師導古典を学びたいすべての人に

韓非子 / 難一第三十六

今襄子不誅驕侮之臣,而賞無功之赫,安在襄子之善賞也?故曰:仲尼不知善賞。晉平公與羣臣飲,飲酣,乃喟然歎曰:「莫樂爲人君,惟其言而莫之違。」師曠侍坐於前,援琴撞之。公披祍而避,琴壞於壁。公曰:「太師誰撞?」師曠曰:「今者有小人言於側者,故撞之。」公曰:「寡人也。」師曠曰:「啞!是非君人者之言也。」左右請除之,公曰:「釋之,以爲寡人戒。」或曰:平公失君道,師曠失臣禮。夫非其行而誅其身,君之於臣也;非其行則陳其言,善諫不聽則遠其身者,臣之於君也。今師曠非平公之行,不陳人臣之諫,而行人主之誅,舉琴而親其體,是逆上下之位,而失人臣之禮也。夫爲人臣者,君有過則諫,諫不聽則輕爵禄以待之,此人臣之禮也。今師曠非平公之過,舉琴而親其體,雖嚴父不加於子,而師曠行之於君,此大逆之術也。

新字:今襄子不誅驕侮之臣,而賞無功之赫,安在襄子之善賞也?故曰:仲尼不知善賞。晋平公与羣臣飲,飲酣,乃喟然嘆曰:「莫楽為人君,惟其言而莫之違。」師曠侍坐於前,援琴撞之。公披祍而避,琴壊於壁。公曰:「太師誰撞?」師曠曰:「今者有小人言於側者,故撞之。」公曰:「寡人也。」師曠曰:「唖!是非君人者之言也。」左右請除之,公曰:「釈之,以為寡人戒。」或曰:平公失君道,師曠失臣礼。夫非其行而誅其身,君之於臣也;非其行則陳其言,善諫不聴則遠其身者,臣之於君也。今師曠非平公之行,不陳人臣之諫,而行人主之誅,舉琴而親其体,是逆上下之位,而失人臣之礼也。夫為人臣者,君有過則諫,諫不聴則軽爵禄以待之,此人臣之礼也。今師曠非平公之過,舉琴而親其体,雖厳父不加於子,而師曠行之於君,此大逆之術也。

書き下し

今襄子驕侮の臣を誅せずして、功無きの赫を賞す、安くにか襄子の善く賞するに在らん。故に曰く、仲尼は善く賞することを知らず、と。晋の平公羣臣と飲む、飲酣にして、乃ち喟然として歎じて曰く、「人君為るより楽しきは莫し、惟だ其の言ひて之に違ふ莫し」と。師曠前に侍坐す、琴を援きて之に撞く。公衽を披きて避く、琴壁に壊る。公曰く、「太師誰にか撞く」と。師曠曰く、「今者小人の側に言ふ者有り、故に之に撞く」と。公曰く、「寡人なり」と。師曠曰く、「啞。是れ君人たる者の言に非ざるなり」と。左右之を除かんことを請ふ、公曰く、「之を釈せ、以て寡人の戒と為さん」と。或ひと曰く、平公は君道を失ひ、師曠は臣礼を失ふ。夫れ其の行を非として其の身を誅するは、君の臣に於けるなり。其の行を非とすれば則ち其の言を陳べ、善く諫めて聴かれざれば則ち其の身を遠ざくるは、臣の君に於けるなり。今師曠平公の行を非とし、人臣の諫を陳べずして、人主の誅を行ふ、琴を挙げて其の体に親しむ、是れ上下の位に逆らひて、人臣の礼を失ふなり。夫れ人臣為る者は、君過有れば則ち諫め、諫めて聴かれざれば則ち爵禄を軽んじて以て之を待つ、此れ人臣の礼なり。今師曠平公の過を非とし、琴を挙げて其の体に親しむ、厳父と雖も子に加へず、而るに師曠之を君に行ふ、此れ大逆の術なり。

現代語訳

いま襄子は驕り侮る臣下を誅さずに、功のない高赫を賞した。どこに襄子の賞し方の見事さがあろうか。だから仲尼は賞の与え方を知らないというのである。晋の平公が臣下たちと酒を飲み、宴たけなわになると、ため息をついて言った。「君主であることほど楽しいものはない。ただ自分が何を言っても誰も逆らわないのだから」。楽師の師曠が前に控えていたが、琴を手に取って平公に打ちかかった。平公が衣の裾をからげて身をかわすと、琴は壁に当たって壊れた。平公が「太師は誰に打ちかかったのか」と言うと、師曠は「いま私のそばで、つまらぬ者がものを言っておりましたので、打ちかかったのです」と言った。平公が「それは私だ」と言うと、師曠は「ああ、それは君主たる者の言葉ではありません」と言った。側近が師曠を処罰するよう願い出ると、平公は「許してやれ。私への戒めとしよう」と言った。ある人が言う。平公は君主の道を失い、師曠は臣下の礼を失った。そもそも行いを非として身を誅するのは、君主が臣下に対してすることである。行いを非とすれば言葉で申し述べ、よく諫めても聞き入れられなければ身を引くのが、臣下が君主に対してすることである。いま師曠は平公の行いを非としながら、臣下としての諫めを述べずに、君主の行う誅罰を行い、琴を振り上げて君主の体に打ちかかった。これは上下の位に逆らい、臣下の礼を失ったものである。臣下たる者は、君主に過ちがあれば諫め、諫めて聞き入れられなければ爵禄を惜しまずに身を引いて待つ。これが臣下の礼である。いま師曠は平公の過ちを非として、琴を振り上げてその体に打ちかかった。厳しい父でも子にはしないことを、師曠は君主に行った。これは大逆の手口である。

解説

趙襄子の論功行賞批判の結びと、難一篇の五つ目、晋の平公と楽師師曠の話です。平公が、君主は何を言っても逆らわれないのが楽しいと言うと、師曠は琴で打ちかかり、それは君主の言葉ではないと諫めます。平公は処罰を求める側近を制し、自分への戒めとしました。君臣双方の美談として伝えられてきた話ですが、韓非は、平公は君主の道を失い、師曠は臣下の礼を失ったと、両者をともに批判します。臣下は言葉で諫め、聞かれなければ身を引くべきで、君主に手を上げるのは誅罰の権を侵す大逆だというのです。正しい意見でも、伝え方が立場の秩序を破れば組織を壊すという指摘は、今の職場でも、正論を振りかざす強引な進言がもたらす弊害として思い当たるところがあるでしょう。

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる