春秋左氏伝 / 襄公三十年 伯姫、姆を待つ
夏。四月。己亥。鄭伯及其大夫盟。君子是以知鄭難之不已也。蔡景侯為大子般娶于楚。通焉。大子弒景侯。初。王儋季卒。其子括將見王而歎。單公子愆期為靈王御士。過諸廷。聞其歎而言曰。烏乎。必有此夫。入以告王。且曰。必殺之。不慼而願大。視躁而足高。心在他矣。不殺必害。王曰。童子何知。及靈王崩。儋括欲立王子佞夫。佞夫弗知。戊子。儋括圍蒍。逐成愆。成愆奔平畤。五月。癸巳。尹言多。劉毅。單蔑。甘過。鞏成。殺佞夫。括瑕廖奔晉。書曰。天王殺其弟佞夫。罪在王也。或呌于宋大廟曰。譆譆出出。鳥鳴于亳社。如曰譆譆。甲午。宋大災。宋伯姬卒。待姆也。君子謂宋共姬女而不婦。女待人。婦義事也。
新字:夏。四月。己亥。鄭伯及其大夫盟。君子是以知鄭難之不已也。蔡景侯為大子般娶于楚。通焉。大子弒景侯。初。王儋季卒。其子括将見王而嘆。単公子愆期為霊王御士。過諸廷。聞其嘆而言曰。烏乎。必有此夫。入以告王。且曰。必殺之。不慼而願大。視躁而足高。心在他矣。不殺必害。王曰。童子何知。及霊王崩。儋括欲立王子佞夫。佞夫弗知。戊子。儋括囲蒍。逐成愆。成愆奔平畤。五月。癸巳。尹言多。劉毅。単蔑。甘過。鞏成。殺佞夫。括瑕廖奔晋。書曰。天王殺其弟佞夫。罪在王也。或呌于宋大廟曰。譆譆出出。鳥鳴于亳社。如曰譆譆。甲午。宋大災。宋伯姫卒。待姆也。君子謂宋共姫女而不婦。女待人。婦義事也。
書き下し
夏、四月、己亥、鄭伯其の大夫と盟ふ。君子是を以て鄭の難の已まざるを知るなり。蔡の景侯大子般の為に楚に娶る。焉に通ず。大子景侯を弒す。初め、王の儋季卒す。其の子括將に王に見えんとして歎ず。單の公子愆期靈王の御士為り。諸を廷に過ぎ、其の歎を聞きて言ひて曰く、「烏乎、必ず此を有たんとするかな」と。入りて以て王に告げ、且つ曰く、「必ず之を殺せ。慼へずして大を願ひ、視ること躁にして足高し。心他に在り。殺さずんば必ず害あらん」と。王曰く、「童子何をか知らん」と。靈王崩ずるに及び、儋括王子佞夫を立てんと欲す。佞夫知らず。戊子、儋括蒍を圍み、成愆を逐ふ。成愆平畤に奔る。五月、癸巳、尹言多・劉毅・單蔑・甘過・鞏成、佞夫を殺す。括・瑕・廖晉に奔る。書して「天王其の弟佞夫を殺す」と曰ふは、罪王に在ればなり。或ひと宋の大廟に呌びて曰く、「譆譆、出でよ出でよ」と。鳥亳社に鳴く、「譆譆」と曰ふが如し。甲午、宋大いに災あり。宋の伯姬卒す。姆を待てばなり。君子宋の共姬を謂ふ、「女にして婦ならず。女は人を待ち、婦は事を義とするなり」と。
現代語訳
夏四月己亥の日、鄭伯(簡公)はその大夫たちと盟約を結んだ。君子はこれによって、鄭の内紛がまだ収まらないことを知った(君主が臣下と盟わねばならないこと自体、国内の不信を示すからである)。蔡の景侯は太子般のために楚から妻を迎えたが、景侯自身がその女と通じた。太子は景侯を弑殺した。これより前、周の王族の儋季が亡くなった。その子の括が王に謁見しようとして嘆息した。単の公子愆期は霊王の御士(王の車を御する近侍)であったが、朝廷で括のそばを通りかかり、その嘆息を聞いて言った。「ああ、この者は必ずこの朝廷を我が物にしようとしているのだ」。宮中に入って王に告げ、さらに言った。「必ず彼を殺してください。父を失っても悲しまず、大それたことを願い、目つきは落ち着かず、足を高く上げて歩いています。心は別のところにあります。殺さなければ必ず害をなします」。王は言った。「子どもに何がわかろう」。霊王が崩御すると、儋括は王子佞夫(霊王の子、景王の弟)を王に立てようとした。佞夫はそれを知らなかった。戊子の日、儋括は蒍の邑を包囲し、成愆(単公子愆期)を追い払った。成愆は平畤に逃れた。五月癸巳の日、尹言多・劉毅・単蔑・甘過・鞏成が佞夫を殺した。儋括・瑕・廖は晋に亡命した。『春秋』が「天王がその弟佞夫を殺した」と記したのは、佞夫は謀を知らなかったのに殺されたので、罪は王にあるとしたからである。