形民之力。而無醉飽之心。王揖而入。饋不食。寢不寐。數日不能自克。以及於難。仲尼曰。古也有志。克己復禮。仁也。信善哉。楚靈王若能如是。豈其辱於乾谿。晉伐鮮虞。因肥之役也。
新字:王出復語。左史倚相趨過。王曰。是良史也。子善視之。是能読三墳五典。八索九丘。対曰。臣嘗問焉。昔穆王欲肆其心。周行天下。将皆必有車轍馬跡焉。祭公謀父作祈招之詩。以止王心。王是以獲没於祗宮。臣問其詩而不知也。若問遠焉。其焉能知之。王曰。子能乎。対曰。能。其詩曰。祈招之愔愔。式昭徳音。思我王度。式如玉。式如金。形民之力。而無酔飽之心。王揖而入。饋不食。寝不寐。数日不能自克。以及於難。仲尼曰。古也有志。克己復礼。仁也。信善哉。楚霊王若能如是。豈其辱於乾谿。晋伐鮮虞。因肥之役也。
書き下し
王出でて復た語る。左史倚相趨りて過ぐ。王曰く、「是れ良史なり。子善く之を視よ。是れ能く三墳・五典・八索・九丘を讀む」と。對へて曰く、「臣嘗て焉に問ふ。昔穆王其の心を肆にせんと欲し、天下を周行して、將に皆必ず車轍馬跡有らしめんとす。祭公謀父祈招の詩を作りて、以って王の心を止む。王是を以って祗宮に沒するを獲たり。臣其の詩を問ひて知らざるなり。若し遠きを問はば、其れ焉んぞ能く之を知らん」と。王曰く、「子能くするか」と。對へて曰く、「能くす。其の詩に曰く、『祈招の愔愔たる、式て德音を昭らかにす。我が王の度を思ふ、式て玉の如く、式て金の如し。民の力を形りて、醉飽の心無し』と」と。王揖して入り、饋れども食はず、寢ぬれども寐ねず、數日自ら克つこと能はず、以って難に及ぶ。仲尼曰く、「古や志有り、『己に克ちて禮に復るは、仁なり』と。信に善きかな。楚の靈王若し能く是くの如くならば、豈に其れ乾谿に辱められんや」と。晉鮮虞を伐つ。肥の役に因るなり。
現代語訳
王が出てきて、また語り合った。そこへ左史(記録官)の倚相が小走りに通り過ぎた。王は言った。「あれは良い史官だ。そなたもよく目をかけてやれ。あの者は三墳・五典・八索・九丘(いずれも上古の書)を読むことができる」。子革は答えた。「私はかつて彼に尋ねたことがあります。昔、周の穆王は思うままに振る舞おうとして、天下を巡り歩き、至るところに自分の車の轍と馬の足跡を残そうとしました。祭公謀父が『祈招』という詩を作って、王の心をとどめました。王はそのおかげで祗宮で天寿を全うすることができたのです。私がその詩について尋ねたところ、倚相は知りませんでした。もっと遠い昔のことを尋ねたら、どうして知っていましょうか」。王は言った。「そなたは知っているのか」。子革は答えた。「知っております。その詩にはこうあります。『祈招(王の司馬)の穏やかなる、もって徳ある言葉を明らかにする。わが王の規範を思えば、玉のごとく、金のごとし。民の力を量って用い、酔い飽きるまで貪る心がない』」。王は会釈して奥に入り、食事を出されても食べず、床についても眠れず、数日のあいだ自分に打ち勝つことができず、ついに禍に行き着いた。仲尼(孔子)は言った。「昔の書物に『己に克って礼に立ち返ること、それが仁である』とある。まことに良い言葉だ。楚の霊王がもしこのようにできていたら、どうして乾谿で辱めを受けることがあっただろうか」。晋が鮮虞を討った。肥を滅ぼした戦いの続きである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』隠公五年 公、魚を棠に観る五年春、公將に棠に如きて魚する者を觀んとす。臧僖伯諫めて曰く、「凡そ物の以って大事を講ずるに足らず、其の材の以って器用に備ふるに足らざれば、則ち君舉げず。君は、將に民を軌・物に納れんとする者なり。故に事を講じて以って軌量を度る、之を『軌』と謂ふ。材を取りて以って物采を章らかにする、之を『物』と謂ふ。軌ならず物ならざる、之を亂政と謂ふ。亂政亟々行はるるは、敗るる所以なり。故に春蒐・夏苗・秋獮・冬狩、皆農隙に於いて以って事を講ずるなり。三年にして兵を治め、入りて旅を振ひ、歸りて飲至し、以って軍實を數ふ。文章を昭らかにし、貴賤を明らかにし、等列を辨じ、少長を順にし、威儀を習ふなり。鳥獸の肉俎に登らず、皮革齒牙・骨角毛羽器に登らざれば、則ち公射ず、古の制なり。夫の山林川澤の實、器用の資、皁隸の事、官司の守の若きは、君の及ぶ所に非ざるなり」と。公曰く、「吾將に地を略せんとす」と。遂に往き、魚を陳ねて之を觀る。僖伯疾と稱して從はず。書して「公魚を棠に矢ぬ」と曰ふは、禮に非ざればなり、且つ地の遠きを言ふなり。曲沃の莊伯鄭人・邢人を以って翼を伐つ。王尹氏・武氏をして之を助けしむ。翼侯隨に奔る。夏、衛の桓公を葬る。衛亂る、是を以って緩し。
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『韓非子』難一第三十六今襄子驕侮の臣を誅せずして、功無きの赫を賞す、安くにか襄子の善く賞するに在らん。故に曰く、仲尼は善く賞することを知らず、と。晋の平公羣臣と飲む、飲酣にして、乃ち喟然として歎じて曰く、「人君為るより楽しきは莫し、惟だ其の言ひて之に違ふ莫し」と。師曠前に侍坐す、琴を援きて之に撞く。公衽を披きて避く、琴壁に壊る。公曰く、「太師誰にか撞く」と。師曠曰く、「今者小人の側に言ふ者有り、故に之に撞く」と。公曰く、「寡人なり」と。師曠曰く、「啞。是れ君人たる者の言に非ざるなり」と。左右之を除かんことを請ふ、公曰く、「之を釈せ、以て寡人の戒と為さん」と。或ひと曰く、平公は君道を失ひ、師曠は臣礼を失ふ。夫れ其の行を非として其の身を誅するは、君の臣に於けるなり。其の行を非とすれば則ち其の言を陳べ、善く諫めて聴かれざれば則ち其の身を遠ざくるは、臣の君に於けるなり。今師曠平公の行を非とし、人臣の諫を陳べずして、人主の誅を行ふ、琴を挙げて其の体に親しむ、是れ上下の位に逆らひて、人臣の礼を失ふなり。夫れ人臣為る者は、君過有れば則ち諫め、諫めて聴かれざれば則ち爵禄を軽んじて以て之を待つ、此れ人臣の礼なり。今師曠平公の過を非とし、琴を挙げて其の体に親しむ、厳父と雖も子に加へず、而るに師曠之を君に行ふ、此れ大逆の術なり。
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『春秋左氏伝』襄公三十年 伯姫、姆を待つ夏、四月、己亥、鄭伯其の大夫と盟ふ。君子是を以て鄭の難の已まざるを知るなり。蔡の景侯大子般の為に楚に娶る。焉に通ず。大子景侯を弒す。初め、王の儋季卒す。其の子括將に王に見えんとして歎ず。單の公子愆期靈王の御士為り。諸を廷に過ぎ、其の歎を聞きて言ひて曰く、「烏乎、必ず此を有たんとするかな」と。入りて以て王に告げ、且つ曰く、「必ず之を殺せ。慼へずして大を願ひ、視ること躁にして足高し。心他に在り。殺さずんば必ず害あらん」と。王曰く、「童子何をか知らん」と。靈王崩ずるに及び、儋括王子佞夫を立てんと欲す。佞夫知らず。戊子、儋括蒍を圍み、成愆を逐ふ。成愆平畤に奔る。五月、癸巳、尹言多・劉毅・單蔑・甘過・鞏成、佞夫を殺す。括・瑕・廖晉に奔る。書して「天王其の弟佞夫を殺す」と曰ふは、罪王に在ればなり。或ひと宋の大廟に呌びて曰く、「譆譆、出でよ出でよ」と。鳥亳社に鳴く、「譆譆」と曰ふが如し。甲午、宋大いに災あり。宋の伯姬卒す。姆を待てばなり。君子宋の共姬を謂ふ、「女にして婦ならず。女は人を待ち、婦は事を義とするなり」と。