ある者が宋の大廟で「ああ、ああ、出よ、出よ」と叫んだ。鳥が亳社(亡国殷の社)で鳴き、「ああ、ああ」と言うかのようであった。甲午の日、宋に大火災があった。宋の伯姫(魯の公女で宋の共公の夫人)が亡くなった。付き添いの姆(守り役の女性)が来るのを待って、火から逃げなかったからである。君子は宋の共姫について言った。「未婚の娘の礼には従ったが、嫁いだ婦人の礼にはかなっていなかった。娘は付き添いを待って行動するが、婦人は事の宜しきに従って判断するものである」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』難一第三十六今襄子驕侮の臣を誅せずして、功無きの赫を賞す、安くにか襄子の善く賞するに在らん。故に曰く、仲尼は善く賞することを知らず、と。晋の平公羣臣と飲む、飲酣にして、乃ち喟然として歎じて曰く、「人君為るより楽しきは莫し、惟だ其の言ひて之に違ふ莫し」と。師曠前に侍坐す、琴を援きて之に撞く。公衽を披きて避く、琴壁に壊る。公曰く、「太師誰にか撞く」と。師曠曰く、「今者小人の側に言ふ者有り、故に之に撞く」と。公曰く、「寡人なり」と。師曠曰く、「啞。是れ君人たる者の言に非ざるなり」と。左右之を除かんことを請ふ、公曰く、「之を釈せ、以て寡人の戒と為さん」と。或ひと曰く、平公は君道を失ひ、師曠は臣礼を失ふ。夫れ其の行を非として其の身を誅するは、君の臣に於けるなり。其の行を非とすれば則ち其の言を陳べ、善く諫めて聴かれざれば則ち其の身を遠ざくるは、臣の君に於けるなり。今師曠平公の行を非とし、人臣の諫を陳べずして、人主の誅を行ふ、琴を挙げて其の体に親しむ、是れ上下の位に逆らひて、人臣の礼を失ふなり。夫れ人臣為る者は、君過有れば則ち諫め、諫めて聴かれざれば則ち爵禄を軽んじて以て之を待つ、此れ人臣の礼なり。今師曠平公の過を非とし、琴を挙げて其の体に親しむ、厳父と雖も子に加へず、而るに師曠之を君に行ふ、此れ大逆の術なり。
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『春秋左氏伝』隠公五年 公、魚を棠に観る五年春、公將に棠に如きて魚する者を觀んとす。臧僖伯諫めて曰く、「凡そ物の以って大事を講ずるに足らず、其の材の以って器用に備ふるに足らざれば、則ち君舉げず。君は、將に民を軌・物に納れんとする者なり。故に事を講じて以って軌量を度る、之を『軌』と謂ふ。材を取りて以って物采を章らかにする、之を『物』と謂ふ。軌ならず物ならざる、之を亂政と謂ふ。亂政亟々行はるるは、敗るる所以なり。故に春蒐・夏苗・秋獮・冬狩、皆農隙に於いて以って事を講ずるなり。三年にして兵を治め、入りて旅を振ひ、歸りて飲至し、以って軍實を數ふ。文章を昭らかにし、貴賤を明らかにし、等列を辨じ、少長を順にし、威儀を習ふなり。鳥獸の肉俎に登らず、皮革齒牙・骨角毛羽器に登らざれば、則ち公射ず、古の制なり。夫の山林川澤の實、器用の資、皁隸の事、官司の守の若きは、君の及ぶ所に非ざるなり」と。公曰く、「吾將に地を略せんとす」と。遂に往き、魚を陳ねて之を觀る。僖伯疾と稱して從はず。書して「公魚を棠に矢ぬ」と曰ふは、禮に非ざればなり、且つ地の遠きを言ふなり。曲沃の莊伯鄭人・邢人を以って翼を伐つ。王尹氏・武氏をして之を助けしむ。翼侯隨に奔る。夏、衛の桓公を葬る。衛亂る、是を以って緩し。
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『春秋左氏伝』昭公四年 驕りて諫めを拒む王、椒舉をして後に侍して以て過ちを規さしむ。事を卒ふるまで規さず。王其の故を問ふ。對へて曰く、「禮、吾が未だ見ざる者六つ有り。又何を以てか規さん」と。宋の大子佐後れて至る。王武城に田して、久しくして見ず。椒舉辭せんことを請ふ。王往かしめて曰く、「屬(たまたま)宗祧の事武城に有り。寡君將に幣を墮(おく)らんとす。敢へて見ゆるを後らすを謝す」と。徐子は吳の出なり。以て貳と為す。故に諸を申に執ふ。楚子諸侯に侈りを示す。椒舉曰く、「夫れ六王二公の事は、皆諸侯に示す所以にして、禮なり。諸侯の由りて命を用ふる所なり。夏桀仍の會を為して、有緡之に叛く。商紂黎の蒐を為して、東夷之に叛く。周幽大室の盟を為して、戎狄之に叛く。皆諸侯に示す所以にして、汏(おご)りなり。諸侯の由りて命を棄つる所なり。今君汏りを以てす。乃ち濟らざること無からんや」と。王聽かず。子產左師に見えて曰く、「吾楚を患へず。汏りて諫に愎(もと)る、十年に過ぎず」と。左師曰く、「然り。十年ならずんば侈るも、其の惡遠からず。惡遠くして而る後に棄てらる。善も亦た之の如し。德遠くして而る後に興る」と。
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『春秋左氏伝』昭公十二年 克己復礼王出でて復た語る。左史倚相趨りて過ぐ。王曰く、「是れ良史なり。子善く之を視よ。是れ能く三墳・五典・八索・九丘を讀む」と。對へて曰く、「臣嘗て焉に問ふ。昔穆王其の心を肆にせんと欲し、天下を周行して、將に皆必ず車轍馬跡有らしめんとす。祭公謀父祈招の詩を作りて、以って王の心を止む。王是を以って祗宮に沒するを獲たり。臣其の詩を問ひて知らざるなり。若し遠きを問はば、其れ焉んぞ能く之を知らん」と。王曰く、「子能くするか」と。對へて曰く、「能くす。其の詩に曰く、『祈招の愔愔たる、式て德音を昭らかにす。我が王の度を思ふ、式て玉の如く、式て金の如し。民の力を形りて、醉飽の心無し』と」と。王揖して入り、饋れども食はず、寢ぬれども寐ねず、數日自ら克つこと能はず、以って難に及ぶ。仲尼曰く、「古や志有り、『己に克ちて禮に復るは、仁なり』と。信に善きかな。楚の靈王若し能く是くの如くならば、豈に其れ乾谿に辱められんや」と。晉鮮虞を伐つ。肥の役に因るなり。
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『春秋左氏伝』成公二年 宋文公の厚葬秋、七月、晉の師齊の國佐と爰婁に盟ひ、齊人をして我に汶陽の田を歸さしむ。公晉の師に上鄍に會し、三帥に先路三命の服を賜ふ。司馬・司空・輿帥・候正・亞旅、皆一命の服を受く。八月、宋の文公卒す。始めて厚葬す、蜃炭を用ひ、車馬を益し、始めて殉を用ひ、器備を重ね、槨に四阿有り、棺に翰檜有り。君子謂ふ、華元・樂舉、是に於てか臣たらずと。臣は、煩を治め惑ひを去る者なり、是を以て死に伏して爭ふ。今二子の者、君生きては則ち其の惑ひを縱にし、死しては又其の侈を益す、是れ君を惡に棄つるなり。何ぞ臣を之れ為さん。
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『春秋左氏伝』宣公九年 洩冶の諫め春、王の使來りて聘を徵(もと)む。夏、孟獻子周に聘す。王以って禮有りと為し、厚く之に賄(おく)る。秋、根牟を取る、易きを言ふなり。滕の昭公卒す。扈に會す、不睦を討ずるなり。陳侯會せず。晉の荀林父諸侯の師を以って陳を伐つ。晉侯扈に卒す、乃ち還る。冬、宋人滕を圍む、其の喪に因るなり。陳の靈公孔寧・儀行父と、夏姬に通じ、皆其の衵服(じつぷく)を衷(き)て以って朝に戲る。洩冶諫めて曰く、「公卿淫を宣(あらは)さば、民效ふ無し。且つ聞こえ令(よ)からず。君其れ之を納めよ」と。公曰く、「吾能く改めん」と。公二子に告ぐ。二子之を殺さんと請ふ。公禁ぜず。遂に洩冶を殺す。孔子曰く、「詩に云ふ、『民の辟(へき)多き、自ら辟を立つる無かれ』と。其れ洩冶の謂か」と。楚子厲の役の為の故に、鄭を伐つ。晉の郤缺鄭を救ふ。鄭伯楚師を柳棼に敗る。國人皆喜ぶ。唯だ子良憂へて曰く、「是れ國の災ひなり。吾死すること日無からん」と。
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