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『春秋左氏伝』昭公四年 驕りて諫めを拒む王、椒舉をして後に侍して以て過ちを規さしむ。事を卒ふるまで規さず。王其の故を問ふ。對へて曰く、「禮、吾が未だ見ざる者六つ有り。又何を以てか規さん」と。宋の大子佐後れて至る。王武城に田して、久しくして見ず。椒舉辭せんことを請ふ。王往かしめて曰く、「屬(たまたま)宗祧の事武城に有り。寡君將に幣を墮(おく)らんとす。敢へて見ゆるを後らすを謝す」と。徐子は吳の出なり。以て貳と為す。故に諸を申に執ふ。楚子諸侯に侈りを示す。椒舉曰く、「夫れ六王二公の事は、皆諸侯に示す所以にして、禮なり。諸侯の由りて命を用ふる所なり。夏桀仍の會を為して、有緡之に叛く。商紂黎の蒐を為して、東夷之に叛く。周幽大室の盟を為して、戎狄之に叛く。皆諸侯に示す所以にして、汏(おご)りなり。諸侯の由りて命を棄つる所なり。今君汏りを以てす。乃ち濟らざること無からんや」と。王聽かず。子產左師に見えて曰く、「吾楚を患へず。汏りて諫に愎(もと)る、十年に過ぎず」と。左師曰く、「然り。十年ならずんば侈るも、其の惡遠からず。惡遠くして而る後に棄てらる。善も亦た之の如し。德遠くして而る後に興る」と。
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『春秋左氏伝』荘公二十三年 曹劌、観社を諫む二十三年夏、公齊に如きて社を觀る、禮に非ざるなり。曹劌諫めて曰く、「不可なり。夫れ禮は、民を整ふる所以なり。故に會して以って上下の則を訓へ、財用の節を制す。朝して以って班爵の義を正し、長幼の序を帥ゐる。征伐して以って其の然らざるを討つ。諸侯に王有り、王に巡守有り、以って大いに之を習はす。是に非ざれば、君舉げず。君の舉は必ず書す。書して法ならずんば、後嗣何をか觀ん」と。晉の桓・莊の族逼る。獻公之を患ふ。士蒍曰く、「富子を去らば、則ち羣公子謀る可きのみ」と。公曰く、「爾其の事を試みよ」と。士蒍羣公子と謀り、富子を譖して之を去る。秋、桓宮の楹を丹る。
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『春秋左氏伝』襄公七年 臣と為りて君たり衛の孫文子來聘す。且つ武子の言を拜して、孫桓子の盟を尋(あたた)む。公登れば亦た登る。叔孫穆子相たり。趨り進みて曰く、「諸侯の會に、寡君未だ嘗て衛君に後れず。今、吾子寡君に後れず。寡君未だ過つ所を知らず。吾子其れ少しく安んぜよ」と。孫子辭無く、亦た悛(あらた)むる容無し。穆叔曰く、「孫子必ず亡びん。臣と爲りて君たり、過ちて悛めず、亡の本なり。詩に曰く、『退食して公よりす、委蛇(いい)たり委蛇たり』と。從ふ者を謂ふなり。衡にして委蛇たらば必ず折れん」と。楚の子囊、陳を圍む。鄬(い)に會して以て之を救ふ。鄭の僖公の大子たるや、成の十六年に於て、子罕と晉に適き、焉を禮せず。又子豐と楚に適き、亦た焉を禮せず。其の元年に及び、晉に朝す。子豐、諸を晉に愬へて之を廢せんと欲す。子罕之を止む。將に鄬に會せんとするに及び、子駟相たり。又焉を禮せず。侍者諫む。聽かず。又諫む。之を殺す。鄵(そう)に及び、子駟、賊をして夜に僖公を弒せしめて、瘧疾を以て諸侯に赴す。簡公生まれて五年なり。奉じて之を立つ。陳人、楚を患ふ。慶虎・慶寅、楚人に謂ひて曰く、「吾、公子黃をして往かしめん。而(なんぢ)之を執へよ」と。楚人之に從ふ。二慶、使をして陳侯に會に告げしめて曰く、「楚人、公子黃を執へたり。君若し來らずんば、群臣社稷宗廟に忍びず、二圖有らんことを懼る」と。陳侯逃れ歸る。
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